第6回未来への対話:AJI若手研究者へのインタビュー

Dr.十河インタビュー

future_06_header  「日本史好き」から日本史研究者へ
~~東アジアのなかの近代日本政治史像を求めて~~

―― 十河先生が職業として研究者の道を志望したきっかけはどのようなものだったのでしょうか?

十河:最初は、高校教員を志望していました。そうしたなかで、3回生の夏季休暇に、卒論のテーマとなる、大久保利通の次男なのですが、牧野伸顕という人物の日記をとにかく読み込みました。日記を読むことで、当時を生きた政治家の心の内を理解できるのが、とにかく楽しくて、毎日図書館に開館から閉館まで通いつめました。当時はとにかく研究に夢中でしたね。そのあたりで、修士課程に進んでみたいという思いが強くなったのですが、そのためにはとにかくいい卒論を書かなければと思って、必死に研究に打ち込みました。あの夏がなければ、今はなかったと思います。
 とはいえ、ただ好きな研究を続けたいというだけでなれるほど、簡単な職業ではないことは分かっていたので、この厳しい世界で戦えるという確証が持てなければ諦めよう、それを試す期間だと思い、修士課程に進学しました。はっきりと研究者の道を進むという決断をしたきっかけは、投稿していた卒論をベースにした論文が、修士のときに全国誌の査読を通過して採用されたときでした。ひとつ結果が得られたので、もっと上の世界に挑戦してみたいという気持ちが強くなり、この道に進みました。

――十河先生ご自身の研究成果が認められたことが、研究者としてのステップアップへの大きなモチベーションとなったのですね。大学院で博士論文を書いていた頃と、学位取得後の今の研究生活では、何が大きな違いでしょうか。

十河:私の場合、とにかく環境そのものががらりと変わったのが大きいと思います。大学院のころと比べて圧倒的に、他分野の研究者と交流する機会が増えました。そうなると、日本史の研究自体を相対化できるというか、日本史研究の魅力や強みは何か、あるいは何が足りないところかということを、考えることができるようになったと思います。私は政治史を研究しているので、そのおもしろさをどう発信すればよいか、といったことを重点的に意識して取り組んでいます。また、英語の報告を聞いたり、論文を読んだり、あるいは書いたりといった機会にめぐまれていることも大きいです。また、学費を払う立場から、自分の専門性を社会に発信することで給料をもらっていく立場になったので、より自覚をもって、そこのスキルを高めていかなければと思っています。

――他分野の研究者との交流、英語での研究成果の発信、学費を払う立場から給料をもらう立場へ——とても大きな環境の変化ですね。さらに、それがご自身の研究の可能性を広げることに結びつけているのですね。十河先生は、近代日本政治史のなかで、戦間期の政治構造をご専門とされていますね。先ほども卒業論文のお話がありましたが、なぜこの研究テーマを選んだのでしょうか?その経緯をもう少し詳しくお聞かせください。

十河:最初から日本史に関心があったので、本格的に学びたいと思い文学部に入学しました。そのときはまだ、どの時代をやるのかさえも定まっていない状態でした。ただ、心のどこかに抱いていたのは、なぜ戦前の日本があの凄惨なアジア・太平洋戦争への道を進まなければならなかったのかという問題に対して、自分なりの答えを出したいと漠然と思っていました。そして、1回生、2回生と偶然にも少人数授業で日本近現代史を学ぶ機会に恵まれて、研究の世界の奥深さを知るうちに、その魅力に引き込まれていきました。そのなかで、大正デモクラシーの到達点である政党政治(1924~1932)の失敗こそが、戦争への道程を切り開いてしまった最も重要なターニングポイントだと考え、このテーマを選びました。
 そこで、個別の対象を分析するというよりも、大日本帝国憲法の下での政治構造において、何が明治期・大正初期から転換し、何が変わらなかったのか、こういった問題を明らかにすることこそが重要と考え、研究してきました。その分、どこからアプローチするのかという意味で研究対象に悩んで、右往左往することもありましたが、それでも最終的に博士論文をまとめることができたのは、この初発の関心を忘れることなく持ち続けていたからだと思います。

――大学入学当時から抱えていた疑問が、大学での学びの経験と相まって具体化されるかたちで博士論文の執筆に結びついていったのですね。大正期・昭和期の研究では、当時の史料や文献を使うことが多いと思います。その面白さをお教え下さい。また、あの頃の日本語を読みこなすのは、大変でしょうか。

十河:日本語自体は、前近代や明治期に比べると、今の言葉にかなり近づくので、読みやすいと思います。ただ、くずし字を読めないと研究ができないので、そこは大変だと思います。それを乗り越えて、当時の人の実際の字を読めるのは、日本史の魅力の一つです。私は3回生の時に本格的に勉強し始めたのですが、だんだんと読めるようになっていくのが本当に楽しくて、すぐに覚えましたね。
 また、これは近現代史の魅力だと思いますが、とにかく史料が多く、全国(や海外)にたくさんの史料が眠っているので、それを見つけ出す作業は本当に楽しいです。調査に行くときはいつも心躍りますし、そこで自分が求めていた史料が発見できたりすると、もう昂奮しますね(笑)。

――くずし字の解読や史料の発掘ですか。宝探しのようですね。やはり、新史料の発見が一番の目的なのでしょうか?

