アジア・マップ Vol.04 | トルコ
《エッセイ》
トルコの都市/町: コンヤとハジュベクタシ町を中心に
トルコ共和国はアナトリア半島を国土とする。ヨーロッパとアジアの狭間に位置し、「東西文明の十字路」として知られるアナトリア半島だが、先史時代から様々な文明の中心地であった。ヒッタイト文明、アケメネス朝、アレキサンダー大王の征服とヘレニズム時代、その後のローマ帝国とビザンツ帝国、セルジューク朝、オスマン帝国、そしてトルコ共和国と、数々の国家が設立されてきた(Britannica 2026)。宗教や文化面でも、キリスト教やイスラーム教だけでなく、古くから続くアナトリア地域の様々な文化や宗教/宗派が数多く存在し、現在のトルコで息づいている。
エッセイでは、多様な文化や宗教が息づくトルコから、二つの都市・町を紹介したい。一つは有名な観光地であり、イスラーム神秘主義のメヴレヴィー教団が長く活躍した「コンヤ」である。もう一つは、オスマン帝国時代に「ベクタシ教団」としても知られた、アレヴィー派の聖地である「ハジュベクタシ町」である。ともに、トルコを代表するイスラーム神秘主義の聖者である「メヴラーナ・ジェラレッディン・ルーミー(Mevlânâ Celâleddîn-i Rûmî: 1207-73)」や、「ハジュベクタシ・ベリ(Hacı Bektaş Veli): 1209-71?/1248-1337?」と所縁のある地である。今でも、彼らを慕う多くの人々が同地を訪れている。
トルコは一連の世俗化改革によって、モスク以外の宗教施設を閉鎖してきた。「聖者廟」や「修道場」は博物館となり、宗教活動も抑制されてきた。しかし時代の変化とともに、イスラームが肯定的に評価されると、様々な宗教集団の活動が活発化していった。「コンヤ」も「ハジュベクタシ町」も、それぞれの宗教コミュニティによるアイデンティティの発信地となっており、政治的にも(私のような研究者からも)注目が集まることになった。エッセイでは、政治的問題にはあまり踏み込まないが、これらの都市・町の紹介を通じて、共和国建国以前から続くトルコ(アナトリア半島)の文化的・宗教的多様性の一端を見ていきたい。
コンヤはトルコの南西部に位置する(首都アンカラから高速鉄道を利用して短時間で行くことができる)。先史時代には定住が行われており、ヒッタイト時代の居住跡もある。歴史を通じて、ヒッタイト人、リディア人、ペルシャ人、アレキサンダー大王、ローマ人らが同地域を支配した。その後はササーン朝やウマイヤ朝、ビザンツ帝国の支配下に置かれてきた。コンヤは、トルコ人のアナトリアへの流入・定住のきっかけとなった1071年のマラズギルトの戦いの結果、ビザンツ帝国からセルジューク朝の支配下に入り、その首都として大いに栄えた。オスマン帝国時代でも重要な都市であり続け、今日に至っている(MDA 2026; TCKV 2019; TCKTBKİKTM 2026)。トルコを代表するイスラーム神秘主義教団の拠点があったコンヤは、国内有数の保守的な地域でもある(保守的なムスリムが多いとされている)。
コンヤを象徴する建物が、緑色の円錐型の屋根が美しい、メヴレヴィー教団の修道場であった「メヴラーナ博物館」である。メヴラーナは、13世紀に主にアナトリア及びコンヤで活躍したイスラーム神秘主義者・思索家であり、愛と寛容を広めた聖者としてイスラーム世界で幅広く知られている。メヴラーナの門弟から成るメヴレヴィー教団が実践する旋舞(Semah)は、音楽とともに無心のまま回転し踊り続け、その果てに神と一体となることを追求した宗教実践であり、ユネスコの世界無形文化遺産にも登録されている。また、博物館の近くにある「メヴラーナ文化センター」では、観光客用にアレンジされたものだが、メヴラーナ教団の旋舞を鑑賞することができる。メヴラーナはイスラーム神秘主義の真髄を著した「メスネヴィ」とともに、ヒューマニティに満ちた数多くの詩を残している。メヴラーナの愛と寛容のメッセージは、今なお多くの人々に感銘を与えており、親しまれている(Şafak 2026; Okatan 2024)。下記はメヴラーナの代表的な詩である。この詩は 、非ムスリムであっても、イスラームの教えに反する者であろうとも、それらを拒まずに受け入れるという、寛容のメッセージである。
