第10回未来への対話:AJI若手研究者へのインタビュー

Dr.桐原翠 インタビュー

future_09_header  食・触・職
~幼少期の関心から研究職へ。イスラーム食を通して感じる現地の感触~

―― 本日はよろしくお願いいたします。最初の質問です。桐原先生は、研究の道に進もうと思った、最初のきっかけはどのようなものだったのでしょうか? 現在の研究テーマと合わせてお教えください。

Dr.桐原:研究の道に進もうと思った最初のきっかけは、小学6年生の時に出会ったアフガニスタンについて書かれた1冊の本になります。書籍の中でアフガニスタンは、政権崩壊や長期に渡る紛争の影響により人々の生存基盤が崩れてしまった悲惨な国として描かれていました。私はそれに衝撃をおぼえると同時に、アフガニスタンの平和構築に強い関心を抱きました。そこからさらに関心が広がり、アフガニスタンやそれ以外の発展途上国、特にイスラーム諸国における紛争と人々の暮らしに強い関心を抱くようになりました。
学部時代には、東南アジア史を専門とする講義、ゼミナールを通じて史学とイスラーム学に関する文献講読を行い、イスラームへの興味が高まりました。卒業論文ではアフガニスタンと日本の交流史を扱いました。さらに紛争や問題を抱える国々の安定と解決するために学術的な分野で意義ある研究をしたいと考え、研究職を志望しました。
現在は、人が生きるための根本的な営みである「食」に着目し、イスラーム世界におけるムスリム(イスラーム教徒)の生存基盤の構築について、「食(イスラーム食/ハラール食)」の観点から研究を行っています。

――なるほど。幼少期の読書体験を基盤として、学部時代に、イスラーム諸国への関心を一貫して深めてこられたということですね。先ほどご指摘いただいたように、桐原先生は、イスラーム世界論のなかでも、特にハラール食品産業をご専門とされていますね。なぜそうした研究テーマを選んだのでしょうか?その経緯を具体的にお聞かせください。

Dr.桐原:はい。大学卒業後、京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科に進学した私は、東南アジアのマレーシア、湾岸諸国のドバイ、西アジアのトルコなどにおいて、ハラール産業の世界的な拡大とその展開について研究調査を行ってきました。「ハラール食品産業」と聞くと、食事に限定された話のように思う人もいるようですが、それは違います。「ハラール」とはアラビア語で「合法」、つまりイスラームの戒律から見て適正であるということを意味します。そのこととムスリムの実生活・社会がどのように関わっているのか、「ハラール産業」に関わりの深いマレーシアでの現地調査から見えてくることはたくさんあります。マレーシアでは、多民族国家であることから、多文化共存の工夫や、そこにイスラームがどのように根差しているかなど興味深い事例や発想が多く、現地に出向かなければ看取できないことはとても多いです。さらに、ハラール産業が世界的に展開している現状を、世界各地で開催されているハラール・エキスポ(展示会)に出向き、各地域の企業がどのような戦略でハラール産業に参入しているのかなどを聞き取り、研究調査を行ってきました。

――そうなんですか。私も「ハラール」を食事に限定されたものとばかり思っていた者の一人ですので、今のお話は大変興味深いです。ハラールは、イスラームの生活様式を形づくるルールの基礎のようなものなのですね。ところで、フィールド調査も多くされる桐原先生のご研究では、アラビア語やマレー語などもお使いになりますね。これらはどういった言語なのでしょうか?

Dr.桐原:アラビア語は中東の一部地域で使われている言語で、マレー語は東南アジア地域、マレーシアやブルネイで話されている言語です。文字に関しては、アラビア語はアラビア文字を使いますが、マレー語はアルファベットを使います。そうなるとアラビア語と、マレー語は、全く異なる言語に見えるかもしれませんが、両者には、相関性があります。

——それは興味深いです。どういった相関性ですか?

Dr.桐原:一例として、現代マレー語には、アラビア語と同等の発音・意味を表す単語があります。たとえば「辞書」という単語の発音はアラビア語でQāmūs、マレー語ではKamusと表記・発音します。さかのぼること15世紀には、アラビア半島と現在のマレーシアのマラッカ州辺りとの交易が盛んに行われていました。それが語彙に影響を与えてきたといえるようです。

——歴史的な地域間の交易活動のなかで両言語の結びつきが生み出されてきたのですね。桐原先生は、東南アジアのマレーシアや湾岸アラブ地域のドバイ、あるいはロンドンでも、多くのフィールドワークをされていますが、フィールド先での思い出や、印象に残っている出来事はありますか。

Dr.桐原:はい。先ほどの言語の話とつながりますが、マレーシアでのフィールド調査が多いこともあって、これまでマレー語の世界にどっぷり浸かってきました。マレー語の言い回しや方言による地域差などとても面白いなと思っています。特に、人に会ったらすぐに「sudah makan?(ごはん食べた?)」と聞き合うことは、とても素敵な文化だなと毎回思ってしまいます。

——そうなんですか。日本では「元気?」と挨拶として聞いたりしますが、「ごはん食べた」はより直接的でいいですね! 桐原先生にとって、フィールド調査の醍醐味はなんですか?

