第14回未来への対話:AJI若手研究者へのインタビュー

Dr.塚原真梨佳インタビュー

future_14_header 無名の戦死者を記憶することはできるか
——学術とアートの間で近現代の軍事技術と社会の絡まり合いを捉える——

――研究の道に進もうと思った、最初のきっかけはどのようなものだったのでしょうか? 現在の研究テーマと合わせてお教えください。

塚原(敬称略):現在は旧日本軍・自衛隊の軍事技術開発(防衛技術開発)に関する技術言説や軍事技術に対する社会意識の歴史的変容について、メディア史や歴史社会学のアプローチから研究をしています。しかし、私は学部から社会学を学んでいたような、いわゆる社会学プロパーではなく、元々は美術大学で映像や現代美術を学び、映像作家として活動していました。ただ、作家として制作のモチーフにしていたのは、アジア・太平洋戦争において戦死した自身の大伯父をめぐる戦争記憶でしたので、現在の研究テーマと共通する関心は前々から持っていたように思います。

――もともと美術大学のご出身なのですね。それは面白いキャリアです。なぜ研究の道に進もうと思ったのでしょうか?

塚原:作家から研究の道へ進むことになったのは、自身の作品に対し、とある映画雑誌で「歴史への批評性が足りない」と批評されたことがきっかけです。確かに、私の作品はアジア・太平洋戦争に関する大文字の歴史ではなく、身内の戦死者の個人的な記憶や家族史、それらの記憶をめぐる私自身の心の機微を描くものでしたが、自分なりに大伯父の戦争記憶やその背後にある歴史については考え抜いて表現をしていたつもりでしたので、当時は「お前に何が分かる!」と大層憤慨したりもしました(笑)。しかし、少し冷静になってみると、「歴史への批評性を持つ」とは一体どういう態度や実践を指すのだろうかということが気になるようになりました。そこで、「歴史」というものを真正面から取り扱う研究の世界に足を踏み入れてみようと思ったのです。

――なるほど。悔しさをバネにしたわけですね。しかし、なぜ「歴史への批評性」から社会学へと向かわれたのでしょうか?

塚原:はい、当時の私の関心はあくまで大文字の歴史よりも戦死者である大伯父の記憶にありましたので、歴史学系の学会ではなく個人の体験や思惟を含めた戦争の記憶を取り扱っていた「戦争社会学研究会」という研究会に参加してみることにしました。これが社会学との最初の出会いになります。この研究会への参加をきっかけに、個人の体験や記憶を含めた歴史構築・変容のプロセスを分析することで、社会のありようを明らかにしていく「歴史社会学」という領域があることを知り、やってみようと思いました。また、大学院の指導教官となる先生ともこの研究会で出会い、立命館大学の社会学研究科への進学を決めました。

――なるほど。大伯父の個人的な経験の背後にある大きな歴史の流れへとご関心が向いていったわけですね。そこから、現在の歴史社会学と軍事社会学の枠組のもとでご研究するようになった具体的な経緯をお聞かせください。

塚原:歴史への批評性を身につけるぞ、と意気込んで大学院に進学したはいいものの、身内の戦死者の個人史では研究にはなりませんから(将校などの高官ならまだしも、大伯父は一兵卒の兵に過ぎませんでしたので)、入学後何を研究テーマにすべきかは随分悩みました。ただ、作家として大伯父のことを調査しているときに感じていた歴史や記憶というものをめぐる違和感を、研究を通じて解決したいとは思っていました。というのも、調査の際、大伯父の乗っていた戦艦や赴いた戦場のことを調べればたくさんの資料が出てきたのですが、一方で大伯父の個人名で何かを調べようとしてもほとんど何も出てこない、顔写真一枚見つけるのに3年かかるといった状況に常に違和感を覚えていました。それは「谷口常雄」という一人の人間の死が、社会的にほとんど記憶されていないことへの苛立ちだったように思います。シベリア抑留を経験した詩人・石原吉郎の「確認されない死の中で——強制収容所における一人の死」という随筆に「ジェノサイド(大量殺戮)という言葉は、私にはついに理解できない言葉である。ただ、この言葉のおそろしさだけは実感できる。ジェノサイドのおそろしさは、一時に大量の人間が殺戮されることにあるのではない。そのなかに、ひとりひとりの死がないということが、私にはおそろしいのだ。人間が被害においてついに自立できず、ただ集団であるにすぎないときは、その死においても自立することなく、集団のままであるだろう。死においてただ数であるとき、それは絶望そのものである。人は死において、ひとりひとりその名を呼ばれなければならないものなのだ。」という一節があります。この「死においてただ数であるとき、それは絶望そのものである」や「人は死において、ひとりひとりその名を呼ばれなければならない」という石原のテーゼは、まさに私の苛立ちの正体だと思いました。国家のためという大義の下で死んでいった大伯父が、その名前すら社会に顧みられることもなく、ただ数に還元されている。そのような事態がなぜ可能になってしまうのかという疑問が、研究の最初の問いとなりました。

