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  • ISSUE 11:
  • ことば・文字・コミュニケーション

「異端」とされた宗派の言葉を読み解き、知られざる思想に迫る

中世に誕生し、現存する稀有な宗派「ヴァルド派」の歴史を追う。
『崇高なる読誦』La Nobla Leyczon(Mss.C.5.21., Trinity College Library of Dublin)

有田 豊政策科学部 准教授

    sdgs10|

中世ヨーロッパで誕生し、カトリック教会から「異端」と断罪されながらも、現代まで命脈を保ち続けてきた「ヴァルド派」という宗派がある。有田豊は、日本ではほとんど知られていないヴァルド派研究の第一人者として、世界でその名を知られた存在だ。

有田によると、ヴァルド派は12世紀末にフランスのリヨンで生まれた民衆による説教集団で、キリスト教プロテスタントの一派であるという。1184年に「異端」とされて以来、長らく地下活動を続けてきた。さらに1532年の宗教改革で改革派と教理的に合同した後も「ヴァルド派」としての組織、名称を800年以上にわたって守り続けてきている。中世以降、異端視された宗派のほとんどが排斥されたり、他の宗派と合併したりして歴史から消えていった中で、なぜヴァルド派は絶えることなく今日に至ったのか。「ヴァルド派としての『アイデンティティ』は、教理以外の部分にあるのではないか」と考える有田は、それを突き止め「ヴァルド派とは何か」という壮大な問いに答えを見つけようとしている。

有田の研究の特長は、信者の視点からヴァルド派の実態を詳らかにしようとしているところにある。「異端研究が難しいのは、迫害と焚書によって『異端』と呼ばれた側の人々の手による史料が残っていないことが多いからです。そのため研究では、迫害した側であるカトリック教会の視点で書かれた文書を参考にせざるを得ません。しかし、ヴァルド派の場合、中世から現代まで数多くの文書が残されています。それらをひも解くことで、当事者の視点からヴァルド派の思想に迫ろうとしています」。

しかし、文書が残っているとはいえ、それを読解するのは容易なことではない。中世期の文書の多くが現代では使われていない古語で書かれていることに加え、ヴァルド派が歴史の中で使用言語を何度も変化させてきたためだ。有田は時代ごとに使用された言語から、ヴァルド派の歴史を詳らかにしてみせた。

ヴァルド派女性信者の火刑
(ジャン・レジェの『ヴァルド派の歴史』から、1669年)
ヴァルド派教会シンボルマーク « LUX LUCET IN TENEBRIS »
ヨハネ福音書・第1章5節の「光は闇の中で輝く」という一文に由来しており、ヴァルド派が「福音の光」をもたらす燭台のような存在であることを意味している。

「これまでにヴァルド派は、大きく6つの言語を使用してきました。まず12~13世紀に使用されたのは古プロヴァンス語です。創始者のヴァルドは、自身が住んでいたリヨンで使われていたこの言語で、聖書を翻訳したといわれています。続く13世紀から16世紀にかけては規模拡大に尽力し、宗派内での教育やヨーロッパ各地での布教のために数多くの翻訳聖書や教理書、歴史書が編まれました。宗派内部で用いられた文書は古オック語で、また外部の宗教改革者向けの手紙等はラテン語で書かれています」

最大の転換点は、16世紀の宗教改革。ヴァルド派はフランス語圏のスイスで宗教改革に参加し、プロテスタント化するに伴って、言語もフランス語を使うようになる。以来、現代までヴァルド派教会内の第1公用語はフランス語となった。さらに19世紀以降、イタリアの福音化を目的としてイタリア語が第2公用語に採用され、また同時代には一部の信者がスペイン語圏の南米ウルグアイに移住したことから、スペイン語が第3公用語になったという。

「おもしろいのは、ヨーロッパ各地のヴァルド派のコミュニティの中にフランス語以外の言語が使われている地域があることです」と有田。13~14世紀にかけてピエモンテの谷に住んでいたヴァルド派信者たちが南イタリアのカラーブリア地方へと移住して築いたという町の1つ「グアルディア・ピエモンテーゼ」がそれにあたる。ピエモンテから遠く離れたイタリア南部のこの集落では「ピエモンテーゼ」(ピエモンテ方言)という認識で、今もオック語が話されているという。宗派の地理的な変遷が数百年後の現在も人々の言語に影響を及ぼしているというから驚きだ。

『これがローマ教会からの我々の離別の原因である』
Ayczo es la causa del nostre departiment de la gleysa romana(Mss.C.5.25., Trinity College Library of Dublin) 中世ヴァルド派史書の1つ。著者不明。執筆言語は古オック語(リングア・ヴァルデーゼ)。現存する写本は1編のみで、16世紀初めごろに成立したとされる。全2部構成で、前半には信仰についての表明が、後半にはカトリック教会に対する批判が記されている。未校訂写本のため、その正確な内容については現在もまだ明らかになっていない。拡大する
『崇高なる読誦』
La Nobla Leyczon (Mss.C.5.21., Trinity College Library of Dublin) 中世ヴァルド派詩編の1つ。著者不明。4編の写本が現存しており、15-16世紀頃に成立したとされる。全492行にわたって、黙示録にある終末論、聖書の歴史書部分の概観、イエスの教えや活動の記録、カトリック教会への批判などが記されている。ヴァルド派信者が説教師としての基礎知識を修得する目的で作成されたようで、教理書的な性格を備えている。拡大する

古オック語、ラテン語、フランス語、イタリア語などで書かれたヴァルド派に伝わる文書を精読し、分析してきた有田だが、中でも最近の大きな成果が『崇高なる読誦』の翻訳である。この文書は、中世期にヴァルド派が自らの思想を著した詩編の1つで1420年代頃に成立したとされる。有田が翻訳したのは現存する4つの写本のうち最も古い版で、羊皮紙に韻文で書かれている。

翻訳にあたっての難題は、文書が “lingua Valdese(リングア・ヴァルデーゼ)” という言語で書かれていることだった。「リングア・ヴァルデーゼは古オック語を土台とする、15世紀のアルプス地方で使用されていた言語の亜流、方言のようなもの。中世ヴァルド派の文書の多くが、この言語で記されています」と解説した有田。現在では使われておらず、正確な意味を調べる辞書もないため、有田は様々な言語の知識を生かして一語一語解読していった。

「『崇高なる読誦』を分析した結果、興味深いことがいくつかわかってきました。『正統』なカトリック教会を暗に批判しているところもその一つです。中世ヴァルド派信者が、迫害されている自らこそが聖人であり、正統な使徒の後継者であると自負していることが読み取れます」。さらに有田は、聖書の概略部分の中に誤った解釈があることにも注目した。「聖書を最重要視するのがヴァルド派の特徴の一つ。その彼らがなぜ聖書の解釈を誤ったのか。関心は尽きません」。

有田の研究によって、数百年前に記された詩の数々からヴァルド派の知られざる姿が浮き彫りになるかもしれない。

関連情報

有田 豊ARITA Yutaka

政策科学部 准教授
研究テーマ

ヴァルド派思想史

専門分野

ヨーロッパ文学