十河:一概にそうとは言えません。むしろ、研究するうえで一番おもしろさを感じるのは、当時の人間の残した、たった一つしかない史料を、先行研究とは違う解釈で読めたときです。史料という素材を使って、歴史に自分独自の解釈を与える。新史料や新事実が発見できたときよりも、よく知られている史料に新たな意味を発見できたときこそが、歴史学の面白さ、そして歴史を研究することの意味を感じる瞬間です。

――なるほど。それまでの過去についての解釈に新たな光を当てることができるからこそ史料の意味があるというのはとても面白いですね。最近の研究テーマについてはいかがでしょうか。

十河:これまでは、政党政治がなぜ崩壊したのかという点に絞って研究してきました。そこでは、政党政治を支える重要な論理であったはずの内閣中心主義、責任内閣制の論理から、政党内閣自身が逸脱してしまったこと、またその構造的な問題が政党政治の成立当初から潜在していたことを明らかにしました。最近は、政党政治が崩壊したあとの1930年代における政治構造を研究しています。特に、満州国という日本の傀儡国家ができたことが、日本の政治構造にどのような影響を与えたのかということを探究しています。そしてそのことが、戦前日本において議会中心政治が後退していくことにどのような影響を及ぼしたのか、という点を明らかにすることが課題です。

――それは非常に興味深いです。十河先生のご研究では、一貫して日本国内だけでなく、当時の植民地統治や経済状況など国際的な文脈を含めてアプローチされていますね。そういった国際的文脈のなかで日本の歴史を見るということの重要性について、いかにお考えですか?

十河:戦前の東アジア国際関係において、日本のもたらした影響は計り知れません。研究も多くなされてきました。その一方で、日本が東アジアに及ぼした影響という研究に比べて、東アジアが日本にもたらした影響を論じる研究は、戦間期の日本政治史研究に関していえば圧倒的に少ないように思います。ですが、戦前の日本が植民地を領有し、満州国を支配したことの意味は、決して無視できない問題です。数多くの研究があるなかで、軸足を日本、特に内閣の政治運用に置いたうえで、国際的な視座を取り入れるという手法をとることで、国際環境の影響をもっと新しい形で解明できると考えています。

——地域的な環境のなかで日本の政治を捉えることは、過去においても現在においても重要ですね。最近感じていらっしゃる研究の面白さは、どんなところですか。

十河:これまで私がしてきた1920年代を中心とした研究では、さまざまな政治アクター間の対立が潜在的に進行しており、それが政党内閣の統合力を限界にまで追い込んでいったということを明らかにしてきました。最近は1930年代を中心に史料を読んでいるのですが、政党政治が終焉した瞬間から、1920年代に蓄積されたさまざまな潜在的な問題が、一気に噴出してきます。そうなると、それを克服しようとしてさまざまな、そして実現可能性に乏しい極端な構想がどんどん出てくるんです。そうした熾烈な対立構造をみていると、政党政治が十分な統合力を発揮できなかったという、これまで研究してきたことが、より深い意味を持つことがわかってきました。こうした点におもしろさを感じていますね。

――1930年代の日本の政治状況を1920年代からの対立の蓄積の結果として理解するというのは非常に興味深いですね。これから、どんな研究のプランを立てていますか。

十河:まずは、博士論文をもとにした単著を出版することが当面の目標です。そして、将来的には個人の政治家を題材にした伝記を執筆したいです。というのも、戦前日本の政治構造という研究テーマは、その性質上どうしても政治家個人の資質という部分を打ち出しにくいという問題を抱えているので、そこに人物の個性という要素を組み入れるとどのようにみえるのか、これを描きたいと思っています。それと、新書のような、一般読者層に広く読んでもらえる著書を書きたいと思っています。
 同時に、今の研究環境で学んでいる、研究成果の国際的な発信というところを充実させていきたいです。そして将来的には、韓国や台湾をはじめ、国際的な学術ネットワークの構築に貢献できるような大学教員・研究者になることが目標です。

――人物の個性と政治・社会構造をめぐる歴史記述の問題に取り組むというのは、とても困難に聞こえますが、同時に、とても刺激的ですね。国際的なネットワークのなかで十河先生の研究が発展し、それがどのような歴史解釈に結びついていくのか非常に楽しみです。最後の質問となりますが、大学院に進学したての後輩の皆さまにアドバイスをなさるとすれば、どんなことでしょうか。

十河:そうですね。最初から博士論文執筆までのプランができていて、順調に研究成果が積み上げられるならそれに越したことはないのですが、行き詰ったり、苦しんだりすることもあると思います。大学院の場合、修士、博士と上がるにつれて、より大きなテーマのなかに自分の研究を位置づけていくことが求められます。その過程で、自分の研究の意味や手法を見失うこともあるかもしれません。私もかなり苦しみ、博士課程では何度も逃げ出したい気持ちになりました。そういうときにこそ、研究を始めたころの自分に立ち戻り、何のために研究を続けてきたのか、その関心を思い出すことが重要です。大学院に進学するということは、そこに導く強い磁気が自分の中にあるわけですから、最後に支えてくれるのは、その磁気を生む、研究に対する強いこだわりです。それともうひとつは、研究者間のネットワークを構築することはもちろん重要ですが、そのうえで、社会に出た身の周りの人たちとの関係性を維持しておくことですね。社会人にとっての価値観を把握しておくことで、それでも研究の道を歩むことの意味が浮かび上がってきます。自分自身がなぜそこにいるのか、という単純な問いこそが、研究を続ける原動力になると思うので、そこを忘れずにいてもらいたいです。

――まさに本日のインタビューで十河先生にお答えいただいたことに示されていますね。ご著書の刊行準備も順調に進んでおられるとのことですので、非常に楽しみにしています。今後も頑張ってください。

(2023.7.19)
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