『アジアと日本 ことばの旅』(研究者エッセイ・シリーズ)連載一覧

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第6回 「カナ カヌ バヨ(ごはん、食べましたか)?」――挨拶から感じるネパールの食文化(ネパール、ネパール語)

伊東さなえ先生のお写真

伊東さなえ(人間文化研究創発センター 研究員 特任助教)

「ナマステ」より「カナ カヌ バヨ」?

 ネパールでフィールドワークをしていると、しばしば「日本語を教えて欲しい」と言われる。しかし、「いいですよ、なにが知りたいですか?」と尋ねたときに、「じゃあ、『カナ カヌ バヨ?』は日本語でなんて言うのか?」と聞かれると答えに詰まってしまう。逐語的に訳すなら、「カナ」は食事のことであり、「カヌ バヨ」というのは「食べましたか?」、つまり「ごはん、食べましたか?」ということになる。ただし、この言葉を教えてほしい、と言ったネパール語話者は、おそらく、日本語に直すと挨拶とは捉えがたいこのフレーズを挨拶として使うつもりなのだ。

 ガイドブックなどでは、日本語の「こんにちは」にあたる言葉として「ナマステ」が紹介されていることもあるが、「ナマステ」はもともと、非常に格式ばった宗教的な言葉である。現代では、ネパールの人々もカジュアルな挨拶として「ナマステ」を使うようになってきてはいるが、それでも、人によっては、こちらが「ナマステ」と挨拶をすると、両手を合わせ、丁寧に「ナマステ」と返してくれる。では、格式ばっていない挨拶は何かというと、その一つが「カナ カヌ バヨ」である。例えば道でばったり会った友達に「オッホー、サヌナニジ! カナ カヌ バヨ?(あらまあ、サヌナニさん! ごはん、食べましたか?)」など、頻繁に使われる。(ほかにも、「サンチャイ フヌフンチャ(元気ですか)?」や「ケ チャ ハル カバール(何かニュースはありますか)?」などもある。)

 このような背景があるので、冒頭のように聞かれたときには、「『カナ カヌ バヨ?』は日本語だと『ごはん、食べましたか?』だけど、挨拶として日本人にいきなり言うと驚かれるかもしれないです」と伝えるようにしている。

 なお、先ほど「カナ」を「ごはん」と訳したが、実際には「カナ」は日本語の「ごはん」とは少し異なるニュアンスを持つ言葉である。ここで、フィールドワークを始めたばかりのころの失敗についてお話ししたい。

「かわいそうに、さあ、カナを食べなさい」

 インタビューをするために、ある団体を訪問した際、出迎えてくれた団体のメンバーが「ごはん、食べましたか(カナ カヌ バヨ)?」と挨拶をしてくれた。ちょうど昼にさしかかろうかという時間だった。朝ごはんを食べてきたのかを聞かれているものと解釈した私は、「食べました(カエン)」と答えた。すると、「何を食べましたか(ケ カヌ バヨ)?」と聞かれた。そこで、私は意気揚々と、ホテルで食べた朝ごはんのメニューの「食パンとスープです」と答えた。

写真1

早朝のお茶とビスケットなどは家の近くの喫茶店で食べることもある

 その瞬間、周囲にいた人々が息を飲んで私のほうを見た。そして、皆で集まって何事かを相談し始めた。しばらくすると、その中の一人が、手招きして近くにある彼の家に連れて行ってくれた。家に着くと、彼は妻に「この人にカナを食べさせてやろう」と言った。妻は私に、「かわいそうに、さあ、カナを食べなさい」と言って、炊いた米と豆のスープ、野菜のカレーをふるまってくれた。

写真2

ホームステイ先のカナ(炊いた米と豆のスープ、野菜のスパイス炒め)

 私の受け答えの何がいけなかったのだろうか。そのことを知るためには、ネパールの一般的な食習慣を説明する必要がある。ネパールの多くの人は、通常、朝起きてすぐ、お茶とビスケットや食パンなどを食べる。そして、大体9時から11時ぐらいの間にカナを食べる。ここでいうカナとは、豆のスープ(ダール)と主食(炊いた米(バート)やトウモロコシ粉で作ったそばがき状のものなど)と野菜のカレー、付け合わせなどからなるネパールで一般的な食事のことである。学生や官公庁の職員などはもう少し早い時間に食べている場合もあるが、いずれにせよ、午前にカナを一度食べる。そのあと、13時から15時ぐらいにカジャを食べる。カジャには焼きそばやチャーハン、インスタントラーメン、パンやドーナッツなどが含まれる。ただし、このタイミングでカナを食べることはない。そして、夜、寝る前、19時から21時ごろに再びカナを食べる。

写真3

ポピュラーなカジャの一つ、モモ(蒸し餃子)

 つまりカナというのはかなり限定的に、豆のスープと主食を組み合わせたものであり、「食パンとスープ」はカナではない。だから、私は、昼になってもまだカナを食べていないかわいそうな外国人と捉えられたのであった。

カナ、欠かすべからず

 カナを一日に二度食べることが非常に重要だということが、フィールドワークを続けているうちに実感としてわかってきた。例えば、カナを食べる時間を逸したまま車で長時間移動し、目的地の空港がやっと近づいてきたときのことである。私はできるだけ早い便に乗りたかったので、「申し訳ないけど、このまま空港で降ろしてもらって、あなたはそのあとカナを食べてもらってもいいですか?」とドライバーに食堂でカナを十分に食べられるぐらいの額のお金を渡した。すると、ドライバーは「あなたはカナをどこで食べるんだ?」と心配そうに言った。そして、空港に着くと、わざわざ車から降りて、近くにいる人に「この人はまだカナを食べていないんだ。この辺りでカナが食べられる店はどこか?」と聞いて回ってくれた。

 あるいは、私がいつもホームステイしている家の20代の息子が、外で友達と酒を飲んで夜遅くに帰ってきたとき、彼はおつまみも食べてお腹がいっぱいなのだが、必ず母親は「カナを食べなさい」と言ってカナを食べさせていた。

 「カナ カヌ バヨ?」という挨拶は、このようなカナの重要性という背景に基づいて発される。カナを食べたのか、まだ食べていないのかという重要な情報を交換しあい、気遣い合うフレーズなのである。私も最近では、ネパールで人に会ったときや、電話をかけたときに、「カナ カヌ バヨ?」と挨拶することが多い。「食べた」「まだ食べていない、これから食べる」なら良いのだが、昼過ぎに「食べていない」と言われると「まあ、なんてかわいそうに!」という気持ちにもなるようになった。残念ながら、フィールドワーカーである私はカナを相手に食べさせてあげることができないことも多いが、それでも、「どうしよう、大丈夫? どこかで何か食べようか?」と一緒に悩んだりしている。

(2024年12月13日)
〈プロフィール〉
伊東 さなえ(いとう・さなえ)
人間文化研究創発センター研究員(特任助教)。専門は、南アジア研究、文化人類学。最近の著書論文に『ネパール大震災の民族誌:共同性と市民性が交わる場で災害に対応する』(ナカニシヤ出版、2024年)、「コミュニティ・レジリエンスが発揮される空間:ネパール2015年地震で被災した都市近郊農村を事例として」『環境社会学研究』29(2023年)、The Production of Locality through Debris and a Festival: Aftermath of the Gorkha Earthquake in the Kathmandu Valley, Studies in Nepali History and Society 25, no. 2(2020)など。