「来なさい。来なさい。あなたが誰であろうと、また来なさい。あなたが異教徒であろうと、ソロアスター教であろうと、偶像崇拝者であろうと、また来なさい」
(Gel, gel, ne olursan ol yine gel, İster kafir,ister mecusi, ister puta tapan ol yine gel)
メヴラーナとその思想は、トルコで重要視されており、トルコの義務教育に含まれている。トルコのイスラームは、聖者信仰とともに、愛や寛容を強調する傾向がある。メヴラーナの思想は、イスラーム学者や教団関係者だけでなく、子供たちが学ぶべきトルコを代表するイスラームの文化・伝統・解釈・価値観として大事にされ続けている(鈴木 2020)。
コンヤは2009年から京都のパートナーシティになっており、コンヤ市内には「日本京都庭園」がある(京都市情報館 2026)。私が訪れたさいには多くの人々が散策しており、庭園内の飲食店では日本食(お寿司、焼きそばなど)の提供も行われていた。両市ともに、地域の文化や伝統を受け継ぐという点で、共通点があると言えるだろう。コンヤには、イスラーム教関連だけでなく、人類最古の定住跡であり世界遺産である「チャタルホユック遺跡」や、キリスト教初期の教会である「アヤ・エレナ教会」など、ヒッタイトから続く各時代の軌跡をそれぞれ見ることができる。コンヤは日本の大手旅行会社の旅程に入っていることも多く、トルコ各地からもアクセスしやすい。日本人観光客に是非立ち寄って頂きたい場所である。コンヤ(ならびにアナトリア)の歴史の深さと、文化的・宗教的多様性を大いに感じることができると思う。
次に紹介するのは「ハジュベクタシ町」である。有名な観光地カッパドキアの近くにある小規模な町である(トルコのほぼ中央部に位置する)。トルコ国民の多くはスンニ派ムスリムだが、少数派の宗教集団であるアレヴィー派の人々もいる。アレヴィー派の人々が尊崇する聖者が、13世紀に中央アナトリアで活躍した、イスラーム神秘主義者・思索家の「ハジュベクタシ・ベリ」である。「ハジュベクタシ町」は、その聖者の名を冠している。聖者ハジュベクタシ・ベリもまた、メヴラーナ同様に、愛と寛容の思想を広めた人物として知られている。ハジュベクタシ町一帯もアッシリア時代から人類が定住しており、コンヤ同様に多くの諸勢力が同地域を支配した。しかし同地域を支配していたセルジューク朝が、モンゴル軍の侵攻等により疲弊し、統治不全を起こすと、アナトリアに混乱が広がっていった。こうした困難な時代に現れたハジュベクタシ・ベリは、その教えによってアナトリアの統一に貢献し、トルコ語やトルコ文化を守護した聖者として評価されている。ハジュベクタシ・ベリの教えは、弟子の活動によって、アナトリアだけでなく、バルカン半島にまで拡大していった。ハジュベクタシ・ベリの門弟から成る「ベクタシ教団」は、オスマン帝国の常備軍であるイェニチェリの間にも広まり、多くの支持を得た(HB 2026a, 2026c; HBVKD 2026)。
アレヴィーの信仰形態は、12イマームシーア派やキリスト教、ゾロアスター教、マニ教、シャーマニズム、アナトリアの土着の文化・信仰等の様々な影響が見られる。その中でもハジュベクタシ・ベリの思想は、アレヴィー思想の重要な地位を占めている。ハジュベクタシ・ベリの有名な言葉に、「自分の手、舌、腰を制御しなさい(Eline, diline, beline sahip ol)」とある。こうした禁欲や自制を促す言葉は、アレヴィー派の道徳規範となっている(HB 2026b)。ハジュベクタシ・ベリの一連の思想は基本的人権や男女平等の思想としても知られており、ムスリム社会における女性の社会進出を後押しする価値観になっている。さらにハジュベクタシ・ベリの人物像や思想は、トルコの義務教育にも組み込まれており、メヴラーナと同様に子供たちに教えられている(鈴木 2020)。
