ここ数年外国人観光客が急増し、日本中がインバウンドビジネスに湧いている。中国や欧米からはもちろん、近年は東南アジアからの訪日客も目に見えて増えてきた。こうした人々の多くが「食」を来日目的の一つに挙げる。飲食関係者の間でも訪日外国人の受け入れ態勢の整備が課題となる中、とりわけ急がれるのが食の禁忌や忌避への対応だ。
「世界人口の少なくとも三分の一は信条や宗教による禁忌や忌避を持っています。加えてアレルギーのある人も少なくない。しかし日本ではこうした禁忌や忌避への対応が十分進んでいるとはいえません」。文化人類学者としてインドネシア共和国で「食」についてフィールドワークを行い、ハラール研究でも多くの実績を持つ阿良田麻里子はこう指摘する。
日本の外食・中食産業界では、知識がないために配慮を欠いたり、逆に何もかも排除して「おいしい食事を提供する」という基本をなおざりにしてしまうことが少なくないという。そうした現状に対し、阿良田は多様な禁忌や忌避を持つ人々に飲食を提供する方法を提言している。阿良田が最も重視するのは「情報開示」だ。「飲食店でメニューを表示する際には、まず2種類意識する必要があります。『鶏の唐揚げ』『ポテトサラダ』のように主な食材とそれをどのように調理したかがわかる『メニュー情報』と、少量の物も含めて使用したすべての材料がわかる『材料表示』です」。単に嗜好に合わせて料理を選ぶ場合はメニュー情報で事足りるが、アレルギーや宗教的禁忌を持つ人には材料の情報が欠かせない。詳細な表示が難しい場合は「ポークフリー(豚不使用)」「ミートフリー(肉不使用)」といった表示をつけるだけでも多くの人が料理を選びやすくなるという。
また阿良田は文字情報だけでなく「フードピクト」による表示法も推奨する。フードピクトとは株式会社フードピクトが提供する14種類のピクトグラムで、主な宗教的禁忌やアレルギー源をカバーしており、ヴェジタリアンにも対応する。「ただしフードピクトを使用する場合はガイドラインの厳守が条件。勝手に取捨選択してはなりません」と釘を刺す。「ホテルのビュッフェでアレルギー源の特定材料7品目だけにフードピクトが表示されていたらどうでしょう。ヴェジタリアンの客が肉や魚の表示がないとは夢にも思わず料理を口にしてしまうかもしれません。これではフードピクトの意義が損なわれてしまいます」。
しかし、アルコールの表示には注意を要するという。宗教上の理由からたとえ酩酊性がなくても酒由来のものを使った飲食物をすべて避けたい場合と、妊婦や運転手のように酩酊性のある飲食物を避けたいだけの場合の二つのニーズがあるからだ。前者の場合、調味料として酒やみりん、酒精を添加した味噌等を使うこともだめと考える人もいるのでフードピクトはこちらに従っているが、後者の人にとっては紛らわしい。「アルコールを提供する店では例えば『大人向け』『お子様もOK』などプラスαの情報を表示するといい」と阿良田は提案する。
近年フード・ビジネスの世界で注目されているのが「ハラール」だ。阿良田によると「ハラール」とは「イスラームにおいて許されている物事、イスラーム法に照らして合法的な物事」を指すという。食のハラールについては、流通のグローバル化や食品加工の複雑化によって一見して判断できない飲食物が増えてきたことから、認証機関が「ハラールである」とのお墨付きを与える「ハラール認証」が重要性を増している。「ハラール認証」を取得してムスリム市場に参入を図る企業が登場する一方、飲食店や宿泊施設では対応に苦慮する例も見られるという。
しかし、「多くの人が誤解していますが、ハラール=ハラール認証ではありません」と阿良田。「そもそも認証は20世紀末になって生まれたごく新しい制度です。また、ムスリムの間でも宗派や法学派によってハラールの解釈は多様だし、食の嗜好や習慣も国や文化によって異なります。認証を取得していなくてもムスリムから実質的にハラールであると判断され、消費されている場合もあれば、その逆もあります。認証取得よりも重要なのは、他の商品と同様、消費者のニーズや嗜好に合わせ、適正価格で商品を提供すること、そして顧客からの信頼を得ることです」。
「最も危惧すべきは非ムスリムが勝手にハラール性を判断することです」として、浅薄な理解で「ノンハラールだ」と決めつけ、リスク回避のために過剰防衛する風潮を憂慮する。
「ムスリム、ユダヤ教徒、ヴェジタリアンなどそれぞれにタブーな食べ物はあっても豊かな食の世界を持っているという点では私たちと同じです。そうした世界の人たちに日本の食を楽しんでもらうためには、それぞれの人が自分の判断で食を自由に選ぶことができる環境を整えることが重要です」と力を込めた。