第13回未来への対話:AJI若手研究者へのインタビュー
Dr.ユシ・ウィダラヘスティ インタビュー
——研究とアジアにおける「生きた現実」を繋ぐ——
——ユシさん、本日はお時間をいただきありがとうございます。まず初めの質問として、先生が研究者を志したきっかけを教えていただけますか?
ユシ: はい。学部生の頃から、将来自分に何ができるだろうかと常に考えていました。その後、インドネシア大学の修士課程で日本地域研究を専攻し、研究者として生きていく決意がより強固なものになりました。卒業後はインドネシアの複数の私立大学で教鞭を執り、キャリアをスタートさせたのですが、その中で「一人の学者として身を立て、力を尽くしたい」という思いが確信に変わり、本格的に研究の道へ進むことを決めました。
――ユシさんは東南アジア諸国と日本、双方の移民政策に焦点を当てて研究されていますね。このテーマを選ばれた理由は何でしょうか?
ユシ: ご存知の通り、アジアには長い移動(migration)の歴史があります。特に日本は、ポップカルチャーやソフトパワーを通して東南アジアの人々の心を掴んでいて、人気の渡航先の一つです。その結果、現在では東南アジア諸国が日本のいわゆる「ブルーカラー」部門を支える主な担い手となっています。1993年に技能実習制度が始まって以来、この協力関係は30年以上続いています。
こうした長い国際協力の歴史を見る上で重要なのは、単に政策やその実施状況、送り出し国側の特性を分析するだけではありません。「日本は単一民族国家であり、移民を受け入れない国である」という、ある種の神話を解き明かすようなエスノグラフィー的な視点を持つことです。送り出し国と受け入れ国、双方の文脈で、個々の人びとがこの移動のシステムの中をどう泳ぎ抜いているのか、その実態を捉えることが不可欠だと考えています。
――非常に興味深く、また現代的に意義深いテーマですね。ユシさんは博士号取得時から立命館大学にいらっしゃいますが、日本で学ぼうと思った動機は何だったのですか?
ユシ: 私は学生時代から、社会的不平等がなぜ生じ、繰り返されるのかという疑問を抱いてきました。私自身、労働者階級の家庭で育ったこともあり、周囲にある不平等や不当な扱いに触れるのが日常でした。特にインドネシアの高い失業率や相次ぐ解雇といった厳しい労働環境を目の当たりにし、人々がより良い生活を求めて海外へ渡る動機を肌で感じてきました。
実は、インドネシアで研究を始めた当初は日本研究が専門で、移民研究に没頭するつもりはなかったんです。ところが、学会などで香港や台湾、シンガポールを訪れるうちに、現地のインドネシア人労働者グループと接する機会がありました。彼らと対話を重ねる中で、直面している多様な課題を知ることになったのです。
――なるほど、主に東南アジア地域におけるインドネシア人労働者の人びとへの関心が、移民研究の出発点だったのですね。そこから、なぜ彼らの日本における状況へと関心をシフトしていったのでしょうか?
ユシ: 当時、メディアの関心は台湾や香港、マレーシア、サウジアラビアなどで働く労働者に集中しており、日本にいるインドネシア人労働者の実態はほとんど注目されていませんでした。また、当時の日本研究も語学や文化、ポップカルチャーが中心でした。そこで「日本にいる同胞たちの労働環境はどうなっているのか」という問いを立てたのです。
決定的だったのは、私の教え子たちでした。日本文学を学んで卒業した彼らが、インターンや技能実習生として日本へ渡ることを決めていき、中にはそのために大学を中退する学生まで現れました。彼らの「夢」の現実はどうなのか。強い好奇心に突き動かされ、住友財団の助成金を得て、日本で夢を追うインドネシア人労働者の実態調査を始めました。実際に日本でフィールドワークを行い、実習生たちの日常生活を目の当たりにしたことで、問題の複雑さを痛感し、より深い研究を行うために日本への留学を決意しました。
―― なるほど、研究への情熱は、ご自身の経験と強く結びついているのですね。当時、日本のインドネシア人実習生が直面していた問題について、具体的に教えていただけますか?
ユシ: 長年にわたるエスノグラフィー研究から見えてきたのは、彼らの抱える困難が「氷山の一角」に過ぎないという深刻な現実です。
例えば「出国前」の段階からすでに問題は山積みです。法外な手数料によって借金地獄に陥ったり、卒業証書や土地の権利書を担保として取り上げられたりするケースも少なくありません。さらに「妊娠禁止」「離職禁止」「逃亡禁止」といった、個人の自由を制限する契約を強要されることもあります。事前研修では日本語や文化以上に、軍隊のような身体訓練で「規律と服従」が叩き込まれます。一方で、肝心の「労働者の権利」や「法的保護」については教えられないため、何が自分たちの権利で、何が不当な侵害なのかを知らないまま来日することになるのです。
来日後も、この搾取の連鎖は続きます——身体的・言語的な虐待、偏見を持つ先輩からの差別などです。さらに、仲介業者や監理団体の職員は、労働者よりも企業の利益を優先しがちです。また、その職員自身も、不満を持つ実習生からの電話を24時間体制で受けるなど、過酷な環境に置かれている場合もあります。こうした「脆弱性の連鎖」が、構造的な問題として根深く存在しているのです。
―― 言葉を失うような厳しい現実ですね。次に研究生活についても伺わせてください。最初に来日された際、日本での留学生活はいかがでしたか?