アレヴィー派の聖地であるハジュベクタシ町は、小規模ながらも多くの人々が訪れている。「ハジュベクタシ・ベリ博物館」では、宗教儀礼で使用した装具類が展示されており、アレヴィー派に関する説明も要所要所で行われている。英語表記もあるため、外国人観光客も理解することができる。様々な展示物を通して、聖者廟や修道場が閉鎖される前の、イスラーム神秘主義の実践形態や、在りし日の彼らの姿を見ることができる。また、ハジュベクタシ町は、他地域と異なる様相を呈している。街角やバス・タクシー乗り場であっても、聖者ハジュベクタシ・ベリだけでなく、預言者ムハンマドの娘婿であり第4代カリフであるアリーや、その血統に連なる12イマーム、また抑圧からの解放/反権力の象徴である聖者ピル・スルタン・アブダル(Pir Sultan Abdal: 1547-90?)など、アレヴィー派が重要視する人物らが様々な形で展示されている。
アレヴィー派の信仰は「異端」として、スンニ派からの迫害の対象でもあった。アレヴィー派も自らの宗教実践を外部に対して長らく秘匿してきた(鈴木 2020)。こうした背景を踏まえるならば、「ハジュベクタシ町」全体を通して、アレヴィーアイデンティティの表象が勢力的に展開されていることが分かる。残念ながら、ハジュベクタシ町は一般的には知名度も低く、カッパドキアにやって来た観光客がわざわざ立ち寄るような場所ではないだろう。観光をしていても、半日たらずで十分に回れてしまう程度の規模である。しかしこれほど小さな町の中にも、深い歴史とともに、トルコ最大の宗教的マイノリティ勢力のアイデンティティのルーツが存在することが、トルコ研究者にはとても魅力的に映る。
ハジュベクタシ・ベリ博物館内の様子(左)と町内の様子(右)。アレヴィー派の信仰は、聖者ハジュベクタシ・ベリだけでなく、12イマームシーア派の信仰とも類似点があるため、土産物でもそれらに関連したものが売られている。(筆者撮影)
エッセイで紹介した都市・町以外にも、トルコの各地域にはそれぞれ豊かな歴史的背景がある。様々な人物が活躍し、文化的・宗教的実践が展開され、後世へと引き継がれていった。トルコには、「トルコ民族」や「スンニ派イスラーム」に連なるものだけでなく、様々な諸民族の文化・宗教が存在している。それらがトルコの政治社会的ダイナミクスさや、多様性の表出に繋がっている。その一方でトルコでは、国民社会に亀裂をもたらすという理由で、抑圧されているマイノリティ集団や文化的・宗教的実践も数多く存在する。トルコ(アナトリア)の歴史的・文化的な「豊かさ」ではなく、トルコ社会の一体性への「脅威」として見られているのである(鈴木 2020) 1
トルコは、クルド問題や様々な民族・宗教問題を抱えているため、多様性には否定的であるか、それらを警戒してきた。エッセイで紹介した「メヴラーナ博物館」や「ハジュベクタシ・ベリ博物館」にしても、すでに国家によって「観光地化」、「博物館化」されたものであり、国家による管理監督を通じて安心して外部から見ることができる「鑑賞物」になっている。義務教育課程の教科書に記載されている文化や宗教・価値観もまた、トルコ国家にとって無害であり、国民に安心して学ばせることができるものである2 。トルコ政府によってポジティブに喧伝されている「文化」や「宗教」、「多様性」がどのような背景によって選び抜かれ、称賛されているのか。反対にどういったものが規制の対象となっているのかを知ることは、トルコの多様性のありかたをめぐる諸問題や、解決すべき課題を知るうえで、とても有益なアプローチとなる。それは各観光地に関する公的刊行物からも、ある程度理解することが可能となっている(一例ではあるが、なるべく「トルコ民族」の文化や歴史に重複するように説明が行われるなど)。
多民族多宗教を抱えながらも繁栄を極めたオスマン帝国の後継国であり、他者への「愛」や「寛容」を唱える聖者の遺産が数多く残るトルコにおいて、紆余曲折を経ながらも、クルド人やアレヴィー派の文化を含めて、真の意味で多様性が共存・表出可能になり、歴史的遺産が公正に評価されることを、筆者も期待したい。
【参考文献】
Britannica, 2026, “Anatolia: historical region, Asia,” (Retrieved April 2, 2026, https://www.britannica.com/place/Anatolia).
