目に見えるものをどのように認識するかによって、世界のあり様はまったく変わる。知覚に現れてくるものと現れてこないものの探究。私たちが日常生活で「当たり前」だと思いこんでいることに向き合うことから哲学は始まる。亀井大輔、横田祐美子は現象学ならびに脱構築思想の研究を通して人生の、世界の豊かさを探求している。
2009年、日本で初めて「現象学」を主眼に置いた研究拠点「立命館大学間文化現象学研究センター」が設立された。
グローバル化が進み、人の移動もコミュニケーションも複雑化する現代、「異文化との遭遇」は、もはや日常生活の中で当たり前に起こるものになった。「その中で種々の文化を単に横並びにして比べても、『異文化』と『自文化』の遭遇が持つ切迫した関係は見えてこない。『異文化』を『外側』から見るのではなく、私たちの経験に刻まれた『内的』なものとして捉え、その経験のあり様を内側から解明していくという現象学的な手法で『間文化性』を研究することを目指しています」。センター開設時からその一翼を担ってきた亀井大輔は設立の目的をこう説明する。
亀井によると、現象学は20世紀初頭、ドイツの哲学者フッサールによって提唱され、後にハイデガーに継承されて多くのフランスの哲学者に多大な影響を与え、ヨーロッパ全土、さらにはアメリカ、アジアへと広がった。研究センターには、谷徹を筆頭に加國尚志ら立命館大学で現象学やそれに関わりの深いドイツ・フランスの哲学、倫理学を研究する研究者が結集。最初の5年間は「言語」「離合」「精神」「共存」「時間」の5つのテーマで間文化的現象の構造解明に取り組んだ。センターの特長は、各々が「間文化性」について研究するだけでなく、研究そのものを「間文化的」に実践するところにある。国内外の現象学研究者との交流や連携を積極的に行うとともに、国際的な共同研究やワークショップ、国際シンポジウムなどを実施してきた。
設立から10年を過ぎ、本センターは、いまや日本を代表する現象学研究拠点として世界の研究者からも認知される存在に成長している。「また若手研究者の育成にも力を注いでいます。学生の修士論文や博士論文が相次いで出版されるなど、次代を期待する若手が育っています」と亀井は力を込める。
次の10年に向け、本センターはテーマも新たに動き出している。「脱構築と批判理論」「21世紀の倫理学」「間文化性の現象学」「芸術の現象学」という4つのプロジェクトを立ち上げ、精力的に研究を展開している。ここから次代に輝く新しい言葉、新しい概念、新しい文化が創り出されることが期待される。
「脱構築と批判理論」の研究プロジェクトを主導する亀井は、脱構築の思想家として今なお世界に影響を及ぼしているジャック・デリダ(1930-2004年)に着目し、フッサールやハイデガーら20世紀前半のドイツの哲学者との関係性を含めて研究している。
「ハイデガーは、『存在を思考する』ためには伝統的な存在論を一度解体する必要があるとして、『存在論の解体』を唱えました。その思想を受け継いだデリダは、『存在』の問題からさらに拡大し、ヨーロッパにおける『知』のあり方そのものを揺り動かすことによって、それまで捉えることのできなかったものを思考しようとした。その試みが『脱構築』です」。そう説明した亀井は、デリダの脱構築の思想がいかにして形成されてきたのかを解明しようと試み、著作『デリダ 歴史の思考』にまとめあげた。
それによるとデリダは、フッサール現象学の研究で注目され、1963年以降、ルーセやフーコー、レヴィナス、バタイユなどの書評や論考を発表。1967年に『グラマトロジーについて』『エクリチュールと差異』『声と現象』の三つの著作を刊行した。研究にあたり、とりわけデリダの思考を貫くテーマとして亀井が注目したのが、「歴史」というモティーフである。「西洋で受け継がれてきた言語や概念を継承する者は、西洋の概念システムの内部でしか思考することができません。それに対し、伝統的な概念を受け継ぎつつ、それを内部から揺り動かすことで、形而上学的な概念システムに囚われることなく思考不可能なものを思考しようとするところにデリダの主眼はあります」。こうして概念的な歴史を超えて歴史そのものが思考に現れることを亀井は、「歴史の思考」と呼ぶ。このモティーフを手がかりにデリダの三冊の著作を丹念に読み解き、その思考の形成過程を詳らかにした。
この研究で亀井が「歴史」の主題に迫る重要な文献として取り上げたのが、デリダの「ハイデガー講義」である。これは、デリダがハイデガーの著書『存在と時間』を翻訳・読解し、全9回の講義を行った際の講義録で、亀井はその日本語訳・出版にも携わった。「ハイデガーがドイツ語で記した著作をデリダはフランス語に翻訳しました。今回、英訳版に続いて私たちが日本語訳を完成させた。翻訳においても間文化的な経験をしました」と亀井は振り返った。
従来の結婚式を受け入れつつ、新しい可能性を開く「脱構築」の実践
一方、現在亀井のもとで研究する横田祐美子は、2019年2月、「結婚式のデモクラシー」をテーマに自らの結婚式を挙行し、その模様を「脱構築の実践」として詳報している。
その中で横田は、「結婚式を準備する際のあらゆる場面で、既存の結婚式が男尊女卑や家父長制の思想を色濃く受け継ぎ、再生産する場になっていることを感じた」と述べている。そして伝統的な儀礼やマナー、慣例に身を任せているだけで、こうした思想の強化に加担することになると指摘した。この事実に気づきながら、横田は儀礼としての結婚式を「やめる」という選択はせず、既存の男尊女卑的構造を転換させる結婚式を目指したという。その理由を「脱構築」の実践という観点から横田はこう説明する。「『結婚式のデモクラシー』とは、ジャック・デリダがその著書『ならず者たち』で述べたような、男尊女卑的な要素と女尊男卑的な要素が代わる代わる登場する『輪番制』としてのデモクラシーです。デリダは、デモクラシーを『輪番制』として積極的に捉え直すことで、地位や権力の固定化を拒み、『伝統』とされてきたものの呪縛を解こうとしました。『脱構築』は、二項対立に陥ることなく古い構造を破壊し、新しい構造を生じさせる戦略として理解されています。重要なのは、批判対象を前提として一旦はその規則に則ることで『内側から』構造を改変することです」。つまり横田は、従来の結婚式の内部に入り込み、内側からそれを解体して新たな結婚式の可能性を開こうとした。こうして「脱構築」を実践して見せたのだ。
同様に横田は、SNS全盛の現代においてフェミニズム運動を持続可能なものにしていくためには、先人たちの「知の遺産」を受け継ぎ、それを踏まえながら新しい流れを創り出していかなければならないと説く。「例えばデリダの脱構築の思想を受け継ぐフランスの思想家サラ・コフマンは、フロイトの『女というもの』をひも解き、彼が用いた『男性性』『女性性』という言葉を保ったまま、既存の意味とは異なる意味を与えようとしました。脱構築思想における『遺産継承』とは、古い概念を反復しつつ、既存の文脈とは異なる文脈で語り直すこと、過去の知の蓄積を変容させつつ生き延びさせることを指します」。
デリダに影響を与えた一人であるバタイユを研究する横田もまた、バタイユのテクストを別の文脈で読み直そうとしてきた。バタイユの「エロティシズム」についての論考においても、その男性的な思考から女性的な思考を引き出すことができると語る。
「これからも脱構築の思想家たちのテクスト実践に倣いつつ、新たな思考や運動を創っていく必要があります」と横田。その先にこそ、性別を問わずあらゆる人が自分らしく生きられる社会があるのだろう。