第1回未来への対話:AJI若手研究者インタビュー

松井先生インタビュー

future_01_header  ~~哲学から、制度が生み出す暴力と柔軟性の両義性を考える~~

「高学歴ワーキングプア」の時代のなかで研究者となることを、あえて選んだ!
なんでもある「雑貨屋」でいいのか悩んだ大学院時代から、知の「商店街」へ。

―― 職業として研究者を選んだきっかけはどのようなものだったのでしょうか?

松井:研究の道へ進むきっかけは、学部生時代にさまざまな思想・哲学に触れることで、世界を緻密かつ包括的に理解することの重要性と楽しさを知ったことでした。漠然と大学院へ進んで「研究がしたい」と思ったのですね。しかし、職業として研究を選択するという意識は低かったように思います。学部時代の恩師からは、水月昭道さんの『高学歴ワーキングプア』や『アカデミック・サバイバル』を読んでから決めるように諭されました。それらの著書を読んでみて、どれだけ厳しい選択をしようとしているか恐ろしくなったことはいまだに鮮明に覚えています。

―― 確かに、あの頃は、大学院へ行っても研究者になるのは大変という風潮も、とても強かったですね。

松井:立命館大学国際関係研究科の大学院に進み、博士課程を修了したのですが、ふりかえってみると、その過程でもまだ自分のなかで自覚が足りなかったように思います。大学院時代の恩師の先生からも、研究者として生きていくための研究発信を意識するように指導をいただきましたが、暗中模索の状態でした。博士課程修了後も、そのままおっかなびっくりで大学の非常勤職で働いていたのですが、なかなか研究を職業にするということのイメージがつかめないままでした。

――大学院時代に、研究者という職業のイメージがつかめなかったわけですね。そういう院生さんも多いのでしょうか。

松井:少なくとも、私の同時期には多かったのではないかと思います。研究することと職業として研究者を選ぶことの間のギャップに苦しむケースが多いのかな、と。私はそれを「品物はたくさんあるけど、暖簾がない問題」だと思っています。博士課程では、とにかく自分の研究関心に打ち込むことができます。少なくとも私は時間だけはありましたので、いろいろな知識を吸収して、ストックを蓄えることはできました。そうすると、店内は雑貨屋状態になるわけですが、まさか「雑貨屋」と名乗るわけにはいかない。実際の雑貨屋さんを訪れることは楽しいところがありますが、職業としての研究者となると雑貨屋さんではいけないのですね。知識を求める学生さんに対して「あそこに行けば、欲しいものが置いてあるだろう」という期待を喚起するような、知の「商店街」の一角を占めるべきだと思います。以前はそういう想像力が足りなかったのだと思います。

―― なるほど、知の商店街というのは、面白いですね。私の知っているある先生は、大学は素敵な知の百貨店でなくていけない、と言っていました。

松井:研究者としてのイメージが明確になり始めたのは、学位を取って、アジア・日本研究所で研究員となってからです。給料をもらいつつ、研究発表に参加し、同世代の研究者と関心を共有したり、研究所の運営に部分的に関わったりするなかで、職業としての研究者になるための具体的な方法に関わるイメージを掴めたことが大きかったと思います。商店街のなかで、自分の店を持って「暖簾をかけて、品物を置く」というイメージですね。そういう意味では、ひとつの大きなきっかけというより、さまざまな要素の積み重ねのなかで職業としての研究者像が形をなしてきたように思います。少し時間がかかりすぎたようにも思いますが。そのイメージのなかで、暖簾にかけて自分なりに哲学をする構えができてきたように思います。

グローバル化によって噴出する暴力や貧困や差別の問題。そして父の失業。そのなかで新たな共通価値を模索するための哲学を模索する。

――国際関係研究科で哲学を研究するのは、少し珍しいと思いますが、その経緯はどのようなものだったのでしょうか?