――20世紀の総力戦につきまとう重要な問題ですね。石原吉郎の詩は、そうした時代の中でこそ記憶することがほぼ不可能にあることに打ちひしがれながら、その問題に真正面から向き合うものだと思います。また、塚原さんも研究の中でその問題に直面したわけですね。では、なぜそこから軍事技術をめぐる言説分析へと目を向けられたのでしょうか?

塚原:人が死において集団のままであるという事態を可能ならしめる要因はたくさんあると思いますが、私はその要因の一つとして「技術」に注目しました。ジョン・エリスが『機関銃の社会史』において、機関銃というテクノロジーの発明が過剰殺戮という概念を戦争に導入したと指摘したように、科学技術の進展が戦場における桁違いの大量死を可能にし、死の集団化や死者の数への還元をもたらしたと考えられるためです。とはいえ、私は技術の専門家ではないので、技術そのものの歴史というよりも、そのような非人道的な死をも実現する可能性を内包した「技術」をそれでも人が追求するのはなぜか、軍事技術の存在を支える人間の欲望や技術に対する社会の意識の方に注目しようと考え、このテーマを選びました。

――なるほど。確かに、機関銃の導入は総力戦における大量殺戮や大量死を可能にしたテクノロジーの一つですね。また、人々がそうした技術の発明をどのように表象したのか、という問題に目を向けたということで、大変興味深いと思います。塚原さんのご研究では戦艦や戦闘機など具体的な軍事技術に対するイメージの歴史的な変容をとらえようとなさっていますね。ご研究ではどのような調査方法を行うのでしょうか?

塚原:基本的には、歴史を扱う研究ですので史資料を発掘してそれらを読解していくのですが、歴史学であればまだ誰も目をつけていない資料を発見することに、一つ重きが置かれるかと思います。ただ、私の場合は、どこかに眠っている新しい資料を発掘すること自体よりも、誰でも容易に入手可能なありふれた資料をどう新しく読めるのかを考える方が好きです。また、軍事技術のイメージを構築してきたメディア、あるいは人々の軍事技術イメージが反映された資料というのは文字資料に限らず、映画や漫画・アニメ、博物館からプラモデルまで様々なものがありますので、一般的に史資料とは思われにくいメディアを扱うのも特徴の一つかもしれません。軍事技術に対するイメージをはじめ、何かに対する社会的なイメージというものは、多くの場合何らかのメディアを通じて構築され受容されていくものですので、その歴史的な変容を捉えるにはメディア史的なアプローチも重要です。しばしば「メディア史とは形式の学問である」ということが言われますが、メディアの中に描かれたテクスト自体の分析だけでなく、そのテクストがどんなメディアで描かれ、それがどのように流通し、人々に受容されたのかも同時に調査・分析を行います。例えば、雑誌であれば、どんな出版社や編集者がどのような編集方針のもとで編んだ雑誌なのか、出版部数などの発行状況はどうだったのか、どんなところで売られ、誰に読まれたりしていたのかなども調査の対象となります。そういった形式がテクスト自体を規定し、また、そのテクストがどう受容されるかを規定するためです。内容の分析と形式の分析を両輪で行うことで、イメージの歴史的な変容の実相と、いかにそしてなぜそのような変容が生じたのかを構造的に明らかにできると考えています。

