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  • ISSUE 10:
  • いのち

テクノロジーが「生きる」意味を変える

脳神経科学のテクノロジーが機能回復、さらには能力増強を可能にする。

美馬 達哉先端総合学術研究科 教授

    sdgs03|sdgs09|

科学技術の発達はいまや「病気」や「生きる」ことの意味さえも変えようとしている。
機能的MRIや脳波などの技術によって脳の活動状態をスキャニングする手法が開発され、例えばALS(筋萎縮性側索硬化症)で寝たきりの状態の人が問いかけに対して頭の中でYes・Noで答えた結果を捉えることができるようになったと報告されている。この研究はさまざまに広がり、植物状態で意識がないと思われている人の中に実ははっきりと意識があり、認知活動を行っている人が少なからずいるという事実がわかった。

「自由にならない身体の中に閉じ込められて誰にも気づかれない恐怖と絶望はどれほどのものでしょう。それがもしコミュニケーションを取ることができるようになるとしたら、患者本人はもちろんその周りの人々にも大きな希望になるはずです」。そう語る美馬達哉は脳神経内科医、神経科学者として長く人間の脳活動計測に携わってきた。もし植物状態と思われていた人と意思疎通できたら、本人そして本人を取り巻く人々の生きる意味や生き方の選択肢は大きく変わるに違いない。「この技術と機械の補助でやがて身体を動かせるようになるかもしれません。しかし、根本的に難病を治すことはできません。テクノロジーには限界があるのです」と言う美馬は、臨床医学の側面からテクノロジーを追求すると同時に、病気や障害をもつ人の「思い」や「生き方」にも関心を持ち、医療社会学的なアプローチでも研究している。

脳神経科学の専門家として美馬が焦点を当てるのが、神経の「再組織化」である。「人間の細胞はあらかじめ決まった臓器や組織に分化しているので、例えば胃がんで胃を切れば、胃は無くなったままです。それに対し、脳機能には可塑性があって傷ついても回復し得るのです」と美馬。脳のどこかの部位が損傷すると、他の神経細胞が形態や機能を変化させて損傷部位の代わりに機能を果たすようになる。これが「再組織化」と呼ばれる現象だ。美馬はこの能力を高め、脳卒中などで四肢に麻痺が残った患者の機能回復に役立てようとしている。

「この研究領域で近年注目を集めているのが、『脳直流刺激』という手法です」と紹介した美馬。頭皮に電極を当て、2mA程度の微弱な直流電流を脳の中に流すことで、脳の神経細胞の再組織化を促すというものだ。実際に脳卒中の後遺症で片麻痺のある患者の頭蓋から腕の運動をつかさどる大脳皮質部分に直流電流で刺激を与えたところ、運動によるリハビリテーションと同様の効果が得られたという事例も報告されている。

しかしこの画期的な技術は当初の目的とは異なる方向へも波及している。「このテクノロジーを健康な人に用いたらどうなるかと考える人が出てきました」と美馬。健康な人の脳に電気刺激を与えて感情や身体能力をコントロールする「エンハンスメント(能力増強)」の研究が進み、例えば前頭葉に電流を流すと記憶力が促進される、海馬に電気刺激を与えると恐怖感を抑える効果があるといった成果が次々報告されているという。「さらにこの手法をスポーツ選手に用いることで記録を伸ばす事例が知られるようになったことから、『これはドーピングではないか』と指摘され、疑問視されるようになってきました。テクノロジーの発達は医療倫理や生命倫理という側面で新たな問題を投げかけてきます」と美馬は語る。

科学技術の追求が病に苦しむ人を救うことにつながるのは間違いないが、技術だけでは解決できない問題も数多くある。そのため美馬は立命館大学生存学研究センターに拠点を置き、「生存とは何か」という視点から脳神経科学に留まらず、病気や障害を多面的に捉えようとしている。その一つとして病気や障害を負った当事者が「それをどのように意味づけているか」にも関心を寄せる。

「脳卒中で言葉が不自由になった人は自分が発しにくい言葉を避けたり、言葉ではなくうなずくといった態度で示して障害を見えにくくすることで社会生活をスムーズに送ろうとします。そうした行動は病気に限らず、例えば在日外国人など言語的なマイノリティの人に共通の行動だと推察できます」と美馬。こうした多様なマイノリティの人々の「経験」や「世界に対する意味づけ」を知ることで、社会のマジョリティが無自覚にかたちづくっている「正しさ」や「常識」に別の光を当てられるのではないかという。

立命館大学生存学研究センターでは多様な学問領域の研究者、大学院生が組織を超えて連携し、「生存学」を基軸に多面的な研究・教育を行っている。多分野の知見を融合することで、美馬の今後の研究にもさらなる広がりが期待される。

美馬 達哉MIMA Tatsuya

先端総合学術研究科 教授
研究テーマ

脳死と臓器移植、精神疾患の社会学、脳可塑性など

専門分野

医療社会学、神経生理学・神経科学一般、神経内科学