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  • ISSUE 10:
  • いのち

命の終わり方を法律で定めることはできるか?

台湾で進む、終末期医療を巡る法制化

鍾 宜錚

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人は誰でもいつかは死ぬ。しかし「どのように死ぬか」に対する考えは人によってさまざまだ。「最期をどう迎えたいか」を考え、死と向き合うことは「どう生きるか」を問うことでもある。

鍾宜錚は出身国である台湾を中心に日本をはじめ東アジアにおける死生観や死にまつわる概念・慣習が、医療技術の高度に発達した現代にどのような意味を持っているかに関心を持っている。中でも焦点を当てるのが、終末期医療を巡る法律との関わりだ。

鍾によると、終末期や安楽死などに関する法律が整備されておらず、関連学会が公表したガイドラインでとどまる日本とは対照的に、台湾は東アジア諸国の中でも終末期医療にまつわる法制化が最も進んでいる国の一つである。その台湾で2016年1月、患者の自己決定権を規定する法律「患者自主権利法」が成立したというニュースは、日本でも大きなインパクトをもって受け止められた。

「台湾では2000年に『安寧緩和医療法』という法律が成立し、終末期患者に限って延命治療の差し控え・中止が法的に規定されています。この法律により、本人の事前意思または家族の代理決定による延命治療の拒否が認められてきました」と鍾は説明する。それに対して新たに成立した「患者自主権利法」の大きな改変点は、「終末期のみならず昏睡状態や遷延性意識障害(植物状態)、さらには重度の認知症患者、特定の難病患者にも事前指示によって延命治療の差し控え・中止を認めたこと」だという。終末期以外の患者に延命治療の差し控え・中止が法的に認められたのは、東アジアで初めてのことだった。

この法制化を巡って鍾が問題を提起するのは、条文に「善終の権利」という文言が明記され、「善終」が法制化の目的とされた点だ。

「『善終』とは台湾で『善い死』を意味する概念です。中華文化では『死』という言葉を口に出すことを忌み、それを避けるために遠まわしに『善く終わる』と表現されてきました。中華民国教育部が編集した『重編国語辞典修訂本第五版』にも『善終』の記載があり、『天寿を全うして安らかに逝く』『亡くなった家族に対する哀悼の意を表し、葬送儀礼を善くする』と記されています」という。鍾が注目するのは、この文化的な「善終」という概念が死ぬ当人だけでなくその家族にも属するものだと解釈されているところだ。「台湾には最期を家で迎えるために、患者本人の事前指示あるいは家族の代理決定に基づいて瀕死状態の患者を退院させる『終末期退院』という慣習があります。一般に『最後一程(最後の旅)』などといわれ、自宅で亡くなることを『善終』と捉える台湾人の死生観が現れています。もし死に瀕した患者に意思決定能力がない場合には、長男をはじめ家族の決定によって自宅に連れ帰ることが『善し』とされてきました」と鍾。

先の「安寧緩和医療法」でも本人はもとより家族の意思決定が認められている。しかし現実には「医療現場で患者の意思表示が十分に尊重されておらず、本人より延命治療に対する家族の意思が優先されている」ことに加え、「『死』を語ることが忌まわしいとされ、終末期医療に関する本人の意思確認も家族に妨げられている」との報告がなされる中で、本人の自己決定を重視する流れがつくられ、新法では患者の希望を中心として「善終」が語られることになったと鍾は説明する。

鍾は「患者自主権利法」の成立経緯をつぶさに検討し、「善終」の法制化がどのように進められたかを明らかにしている。それによると、特に大きな影響力を持っていたのは、新法の提案者である元立法委員の楊玉欣だった。自身が三好型筋ジストロフィーを患う楊委員は「すべての患者に医療を拒否する自己決定権がある」と主張し、その法制化の強力な推進力となった。

「立法院の専門委員会で楊委員は、植物状態に陥って本人の意思が確認できず、延命措置で生き続ける状態を『特殊な状況』とし、こうした患者にも『延命しない』という選択肢があるべきだと強調しました。楊委員と彼女に賛同した多くの委員の中に植物状態は『救うに値しない』という共通見解があったともいえます」と指摘した鍾は、こうした状態になった患者の「延命しない」という意思に従うことが自己決定権の尊重であり、「善終」であるとする楊委員の論点に懐疑的な目を向ける。

「こうした経緯で定義された法制上の『善終』は文化的に認識された『善終』の概念を狭める可能性があり、それに沿わない患者やその家族の意思決定がかえって阻害されることにもなりかねません」と鍾。伝統的な慣習に則って自宅で死を迎える。あるいは最期について言葉ではなく本人と家族の阿吽の呼吸で理解し合う。終末期医療の法制化によってそうした「死の伝統」に則った慣習と実態との間にかい離が起こるかもしれないと懸念する。

こうした問題は台湾のみならず日本でも十分起こりうる。「文化は似ていても法制化に対する態度は国によってかなり違います」と実感を口にした鍾。日本において終末期医療に対する法制化の議論への関心が高まりつつある中で、鍾の研究が示す視点は大いに参考になるだろう。

鍾 宜錚Yicheng Chung

研究テーマ

日本と台湾を中心に「良い死」をめぐる言説と実践の分析及び終末期医療の法制化の動向の考察

専門分野

哲学、倫理学、文化人類学、民俗学