――なるほど、興味深いです。マーシャル・マクルーハンの「メディアはメッセージである」という言葉は、まさにメディアの形式性を捉えた言葉ですが、それだけでなく、具体的なコンテンツがどのように受容されているのか、ということにも目を向けて、メディアの形式的な側面だけでなく、どのような社会的相互作用の中でコンテンツに対するイメージが形成されるのかをご研究されているということですね。2025年2月に『戦艦大和の歴史社会学ー軍事技術と日本の自画像』(新曜社)を上梓されましたね。ご著書の反響はいかがですか?

塚原:光栄なことに、新聞や学術誌などでいくつか書評をいただきました。また、本書をきっかけに研究テーマに関連した新聞記事や雑誌記事の執筆といったこれまで経験したことのない新たなお仕事をご依頼いただくこともあり、とても有り難く思っています。そして何よりも、本書は学術書ではありますが、研究者だけでなくミリタリーカルチャーに関心のある方や戦艦大和ファンの皆さんにもSNSなどで反響をいただけたことが一番嬉しいです。本書は博士論文を書籍化したものですが、専門家だけでなく広く軍事や技術、ミリタリーカルチャーに関心のある人々に読んでいただけるような本になればという方針で書籍化の作業を行いましたので、読んでもらいたいと思っていた読者層にもこの本を届けられたのであれば、それは嬉しいことだなぁと思います。

――それは素晴らしい。特に、昨年は戦後80年の節目の年でしたし、そのタイミングでの上梓ということも大変意義深いですね。次の質問に移ります。塚原さんは、これまで専門研究員としてアジア・日本研究所で研究活動をされてきました。国際的な環境のなかでご自身の研究活動に起きた変化などはありますか?

塚原:自分の研究をより広い文脈に位置付けることを意識するようになったことが一番大きな変化かと思います。英語で論文を書くとか国際学会で発表するとか、海外の類似研究の潮流に自分の研究をどう位置付けるかといった研究成果発信の面はもちろんですが、近現代日本社会における軍事技術イメージの構築という事象が、どのように世界の歴史や国際情勢の中に位置づけられるのかということにも意識が向くようになりました。これまでは、日本という国の中の軍事技術開発(防衛技術開発)、ミリタリーカルチャーといったさらに限られた領域のことを、重箱の隅をつつくように細々と研究している意識があったのですが、実際には、例えば戦後日本の防衛技術が戦後補償としてアジア諸国に輸出されていたり、近年戦闘機などの国際共同開発が活発化していたりなど、軍事技術開発(防衛技術開発)というものは国際的な社会・政治状況の中で展開していくものですし、また、それがイメージの次元にも影響を及ぼしているだろうと考えられます。ですので、日本国内の事例を研究していたとしても、それがどのような国際環境の下で生起し、変容してきたのかにも目を向けることで、日本社会の軍事技術に対するイメージや社会意識の新しい側面を解明できるのではないかと今は考えています。

——いまおっしゃられたことは非常に重要ですね。現代世界は国際政治的・軍事的な緊張関係が非常に高まっています。この状況の中で、軍事技術と政治・社会の歴史的な関係を明らかにしていくことには大きな意義があるでしょう。最近感じていらっしゃる研究の面白さは、どんなところですか。

塚原:これまでは、主に戦艦大和や零戦など戦前戦中の軍事技術の所産が、戦後日本社会においていかに再評価、再解釈されある種の偶像として成立していったのかを研究してきました。それは、すでに存在しないものが人々の想像力の中でいかにイメージとして再構築されたのかを明らかにする作業です。最近は、時代を少し下って自衛隊の装備品に関する言説や表象を主に分析していますが、自衛隊の装備品は現在でも運用されているものもありますし、今まさに開発・製造が進められているものもあります。そうすると、実際の技術開発・運用の動向と人々の防衛技術に対するイメージの絡み合いや力学が、リアルタイムに変動し、より生々しいものとして立ち現れてきます。そういった変化を読み解いていくと、現実の「技術」に対する人々の欲望やイメージがいかに生起するのか、そのプロセスがより明確に理解できますし、一方で、そうしたイメージが生起する現在のプロセスには過去の歴史が大なり小なり影響を与えているということも観察できます。

——具体的に、どのように過去の歴史が軍事技術へのイメージに影響するのでしょうか?

