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  • ISSUE 19:
  • 地域/Regional

平和をうたう政治と宗教

ヨルダンの政治指導者が主導する宗派間の融和

池端 蕗子衣笠総合研究機構 准教授

政治と宗教の関係が論じられる時、テロや暴力、深刻な対立といった側面に焦点が当てられがちだ。「しかし政治と宗教が関わるのは、決して暴力的な局面ばかりではありません。宗教が暴力や対立を抑え、宗派間・宗教間の融和や国際平和を目指すベクトルにはたらくこともあります」。そう語る池端蕗子は、中東のヨルダンを対象に、宗教と国内・国際政治がどのように結びついているか、そのダイナミズムを研究している。着目するのは、武力や暴力ではなく、「言葉」で平和を志向する規範をつくろうとする政治と宗教の営みだ。

「ヨルダンは、現在ハーシム王家が統治する君主制国家です。王家も含め国民の90%以上がイスラーム教徒(ムスリム)です」。池端は、2014年に初めてヨルダンを訪れて以来、たびたび足を運び、フィールドワークをおこなってきた。現地でしか手に入らないアラビア語の文献や情報を収集し、また王族主導型NGOなどへのインタビュー調査を敢行。町の空気、市井の人々のリアルな声も含め、そこにいるからこそ得られる知見や着眼を研究に生かしている。

「現国王のアブドゥッラー2世(在位1999年~)をはじめハーシム王家は、政治的指導者でありながら宗教的な話題を積極的に発信しています。こうした政治的アクターの宗教的発言がヨルダン国内外でどのような意味を持つのか、政治戦略としての意義と宗教思想史上の意義の両側面を捉えようと試みています」。例えばハーシム王家は自らが預言者ムハンマドに連なる血統であることをさまざまな場面で主張している。宗教的な権威を強調することで、ヨルダン国内で王家の正当性を保つためだと池端は説明する。またアブドゥッラー2世の従兄弟にあたるガーズィー王子は、王家の一員であると同時にイスラーム法学者としての側面を持ち、国王の宗教部門アドバイザーを務めている。いわば宗教が政治に権威やお墨付きを与える役割を果たしているのだ。

このように宗教が政治に利用されるだけでなく、政治が宗教に新しい展開をもたらすこともあるという。池端が注目したのは、ハーシム王家がイスラーム諸国に対し、宗派間・宗教間の問題について対話を促す発信を続けてきたことだ。その代表例が、2004年に国王の名のもとで発表された「アンマン・メッセージ」である。「これは現存するイスラーム法学派の名を列挙し、それらをすべて『正当である』と明言し、イスラーム内部の宗派間の和合を説きました」。これだけ広い範囲で宗派・学派を認めようと訴えるのは、非常に新しい試みだった。

その後「アンマン・メッセージ」は複数の国際会議に提出され、イスラーム諸国の間で承認・合意される。2005年にはイスラーム諸国会議機構(OIC)主催のイスラーム諸国首脳会議に提出され、全会一致で可決された。「特筆すべきは、この合意が『ウラマー』といわれるイスラーム法学者たちだけでなく、各国首脳、つまり政治指導者も含めた形でなされたことです。政治主導で宗教に関する国際的なコンセンサスを創ったことは、イスラーム思想史上でも新しい展開でした」

ヨルダンがこうした対話・融和に尽力したのには政治戦略的な意図があったことはいうまでもない。自らがイニシアティブをとって国際的な合意形成に成功すれば、アブドゥッラー2世は国際的な評価を獲得し、王家の権威や正当性を国内外にアピールできる。「しかしそれだけではありません。ヨルダンの政治的主導者の発信が国際的なコンセンサスを形成し、最終的に『ムスリムとは誰か』を定義する新しい国際規範を創出した。これは宗教が政治性を持つ現代における国際政治の動きの一端ともいえます」と池端は分析する。

アンマン市街地(2020年)
アンマンにてモスクと教会が並ぶ(2016年)
アンマン書店街(2020年)

さらに今、イスラーム世界に留まらず、世界の中で国際的なコンセンサス形成に関わり、存在感を発揮していこうとする動きがあります」と池端。これまで国際規範は、西洋社会の主導でつくられてきた歴史があり、そこにはさまざまな形でキリスト教的な規範意識が埋め込まれてきた。それに対してイスラーム諸国は、イスラームの立場から国際規範を再構築し、世界に打ち出していく道を模索しているという。

そうした新しい規範形成を目指すイスラーム世界で重要な役割を果たすのが、ウラマー(イスラーム法学者たち)だ。「世界が直面する現代的で多様な課題に対応するため、ウラマーたちは今、国籍や宗派、学派を超えて国際的にネットワークをつくり、法学的な見解を生み出す営み『集団的イジュティハード』に取り組んでいます。例えば臓器移植や生殖医療の是非、あるいは新しい金融システムの可否など、新しい事象についてチームで議論し、その見解を国際社会に向けて発信しています」。池端の次なるテーマは、こうしたウラマー・ネットワークと国際政治の関わりについて探究することだ。これからもイスラーム世界の知られざる側面に光を当てていく。

ペトラ遺跡(2014年)
「ヨルダン第一」の落書(2014年)
アカバ港(2014年)

池端 蕗子IKEHATA Fukiko

衣笠総合研究機構 准教授
研究テーマ

宗教の国際関係、ヨルダンの宗教戦略、国際規範形成における宗教

専門分野

中東地域研究、国際関係学