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  • ISSUE 22:
  • 観光/ツーリズム

カンボジアの古典舞踊はいかに継承されてきたか

伝統芸能の継承に変容をもたらす「外部からの眼差し」

羽谷 沙織国際教育推進機構 准教授

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1000年以上の歴史を持つカンボジアの古典舞踊ロバム・ボランが、近年観光資源として注目されている。羽谷沙織は、比較教育学の観点からロバム・ボランの芸道的徒弟教育に注目。現地調査をもとに、ロバム・ボランがどのように継承されてきたのか、歴史的変遷を追っている。

政治体制に翻弄された古典舞踊の継承のかたち

古典舞踊ロバム・ボランは、カンボジアを代表する伝統文化の一つとして知られている。近年カンボジアでは、こうした古典舞踊が観光資源として脚光を浴びている。「2003年にユネスコ無形文化遺産に登録されてからは、政府も観光客を呼び込む手段として積極的に振興策を打ち出してきました。古典舞踊は、カンボジア国民の大多数を占めるクメール民族の『クメールらしさ』、いわばアイデンティティを表象するものでもあります。観光客向けのエンターテインメントとして消費されることには懐疑的な見方もありますが、グローバル化の中で同国が『クメール性』を保っていくための戦略とも結びつき、古典舞踊の振興が後押しされています」。そう解説した羽谷沙織は、比較教育学の視角から、古典舞踊ロバム・ボランがどのような変容を遂げながら今日まで継承されてきたのか、その歴史的変遷を追っている。

羽谷によると、ロバム・ボランは1000年以上の歴史を持ち、神への奉納、王の神聖性を可視化する儀礼として、長く宮廷の中で継承されてきた。18世紀、ノロボム王の治世には、500名程の女性舞踊家を宮廷に住まわせ、厳格な管理体制の下で徒弟教育を行っていたという。しかし近代以降は、政府の体制が変わるたびに舞踊継承のあり方も変容を迫られてきた。「1953年にフランスから独立した後、シアヌークによって近代国家建設が進められる中で、1965年から高等教育改革が実施されます。その一環として王立芸術大学が創設されると、舞踊継承の場は宮廷から大学へ変わっていきました」

国内だけでなく、舞踊の継承は、カンボジア国外でも展開されている。「1975年に始まったポル・ポト政権下で、国内の芸術教育は停止に追い込まれました。弾圧から逃れ、海外に亡命したカンボジア難民、いわゆるディアスポラが、各国でロバム・ボランの継承に取り組んできました」。アメリカには15万人のカンボジア人が移住。その中で継承の中心的役割を担ったのが、カリフォルニア州ロングビーチに定住したクメール系ディアスポラだった。「その一人に、世界的なロバム・ボランの舞踊家・指導者のプルムソドゥン・アオクがいます。アオクは2015年にアメリカからカンボジアに場所を移し、同国初のゲイ男性古典舞踊団を創設。新たな舞踊継承の担い手として世界に活躍の場を広げています」

世界的なロバム・ボランの舞踊家・指導者のプルムソドゥン・アオク。アメリカに亡命した難民だったアオクは、2015年にカンボジアに場所を移し、ゲイ男性古典舞踊団を創設した。

舞踊教育の学校化の中で継承された徒弟教育

羽谷は、現在国内唯一の総合舞踊教育学校である王立芸術大学とディアスポラによる民間舞踊学校で調査を実施。稽古参加と参与観察、教師・生徒への聞き取り調査を行い、芸道的徒弟教育において、何が継承され、何が変容したのかを明らかにしている。

「歴史的に見ると、宮廷時代のロバム・ボランの技の継承は、模倣反復が主流でした。教師の動きを目で見て、また教師が体を触って指導する感覚を覚え、それを繰り返すことで体得したのです。それが1960年代に入り、舞踊教育の学校化の中で、口伝指導が行われるようになります。最も顕著な変化は、カリキュラムが導入されたことです。これにより舞踊学校を中心に、よりフォーマルな教育体制が整備されていきました」

一方で変わらずに継承されてきたものもある。一つ目は、ソムペアハ・クルー(師匠崇拝)といわれる師弟関係だ。一人の教師との濃密な関わり合いの中で、教師の人間性や職業観にも触れながら芸を学ぶ芸道的徒弟教育で、この関係は生涯にわたって続く。羽谷の調査によって、教師への敬意を可視化するソムペアハ・クルーの儀礼が、現代のディアスポラ民間舞踊学校にも浸透していることが確認された。

二つ目は、踊り手を女性に限定することだ。「10世紀までは男性舞踊家が踊っていたという記録が残っており、歴史的には女性に限られてきたわけではありません。ところが18世紀にロバム・ボランを踊れるのは身体特性上女性だけだという言説が作られて以降、批判的考察がなされないまま『伝統的』なものとして、今も踏襲されています」と言う。

2003年から2005年、カンボジアにてフィールドワークを実施。王立芸術大学で踊りを習う子供たちと一緒に。

課題を乗り越え
国外で古典舞踊を継承

羽谷は、カンボジア国内だけでなく、国外の動きも注視している。「『ロバム・ボランを継承するのは女性か男性か』というように、国内では矮小化されがちな議論も、芸道的徒弟教育における性別やセクシュアリティ、ジェンダーを含めた問題として、国外のディアスポラたちが乗り越え、新しい継承のあり方をつくろうとしているのが見て取れます」と言う。アオクの創設したディアスポラ民間舞踊学校が、ゲイの男性を包摂したことも、その一つの表れと見る。「こうした国外のカンボジア人が、国内の古典舞踊の継承にどのようなインパクトを与えるのかについても見つめていきたい」と羽谷。日本のディアスポラにも関心を向けている。最近、神奈川県在住のクメール系ディアスボラたちによるロバム・ボランの継承の取り組みについて、研究に着手した。「こうした人々にとって古典舞踊の継承がどのような意味を持つのかについても検討していくつもりです」

グローバルな世論が、古典舞踊の継承に変容をもたらすチャネルの一つになるかもしれない。「外部からの眼差し」という点では、カンボジアを訪れる観光客もその役割を担い得ると羽谷は考えている。

羽谷 沙織HAGAI Saori

国際教育推進機構 准教授
研究テーマ

1. Ethnography of Khmer classical dance: transmission, transformation and transgression.
2. Comparative education study on diaspora community culture: can Cambodia’s first gay classical dance company serve as legitimate stewards of the dance?
3. タイ=カンボジアを越境する子どもたちと国境を越えた教育機会
4. カンボジア古典舞踊ロバム・ボランの観光化:観光舞踊が担う「正しい」クメール文化の表象と妥協

専門分野

比較教育学、教育人類学、身体教育学