塚原:例えば、戦後日本の航空産業がどのように敗戦から再建しようとしたのかを最近は主に研究しているのですが、「日本の空に、日本の翼をもう一度」という戦後航空産業のモチベーションの背景には、戦前の「航空大国日本」という自意識があったことが分かってきました。このように、戦後日本社会という時空間と戦前戦中社会の連続性、言い換えれば、現在の社会の動向を歴史を紐解くことを通じて理解できることに最近は面白さを感じています。そしてもう一つ、戦前から現在までを通時的に研究してきたことで、軍事技術開発(防衛技術開発)やそれをめぐるイメージの構築には、戦前戦後一貫して合理性だけでなくある種の人間の情が密接に関係しているという共通点も見えてきました。軍事技術開発(防衛技術開発)というと、軍事的・政治的合理性あるいは経済的利潤や利便性の追求といった合理にのみ基づいて実施されているように思いがちですが、実際は自国の技術に対するプライドや技術に対する憧れ、技術的産物に美を見出す感性など合理性とは異なる人間の感情的な部分が軍事技術開発を推し進める推進力になったり、軍事技術に対するイメージに投影されたりしていることが資料を読んでいると分かってきました。ある先生が、「歴史社会学とは社会に生きる人々の心の歴史を描くことだ」と仰っていましたが、まさに社会の合理性だけでなく、どうしようもない人間の情のようなものを読み解いていくことが、最近はとても面白く、やめられないといったところです。

――私も感情・イメージ・合理性は切り離しがたく歴史の中で展開していくと思います。その意味でも、今のお話はとても興味深いですね。では、最後の質問です。これから、どんなプランを立てていますか。

塚原:原点回帰が今後数年のテーマになってくるかな、と思っています。研究を始めてからこれまでは、「技術」というテーマに基づき興味の赴くままに色々な事例を研究してきて、個別の事例においてどんなイメージがいかに生起し、変容してきたのかということについてはそれなりに知見が溜まってきました。しかし、研究を始めたときの最初の問いである「人が死において集団のままであるという事態がいかにして可能となってしまうのか」については、まだ十分に回答できていないように思います。もちろん、そう簡単に答えが出るものではないですし、研究者人生をかけて取り組んでいく問いなのだろうとは思いますが、このあたりでこれまでの個々の知見から、軍事技術に対する人々のイメージや社会意識が、死者の数への還元を実現してしまう可能性を内包した「技術」というものの追求や発展をいかに支え、正当化したのかということを一度考えておきたいと思っています。そして、そうしたイメージや社会意識の生起と変容のプロセスにおいて、死者の問題がどのように語られたのかということについてもまだほとんど取り組めていないので、今後研究していきたいと計画しています。そういった問いにアプローチしていく上で、まだ「歴史への批評性」が何なのか、それが十分に身についたかは分かりませんが、そろそろまた執筆だけでなく何か作品も撮りたいなと思ってはいます。昨年夏に研究者とアーティストがコラボレーションするワークショップを企画した際に、やっぱりアートは面白いなぁと思いましたし、研究における調査・分析や思考の結果は論文以外の方法でも表現できるのではないかと色々アイディアも浮かんできました。ですので将来的には、論文はもちろんそれ以外の方法も駆使しながら研究の成果を発信していく研究者・表現者になりたいです。

――2025年9月に開催した国際ワークショップ“How Can We Speak of War Memories Today? Reflections from Academic and Artistic Perspectives”ですね。私も聴講しましたが、研究者とアーティストが一堂に会して戦争の記憶とは何かを論じる非常に貴重かつ刺激的な機会となりました。塚原さんのご研究とご関心は、まさに学術とアートの接点において展開されていることが本日のお話で非常によく分かりました。今後のご活躍を大いに期待しております。本日はありがとうございました。

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