松井:学部生時代から哲学に関心がありました。同時に、グローバリゼーションの過程に伴われる構造のレベルや集団の間や内部で生じる暴力に関心があり、どのようにそれらの暴力の問題が生じるのか、グローバルなレベルでの構造的暴力の問題を克服するためにはいかなる価値規範が求められるのか、というような視点から哲学思想に関心を持ったように思います。私が学部生だった2006年~2010年は、イラク戦争の泥沼化、日韓の歴史問題と日本での「嫌韓」ブーム、リーマンショック、日本における3万人台の自殺者数などの問題が渦巻いていました。

――大変な時代でしたね。

松井:当時は、キャンパスでも「新自由主義」やら、「アメリカ帝国主義」やら、「日本人としてのアイデンティティ」みたいな言葉が飛び交っていて、歴史に関する講義はさながらテレビ討論番組の「ビートたけしのTVタックル」のような興奮した様相を呈していました。それはそれで刺激的な時代でした。また、身近なところでも、私の父親が失業するということもありました。そのなかで、マルクス主義、現代思想、リベラリズム、保守主義など、いろいろな本を乱読して、ますます何が起きているのか皆目わからないという状態でしたので、「まずは理解せねば」ということで大学院に進みました。親からは「家が大変な状況なのに大学院に行くなんて」と言われましたが、それでも精一杯応援してくれています。ともあれ、大学院の恩師の勧めもあり、チャールズ・テイラーの哲学を研究することに決めました。『自我の源泉』という本を読んで、彼の哲学を深く理解してみたいと思ったからです。いま思えば、グローバルな構造のレベルで生じる問題の歴史的な変容過程への関心が念頭にあり、それに加えて、人間が想像力として持っている価値の意識の歴史的な変容過程を相互に見るなかで、現代世界における構造と価値の関係を理解しようとしていたと言えます。とくに、意識として世俗社会におけるルールの背景となる価値を世俗社会の内部から生み出すことができるか、という問題意識のなかで、彼の哲学を研究対象に選びました。

――グローバル化などで劇的に変容する現代社会において、価値や規範がどのように成立しうるのか、ということでしょうか。

松井:そうです。しかし、ポストモダニズム哲学のスローガンである「大きな物語の周縁」という言葉に表わされているように、マルクス主義的に「来るべきポスト資本主義社会はいかにあるべきか」という議論は、2000年代はまだ難しかったです。いまだと、ポール・メイソンの『ポスト・キャピタリズム』や斎藤幸平先生の『人新世の資本論』などで、2010年代後半からは再び関心を集める問題の1つとなっていますけれど。むしろ、当時は、アイデンティティ・ポリティックスのように、文化や階級やジェンダーなどの属性が複雑に絡まり合って生み出される現実が存在するのであり、グローバル化によって世界は「フラット化」するのではなく、モザイク状の多様性が問題を含みながら噴出するという議論が定石だったように思います。この中で、歴史の進歩や近代化をめぐる「西洋中心主義」の歴史観のフレームは避けては通れない大きな問題の一つですが、テイラーは、カナダ人で、カトリックで、ヘーゲル哲学をはじめとする西洋哲学のさまざまな古典に通暁しているといった人で、見方によってはゴリゴリの「西洋中心主義者」に見えるかもしれません。しかし、私の場合は彼から、グローバル化のなかで世界を複雑化させる多様性の状況のなかで、宗教的伝統を含む西欧の価値・規範論の特殊な系譜が「西洋中心主義」の問題を突破しようとしている、そういう哲学的な格闘とそのための思考の構えを学びました。一言でいえば、グローバル社会における価値変容のなかで価値・規範の問題を論じるとき、特殊な歴史的文脈に根づいたかたちでレトリックを特定の問題状況に対峙するかたちで鍛え直し、紡いでいくことでしか人々に響かないのではないか、そういう見方を博士論文では提示しました。

