所長室から
1.コロナ禍の到来とDXの必要性
DXないし「デジタルトランスフォーメーション」という言葉をよく聞くようになった頃、あるIT企業の専門家から、「しばらく前まで、IT革命ということが流行でしたが、今では、DXですね」と聞いたことがある。「なるほど」と、合点がいった。要するに、パソコンが普及し、インターネットが当たり前になり、電子メールが日常化する中で、IT(ICT)革命、デジタル化、等々の言葉で鼓舞されてきたことが、今度は「トランスフォーメーション」という動きのある用語で推進されている、ということなのだ。
そう思うと、DXには、「デジタル化による自己変革」というニュアンスも感じられる。同じ頃、ある有名なタレントが、CMで「DX」を「デラックス」の略と勘違いしている部長の役を演じていた。部下がその勘違いに困惑しているのを尻目に、部長は「これからはデラックスだよ」と連呼するのである。ところが、CMの最後では、「デジタルトランスフォーメーション」の語を部長はすらりと言ってのけ、部下を驚かせる。中年の部長は、自己変革して、時代に追いついてみせたというわけである。
コロナ禍のいろいろな出来事の中で、日本社会は同調圧力が強いということが、しばしば話題となった。筆者は、アジアや中東を対象とする地域研究を長年続ける中で、日本社会には協調性を非常に強調する文化があることに気がついていたので、さもありなんと、あらためて思った。1980年代には、日本では「国際化」の重要性が強調されるようになったが、世界の国々を訪れると、そういうことを強調する社会はまれで、「国際化」の強調が国内的な同調性の1つとして発露していることが、非常に面白い事例と思われた。
1990年代以降の「グローバル化」でも同じような国内現象が見られたが、今度は、日本は国際社会の中でもグローバル化の旗振りをする存在となっていた。日本のような先進国で影響力がある国が、「グローバル化が必要」という主張をすると、国際的にも波及効果が生じる。ところが、国内を見ていると、日本はグローバル化を外から迫られているという認識や議論もあって、その自己認識と客観的な実像のギャップもとても興味深く感じられた。
「エッセイ」ということで、軽めの文章を書こうとしたら、最初から脱線気味になってしまい、申し訳なく思います。そういう時は「閑話休題」と言い訳して、話を戻す手法もあるので、ここで、話を元に戻します。DXの話です。
2020年が明けてまもなく、世界的なコロナ禍が広がり始めました。3月には、日本で在外研究をしていた知人が、非常に苦労してようやく航空券を手配して帰国したり、北アフリカの西端でフィールドワークをしていた親しい研究者が、空路が一部閉鎖され国際便が減少する中で、ヨーロッパ2カ国を経てようやく帰国したり、筆者の周辺もあわただしくなってきました。筆者自身も、3月末に、ある国での国際会議に招待されていたのに対して、やむをえず欠席の知らせを出したら、まもなく会議そのものが注視となりました。
アジア・日本研究に限らず、世界の国々について研究する諸分野では、突然始まった国際的な人流と物流の縮小、断絶に対して、驚きと困惑が広がりました。しかも、それが数ヶ月の現象ではなく、年単位となる気配が見えると、どうやって研究を続けるべきなのか、状況は深刻さを増しました。
それに対して、「研究者は、何が起ころうとも、研究を止めることはできない」という思いから、本研究所では、『アジアと日本:コロナ禍に直面して』と題して、「研究者エッセイ・シリーズ」の連載を始めました。第1回目の中で、筆者は、こう書いた。
〔筆者の研究者生活の中で〕戦乱などで、中東の一部の地域に入れないということは時折あるが、人の国際的な移動がここまでなくなる事態に出会ったことはない。世界が一気に変わるという点では、1973年の第4次中東戦争と第1回石油危機、1979年のイラン・イスラーム革命と世界的な宗教復興、1989年の冷戦の終わりとグローバル化時代の始まり、2001年の9・11事件など、多くの経験をしてきた。今回は、そのような激動のどれをも超えている気がする。
そして、文章の終わりでは、
「コロナ時代」とそれを継承する「ポストコロナ時代」には、研究のあり方も大いに変わらざるをえないと思う。あるいは、そのように覚悟を決めておくべきように思う。このエッセイ・シリーズは、その時代にアジア・日本を対象とする研究者がどう対応しているのかを、まだ「答のない」今からでも、書き継ぐという趣旨で始めたい。アジア・日本研究の同時代史的な一次資料とならんとして。
と締めくくった。 https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/publication/essay1/vol1/number01/
文の中にはDXという言葉は出てこないが、半年に及ぶ11回の連載の内容を見ると、デジタル技術の利用を拡大することが、コロナ禍による危機への対応策であることは一目瞭然である。本研究所でのDX推進は、このようにして始まった。