ユシ:私自身が「家族・子供連れの移民」でもありますので、この経験からは多くの教訓を得ました。この意味で、私の研究は、私自身の人生を映し出す鏡のようなものです。
最初の半年間、家族と離れて暮らしていた時期は精神的な浮き沈みもありました。家族が合流してからの1年も、適応には苦労しましたね。特に、日本語が全く話せない状態で日本の学校に飛び込んだ子供たちの苦労は相当なものでした。幸い、優れた教育システムとサポートのおかげで、今では日本語も堪能になり、日本文化にも馴染んでいます。外国人の存在を気にかけ、包摂を助けてくれる学校の先生方には本当に感謝しています。ただ、こうした手厚い支援がどの学校でも平等に受けられるわけではない、という課題も感じています。
—— ご家族と一緒に生活する中で、多くの気づきがあったのですね。外国人の住民の方が日本社会に適応するための教育環境について、同じ境遇の方々の状況はどう思われますか?
ユシ: 地域によって差があるのが実情です。外国人が多い都市部の学校では、日本語指導や文化理解の体制が整っており、宗教的な配慮(ムスリムの礼拝室や、お弁当の持参など)もスムーズです。しかし、外国人が少ない地域の学校では、リソースや知識の不足から、十分なサポートが難しい場合があります。
今後取り組むべきは、単に「外国人が日本に合わせる」のではなく、双方向の学びを促進することだと思います。日本人が外国人を理解し、外国人も日本を学ぶ。歩み寄りによって生まれる「相互理解」、そしてその先にある「受容」こそが最も重要だと感じています。
—— 日常生活では、どのように日本語を使われていますか?
ユシ: 私の日本語はまだ完璧ではありませんが、コンビニや病院、子供の学校での面談など、日常のあらゆる場面で使っています。また、学校や病院で困っているインドネシア人の友人のために通訳ボランティアをすることもあります。
学生時代には飲食店でのアルバイトや、京都のインドネシア・日本友好協会(APJI)でのインドネシア語講師、日本の中高生向けのガイドなども経験しました。研究活動では、日本の企業やコンサルタントの方々へのインタビューも日本語で行っています。
—— かなり実践的で高度なコミュニケーションをこなされていますね!アジア・日本研究所(AJI)での研究活動はいかがですか?
ユシ:AJIからは非常に手厚いサポートをいただいています。同僚や先輩方もとても協力的です。論文執筆や国際会議、フィールドワークへの資金援助など、研究を発展させるための環境が整っており、このような健全で刺激的な環境にいられることを幸運に思っています。
——2025年9月にはAJI国際ワークショップ“Toward Enhanced ASEAN-Japan Mobility Cooperation: The Issues Surrounding Japan-Southeast Asia’s Mobility”を主催されましたね。私も拝聴しましたが、実習生を取り巻く実態や制度について非常に学びが多かったです。主催されての感想をお聞かせください。
ユシ: 国際ワークショップの運営は、私にとってかけがえのない経験でした。この分野の専門家の方々とのネットワークが広がりましたし、広報、スケジュール管理、予算計画、そして成果を出版物にまとめるスキルも磨かれました。
また、インドネシア、フィリピン、ベトナムといった東南アジア諸国と日本とのダイナミックな関係を多角的に学ぶことができました。AJIのチームワークの素晴らしさにも助けられましたね。
——最近の研究関心についても伺えますか?
ユシ:現在は、日本における「移民労働者のリプロダクティブ・ライツ」、SNSと移動の関係、そして移民の統合といったプロジェクトに取り組んでいます。エスノグラファーとして対象に深く入り込む今の仕事に、大きなやりがいを感じています。
――研究の幅をさらに広げられているのですね。最後に、今後の計画や目標についてお聞かせください。
ユシ:博士課程の時に、現代の移民問題の複雑さに立ち向かうため、「RUMI(ルミ)」というNPO団体を日本で立ち上げました。これはインドネシア語で「家」を意味し、日本にいるインドネシア人移民を支援するためのプラットフォームです。
活動を通じて、NGOや他の研究者と連携し、労働法や権利についての教育、アドボカシー(権利擁護)活動を直接行えるようになりました。私は、研究で得た知見を単なる知識に留めず、現場の脆弱な立場にある人々のために「良い変化」を起こす橋渡し役になりたいと考えています。ASEANと日本の移民研究において、グローバルな議論と公共の場を繋ぐ架け橋になることが、私の目標ですね。
——ユシさんのご活動は、間違いなくインドネシア、ASEAN、そして日本の間の強固な架け橋になるはずです。本日は非常に重要で興味深いお話をありがとうございました。