いま必要なことは「共通感覚」の活性化と誰もが自由に考えを交換できる場所の創造——そのために哲学を通して、日本をアジアへ、そしてグローバル社会へ開いていく。

――最近の研究テーマについて、教えてください。

松井:はい、ここ3年くらいの間に、テイラーから日本哲学へと研究テーマを大きくシフトさせました。私がテイラーを読むなかで教えられたことは、単純化すると「汝自身を知れ」です。私はカナダ人ではないし、カトリックでもないし、西洋哲学を支える分厚い知的コンテクストも、正直言うと本を読んでいるだけではわかりません。しかし、問題関心は一貫しています。つまり、レトリックと包摂的な価値・規範の関係を再評価して、グローバルな社会構造の変動に対処していくという構えは変りません。ところが、レトリックは「場所」がなければ効力を発揮しません。日本において、レトリックの問題を中心に扱っている哲学者として、中村雄二郎がいます。彼は、いわば「オールド・ポストモダニスト」であり、西田幾多郎の日本の哲学的伝統のアップデートを試みた点で「ポストモダン右派」とも呼べますが、彼のポジションのラベリングはともかくとして、中村の哲学で注目するべきは、制度との緊張関係を絶えず意識してレトリックの土壌を練り上げることの重要性です。

―― とても面白いですね!

featur_photo研究について仲間と語り合う松井先生
松井:ありがとうございます。この「制度」というのはきわめて曖昧な概念ですが、彼によれば、それはときに硬直的で、ときに人間のさまざまな活動を柔軟に包摂していく自律性も発揮します。しかし、中村のさまざまな著作を読んでわかることですが、制度の柔軟性を生み出すためには「制度を柔軟にしよう!」と気張っても柔軟にならない。むしろ、最適な制度のあり方をめぐってさまざまな利害や競争関係が錯綜してしまったり、制度運用に画一的なルール設定を持ち込んでしまったりして、ますます人間活動の領域から遠くなっていく。それに対して、中村は、制度の論理から外れたところで、オープンマインドにいろいろな人や文化の見方、あるいは事物と接して、常識の軌道を横へとずらしていったほうが、かえって制度の人間に対する感度が高くなり、柔軟性を発揮しうる、というようなことを論じていると読めます。

―― 中村雄二郎をそういうふうに読み解くのは、非常に刺激的ですね。

松井:彼のいう人間の「共通感覚」に根ざしたレトリックは、こうした文脈で力を発揮すると考えられます。端的にいえば、こうしたコミュニケーションが交わされる場では、凝り固まりがちな「共通感覚」が徐々にほぐれていき、いろいろな知識や出来事が記憶として身体化され、さまざまな人たちの言葉や行いが自分に浸透し、また、自分から周囲の世界や人々へとそのフレームが広がっていきます。そうやってレトリックは場所のなかで力を獲得していく。現在は、中村の哲学に基づいて、こうしたレトリックの場所と制度の自律性の関係についての研究をしています。

――日本哲学の世界に対する貢献や、アジアとの共振、グローバルな対話を重視しているということですが、そのあたりは、いかがでしょうか。

松井:はい、それについても積極的に考えています。世界に向かって貢献することは、けっして、日本中心の発想を世界に発信するということではありません。むしろ、日本を世界へと開くための回路としての哲学を考えています。世界の多くの社会においてさまざまなレベルの分断が生じています。日本も例外ではないですし、他の社会と比べて分断は深刻とも言えます。そのため、諸個人のレベルで自由であることの重要性や可能性を信じづらくなっているように思います。この状況にあって、中村の哲学は心と知性をもみほぐして「共通感覚」を活性化させるような哲学なのです。だからこそ、一つの貢献のあり方としてグローバルな意義を持っています。合理的な解答や真理をめざして議論を交わすという以前に、相互に自由になる場所を生み出す必要性があるのですね。

―― そこは重要ですね。場があるのが当たり前のように思って、対話すれば交流できると思ってしまうと、実は本当の対話にならない。そこで、その手前からちゃんと考えるというのは、とても大事だと思います。

松井:そうなんです。また、アジアとの共振についてですが、中村は言葉が力を持つためには場所の力が必要だ、と言っています。そうしたなかで、彼はバリ島に行って「南型の知」という身体性と周囲の環境にそくした知のかたちを見出し、「北型の知」という合理的な知のかたちに対置しました。あるいは、「臨床の知」をめぐる議論では、言葉以前の身体性を含めた配慮にもとづく関係から、病気や苦しみを乗り越えるための知が練り上げられるんだということを言っています。日本にもそうした感性は残っているのかもしれませんが、いまいちど、相互に自由になる可能性を開くためには、そうした関係が可能な場所を作りだすことの重要性を学ばなければならないのではないでしょうか。そうした自由と配慮の関係を作りだすために対話は必要であり、哲学は「共通感覚」を再生させる、いわば精神のマッサージの役割を果たすことができるのではないかと考えています。

――2021年1月に主宰なさった若手国際ワークショップが素晴らしかったと聞いていますが、どんな様子でしたか?

