第2回未来への対話:AJI若手研究者へのインタビュー

Dr.向静静インタビュー

future_02_header  日中医学交流史の道を歩んで~~医書の「環流」を研究する

―― 向先生は、医学思想史をご専門とされ、そのなかでも日中医学交流史を研究なさっていますね。なぜそうした研究テーマを選んだのでしょうか?

向:私は中国医学の医師の家に生まれました。父の書棚には、近世日本に書かれた中国医学に関する古典的な医学研究書(医書)が多くあり、父はしばしば日本医学研究家の医書研究を絶賛していました。
 古代中国で書かれた医書が、日本のような異国に伝わって研究されましたが、それだけではなく、その研究書が中国に伝わって、それが今度は現代中国の医師に影響を与えています。これは医学史では、医書の「還流」と呼ばれています。
 私は、このような医書の「還流」の現象があることを、子どもの時から身近で実感していました。研究を志した動機もまた、こうした医書の「還流」に深く魅かれたことによります。

―― そうしますと、医学への関心は、子どもの時からですか?

向:そう言っていいと思います。 それと、もう1つは、自分たち現代人と歴史につながりについての関心です。私たちは、現代の医学になれてしまっていますが、今では当たり前の解剖学、レントゲン検査などは、昔はありませんでした。そうしたものがなかった前近代の医者たちが、いかに人間の体や病気を理解していたのかについて興味を持ったことも、医学史を志した理由だと思います。

―― 今春に調査のために中国にいらしたとき、新型コロナ感染防止のための隔離に何週間もホテル隔離を経験なさったそうですね。それも、とても現代的な医療状況ですね。

向:江戸時代でも、疫病が流行った時、隔離策も行われていました。例えば痘瘡を患った人が、家族に強制的に人里離れた山野に捨てられる隔離策があり、患者には充分な治療が施されず、百日間余りも経つと、亡くなる人が多かったと史料に記載されています。今年の春のホテル隔離を通して、今まで読んできた史料はただの<過去>のものではなく、現在にも通じるもののように感じました。それに疫病及びそれがもたらす社会問題などに対する理解が深まり、新しい問題意識も生まれました。

―― なるほど、長期間の隔離はとても辛いけれども、医学史の研究者としては意義深い体験をなさったということですね。さて、研究者をめざすようになった経緯を、もう少しお話ください。

向:父がよく称賛する医者の中に、北山友松子(きたやま・ゆうしょうし)という大坂で開業していた江戸時代の医者がいます。実は彼の父親は明末の動乱を避けるため来日した中国人で、母親は長崎丸山の遊女でした。北山友松子に関心を持ちましたので、彼の生い立ちなどを調べました。それがきっかけとなって、日中医学交流史の研究を本格的に始めることになりました。

―― 日本での研究生活はどうですか?日本への留学経験も含めてお話をお聞かせください。

向:日本は四季がはっきりしており、季節の移り変わりにつれて、研究の緊張感が湧いてきます。特に実りの秋になり、紅葉や赤い実を見ると、今年自分の研究がどれほど進んでいるかを反省し始めます。ですから、秋になると、いつもよりも高い緊迫感を感じながら、一生懸命研究に取り込んでいます(笑)。
 実は、京都への留学も、秋の景色に心を奪われたのがきっかけです。中国にいた時、一枚の京都の紅葉の写真に惹かれて留学を決意しました。しかし、勉強がとても忙しく、紅葉狩りができたのは、日本に来てからの3年目の秋でした。

―― 博士論文も日本語でお書きになったということですが、日本語はいつから勉強なさったのですか?

向:日本語は大学時代から勉強し始めました。外国語を勉強する中国の大学生は朝早く起きて、キャンパスで声を出し朗読する習慣があり、中国語で「早読」と言います。私も大学1回生から毎朝の7時から8時まで「早読」しており、教科書に載っている単語や文章を丸暗記していましたが、日本語の尊敬語や謙譲語の使い方がとても難しくて、いくら暗誦しても今でも十分に使いこなせていません。

―― いえいえ、とても自然にお話になるので、私も感銘していますよ。中国語と日本語の間の違いについて、経験談をお聞かせください。

向:中国語と日本語は、違いがとても大きいです。同じ漢字でも、意味や語法が全然違うことが多々あります。一番感じたのは、日本語で論文を執筆する時、よく受動態を使うことです。例えば、「と考えられる」「と言われる」「とされる」といった言葉がよく使われます。それに対して、中国語で論文を書くときは、受動態をあまり使いません。研究論文だけではなく、日本人の皆さんの日常会話や政治家の発言などでも、よく受動態が使われる気がします。

―― 日本語では、主語もはっきり言うとは限りませんので、文化の違いが感じられる話題ですね。最近の研究テーマについて教えてください。

向:後漢の医家・張仲景が著した医書『傷寒論』が、近世・近代の東アジアにおいて、いかに解釈・受容され、そして、還流していたかについて研究しています。
 『傷寒論』は、実は日本の皆さんにとってとても身近な存在です。例えば、漢方に基づく製薬会社である株式会社ツムラは、葛根湯をはじめとする製品の多くを『傷寒論』に則って配合しています。『傷寒論』という書名はご存じなくても、葛根湯と言えばお分かりになるのではないでしょうか。

―― 研究の面白さを感じるのは、どんなところですか。

向:コロナが蔓延し始めた頃、感染者への差別や病気についてのデマが広がりましたが、その光景は、私が日頃読んでいる史料に記載されていることと変わらないことに気づきました。いくら科学が進んでも、現代人の感染症に対する捉え方などは、400年前の人と同じだったことに衝撃を受けるのと同時に、疫病の歴史研究の面白さを、いっそう感じるようになりました。

――これから、どんなプランを立てていますか。

向:次は、自分の博士論文を日本で出版したいと思います。今は、その準備を進めているところです。最初の本が日本語になるとは思っていませんでしたが、博士論文を日本語で書きましたので、日本の読者にまずお読みいただきたいと思っています。いずれは、中国語の本も出したいものです。
 将来は、日本か中国の大学で教員になり、研究を進めると同時に、日中学術交流推進に努め、日中友好の架け橋になるように努力していきたいと思います。

――来年にはご著書を見ることができそうですので、とても楽しみにしています。これからも、頑張ってください。

(2022.8.1)
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