Hacı Bektaş Belediyesi (HB), 2026a, “Bektaşilik,” (Retrieved April 2, 2026, https://www.hacibektas.bel.tr/web/bektasilik/).
――――, 2026b, “Dünya Görüşü,” (Retrieved March 30, 2026, https://www.hacibektas.bel.tr/web/dunya-gorusu/).
――――, 2026c, “Hacı Bektaş Veli Hayatı,” (Retrieved March 30, 2026, https://www.hacibektas.bel.tr/web/haci-bektas-veli-hayati/).
Hacı Bektaş Veli Kültür Derneği (HBVKD), 2026, “Tarihçe,” (Retrieved March 30, 2026, https://www.hacibektasdernegi.com/ilcemiz/tarihce).
京都市情報館, 2026, 「コンヤ市 (トルコ共和国)」 (Retrieved March 30, 2026, https://www.city.kyoto.lg.jp/sogo/page/0000073205.html).
Mevlana.com, 2026, “Mevlana 'nin Sözleri,” (Retrieved March 30, 2026, https://www.mevlana.com/tr_TR/mevlananin-sozleri/).
Mevlana Development Agency (MDA), 2026, “Invest in Konya: History,” (Retrieved April 2, 2026, https://www.investinkonya.gov.tr/konya/history).
モーリス=スズキ, テッサ, 2002, 「批判的想像力のために―グローバル化時代の日本」平凡社.
Okatan, Halil İ., 2024, “Mevlana’s Philosophical and Religious Approach to Dialogue and Tolerance,” Synesis, 16(3): 120-152.
Şafak, Yakup, 2026, “MEVLÂNÂ CELÂLEDDÎN-İ RÛMÎ'NİN ESERLERİ,” (Retrieved March 30, 2026, https://www.konya.bel.tr/s/eserleri).
鈴木慶孝, 2020, 「<トルコ国民>とは何か―民主化の矛盾とナショナル・アイデンティティー」慶應義塾大学出版会.
T.C. Konya Valiliği (TCKV), 2019, “Zamanı Aşan Şehir Konya,” (Retrieved March 31, 2026, https://www.konya.gov.tr/konya-tarihi).
T.C. Kültür ve Turizm Bakanlığı Konya İl Kültür ve Turizm Müdürlüğü (TCKTBKİKTM), 2026, “İlimizin Tarihçesi,” (Retrieved March 30, 2026, https://konya.ktb.gov.tr/TR-370532/ilimizin-tarihcesi.html).
Transanatolie.com, 2026, “Prehistory and History of Anatolia-Turkey-Türkiye: Every Year,” (Retrieved March 30, 2026, https://www.transanatolie.com/english/turkey/Anatolia/Chronology/history-anatolia.htm).
【脚注】
1代表的なものは、クルド人に関係するものが挙げられる。一部のイスラーム神秘主義の教団も該当する。アレヴィーの実践や指導者層も、宗教的亀裂をもたらすと警戒されている。
2テッサ・モーリス=スズキ(2002)の議論を参考に記述した。モーリス=スズキは、日本における文化的多様性のあり方が、管理可能な形態か、空間に展示されているものに限られており、既存の制度の構造的改変を迫らないことが条件になっていると指摘する。つまり「鑑賞物」として無害化されたうえで、文化的多様性が外部に示されているといえよう(モーリス=スズキ 2002: 152-156)。多様性の共存への忌避感が強まる現代社会において、非常に示唆に富む指摘となっている。
書誌情報
鈴木慶孝 《エッセイ》「トルコの都市/町: コンヤとハジュベクタシ町を中心に」「アジア・マップ:アジア・日本研究Webマガジン」Vol.4, TR.4.02(2026年7月28日掲載)
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji2/asia_map_vol04/turkey/essay01