松井:すごく刺激的でした。研究者をやっていることが嬉しくなる出会いがありました。このワークショップは、「共通感覚」というテーマで、海外で活躍する若手研究者に声をかけて実現しました。ウェビナー開催ということもあり、直接参加者に会うことは叶いませんでしたが、それでも非常に建設的な対話を交わすことができました。ワークショップでは、アジア・日本研究所のバックアップで、日本哲学に深い理解を持つ人たちに声をかけて集まってもらったのですが、哲学的読解にとどまらず、「人新世」やデジタル化や資本主義をめぐる現代世界のアクチュアルな問題にも話が及び、西田幾多郎や三木清などの哲学には、人間と自然、人間と技術などの関係をめぐって考え直すヒントが多くちりばめられていることに驚かされました。私も、海外ではあまり知られていない中村雄二郎の哲学を紹介し、彼の技術・自然・制度の関係をめぐる見方について発表をしたのですが、批判を含めて非常に活発な対話を交わすことができたことは、とても大きな収穫でした。今度は、みんなに直接会って話がしたいです。

――最近感じていらっしゃる研究の面白さは、どんなところですか。

松井:まず、私自身の研究内容について言えば、古い問題が新しい問題と重なり合うところでしょうか。たとえば、私は、近年、デジタル化と人工知能の発達によって生じる資本主義の変容をめぐる問題を扱っています。デジタル化によって、既存の産業構造には大きな変化が起きています。私たちは、気になる情報をすぐに調べたり、リアルタイムのコミュニケーションを行い、無料のコンテンツを享受しています。一つの情報は瞬く間に共有されます。ここまで情報が過剰に豊かになった時代は、歴史上はじめてです。しかし、メディアをめぐる哲学で議論されているように、デジタル・デバイスも書字のように記憶媒体であり、それによって情報を額面通り受け取り、考えなくなるということはプラトンの時代から論じられてきました。プラトンは記憶媒体に左右されると真理を見通す思考が曇ると考えていましたが、私たちの時代においてはもっと広範に、過剰に豊かな情報は必ずしも人を自由にしないという問題に直面しているのだと考えています。現在は、人を自由にする情報環境とはどんなものだろうという問題意識に対して、過去の哲学的テクストを参照しながらものを考えています。

―― 「情報」と「知識」が完全に混同されて、まさに思考が曇る時代ですものね。

松井:その通りです。また、研究の領域についてですが、先ほど私が哲学と国際関係をやっていることに触れていただきましたが、そのような学際的なスタンスもあって、いろいろな分野の研究者たちと出会うことができることが研究の楽しみの一つです。最近も、ある研究仲間と会った時に、「最近何やってるの」「デジタル化についてやってるよ」「今度、こういう研究会あるから参加しない?」「もちろん!」というようなノリがひょんなことから生まれて、とてもおもしろいです。日頃の思考の習慣から生まれるグルーブ感といいましょうか。

――これから、どんなプランを立てていますか。

松井:いろいろなことを考えていますが、行き当たりばったりにならないように、まずプランを立てる習慣を作る、という目標を立てています(笑)。冗談はさておき、アジア・日本研究所からも、特に日本やアジアの哲学に関するネットワークを構築していこうという目標のもとで積極的なサポートもしていただいています。そのために、私自身もさまざまな関心を持つ人たちとできるだけつながりを作りたいので、自分なりの哲学の発信を積極的に行っていきたいと考えています。もちろん、哲学には個人プレー的なところはありますが、哲学を通じて日本を世界に開くための実践をアジア・日本研究所から発信出来たらいいと思いますし、そのためにはいろいろなかたちで哲学に関心を持つ人たちが集うことができるコミュニティ作りの要素も必要になると思います。

―哲学を開くだけでなく、哲学で開くということですね。とても、面白そうですね。今後のご活躍に期待しております。今日は、どうもありがとうございました。

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