Dr.桐原:そうですね、これまでのフィールド調査のほとんどはマレーシアですが、ドバイやロンドンなどでのフィールド調査にもいろいろな出会いや思い出が多くあります。フィールド調査に向かう際には、飛行機や電車、バスといった様々な移動手段を使いますが、どれも長時間乗車していることが多く、隣に座った人と話をすることもあります。また、マレーシアでのフィールド調査では、現地研究者やそのご家族にお会いする機会がありますが、私を家族の一員の様に迎え入れてくれることが多いです。マレーシアという国の状況や私のフィールド調査や研究に関しての的確なアドバイスをくださることも多く、大変嬉しく思っています。現地の人々と生活をともにする中で、マレーシアの状況や雰囲気、価値観なども感じられています。

――現地の人々との関わりの中で、外から観察するのとは違った貴重な知見が得られそうですね。最近は、どういった研究テーマに取り組んでいますか?

Dr.桐原:近年マレーシアが推進している「ハラール経済(Halal Economy)」の動向に注目するとともに、日本の食文化や食品・製品がそこにどのように関わることができるのかについて研究しています。「日本の食」は世界中で注目度の高いテーマですが、日本の食とイスラーム世界との関わりについて研究者の視点から言及しているものは少ないと感じています。様々なニュースが世界中を駆けめぐる現代だからこそ、日本の立場や立ち位置を確立しておくことの重要性は計り知れません。そのような状況の中、「食」という誰もが必ず触れるテーマから世界との関わりを見つめ直す必要があるのではないかと考えています。

――イスラーム世界のハラールだけでなく、日本とイスラーム世界の間の「食」を通じた交流について研究されているのですね。それは大変興味深いテーマです。日本とイスラーム世界というのは、どのくらい文化的交流が活発なのですか?

Dr.桐原:たとえば2019年にサウディアラビアで「アニメエキスポ」が開催されました。日本のエンターテイメントがイスラーム世界で近年どのように受け入れられているのか、日本のエンタメのハラール/ハラームの議論についても興味深いところです。

――なるほど。アニメ・コンテンツについても、イスラーム世界ではハラールの観点から受容されるということですよね?

Dr.桐原:はい。これまでにもイスラーム世界では、日本のアニメ、漫画やキャラクターが注目を集めてきました。しかし、最近の動向からは、イスラーム世界におけるの日本のエンタメへの注目する視点が変わってきている、新たな視点に切り替わってきていると感じます。食だけでなく日本の文化がイスラーム世界に広がっているその様子を、ハラール産業の研究者という立場から、考察していきたいと思っています。

――大変興味深いです。宗教や文化の違いが、どのように日本の文化コンテンツの受容の仕方に影響を与えるかというのは、私としても興味があります。次の質問です。 大学院を修了して職業研究者としての道を歩まれる中で、どのような経験をなさいましたか?

Dr.桐原:大学院在学中の5年間の経験は、それまでの学部時代の私の研究への感覚を大きく変えました。学部時代に私が抱いていた研究者へのイメージというのは、「研究一筋」というものでした。研究者とは、孤独に黙々と研鑽する、というような。しかし、実際に研究の世界に足を踏み込んでみると、もちろん、文献を読んだり資料を調査したりする時には「研究一筋」の面も必要な要素ではありますが、加えて研究者とは多様なスキルを求められる職種なのだとわかりました。自身の研究内容を幅広い世代・分野の人々にわかりやすく伝えること、フィールド調査においてはコミュニケーション能力や探求心、さらに研究交流のために、研究会、国内・国際会議、ワークショップなどを運営するロジ能力が必要不可欠と実感しました。グローバル化が進む現在、研究者の役割に新たな変化が生じようとも、それに対応できる力や強さを持つことは重要であると考えています。
大学院を修了して以降、学振PDや現在の専門研究員という立場で、海外から研究者を招聘したり、日本で国際シンポジウムを組織したりするお手伝いをすることが増えました。大学院時代には、こうした研究者の招聘にかかる細かな作業は行ったことがなかったので、海外から研究者を招聘することの大変さを感じることもあります。ただ、大学院での5年間を通じて培われた様々な経験がありますので、それが徐々に活かされて研究者としてステップアップできていることも実感しています。

――なるほど。研究者を職とするために、研究ネットワークを具体的に組織したり、フィールド調査をスケジュールしたり、研究成果を発信したりといった多角的なスキルが要求されるのですね。若手研究者が大学院以降に直面する変化もそういったところにあるとしばしば聞きます。最後の質問です。これから、どんなプランを立てていますか。

Dr.桐原:今後もハラール産業に着目しながら研究を進めていきたいと考えていますが、これからは特に、日本のハラール産業や日本の食といった、これまで私自身が注目をしてこなかったテーマを開拓していきたいと思っています。前にも述べましたが、「日本の食」への世界的な関心や注目度は高いですが、踏み込んだ議論や研究が不足しているように感じます。
日本では食の研究というと、栄養や健康というテーマに焦点が当たりやすいですが、地域や文化に根差した視点から食を見ることに力を入れながら研究を進めていきたいです。

——食文化の多様な広がりについて、私も非常に興味があります。本日は、とても貴重なインタビューをありがとうございました。今後のご研究がさらに発展することを期待しています。

(2024.1.31)
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