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地下から出土した簡牘から中国古代の行政システムを復元する。

畑野 吉則HATANO Yoshinori

衣笠総合研究機構 助教
研究テーマ

通信システム、書記行為

専門分野

中国古代史・東アジア史・簡牘学

まず研究概要をお教えください。

畑野:中国古代の秦漢時代(BC3~AD3世紀)における行政システムについて研究しています。中でも文書逓伝(もんじょていでん)システム、現代でいう郵便の仕組みに焦点を当てています。

主な研究資料としているのは、「簡牘(かんとく)」です。簡牘は、木や竹に文字が記された札のことで、20世紀以降、中国各地の古井戸や古墓から大量に出土しています。国のトップで編纂された文献史料に対して、簡牘は役人の日々の業務などが細かく記録されています。こうした断片的な情報を繋ぎ合わせて彼らの仕事を再構成することで、行政システムの復元を試みています。

例えば、公文書の逓伝記録が記された簡牘を調べると、発・受信者や日付を記すための定型フォーマットがあり、現代のわたしたちでも頷ける仕組みが看て取れます。このように、2000年前の人々の営みに親近感を持ったことが、研究の道に進むきっかけでした。

とりわけ私が重視しているのが、現地に赴き、簡牘の実物や出土した遺跡・遺構を調査して、多様な情報に触れることです。簡牘の表面に記された文字情報だけでなく、背面や側面に遺された削り跡など、多様な資料体情報から多くのことがわかります。

具体的な例を挙げれば、これまでの研究で中国甘粛省(かんしゅくしょう)文物考古研究所に訪問し、漢代の簡牘「懸泉漢簡(けんせんかんかん)」を実見調査しました。公開されている図版ではわかりませんでしたが、実物をじっくりと観察すると側面にわずかに文字の痕跡が確認できました。どうやら、二枚一対の簡牘の側面に文字を記し、割り印のような仕組みを用いて、それぞれの真実性を担保する工夫があったようです。

これまでの研究成果をお聞かせください。

畑野:秦代遺跡から出土した「里耶秦簡(りやしんかん)」にみえる「追書」という公文書の仕組みに着目しました。文書逓伝に関する法律条文「行書律」には、「追書」とは、文書への返答が滞った場合に、再度文書を送ると明記されています。ところが里耶秦簡の追書に記された文書の発・受信の日付を調べると、返答が届く予定日よりも早い日付で追書が送られた事例が複数確認できました。そうすると追書は、返答の有無にかかわらず一定の間隔で発信される仕組みだったと考えられます。この現象は、現代でいう「リマインダ」の機能に相当すると考えています。

その他に研究で明らかになったことをお聞かせください。

畑野:簡牘に記された情報と、文献史料に記された内容を比較することにも関心を持っています。そのひとつに、簡牘資料から復元した逓伝システムと、『史記』の王温舒(おうおんじょ)列伝に描かれた社会システムを対照した研究があります。王温舒は前漢・武帝の治世に地方長官を歴任した官吏で、法律をもとに厳格に民を取り締まった「酷吏(こくり)」として言い伝えられています。『史記』には、王温舒が河内郡の長官に着任した際に、私馬50匹を備えさせ、河内から都の長安までの道程に駅を増設したことが記されています。その後、郡中の有力者を捕らえた上で、長安へ死刑に処すことを請願するための「上書」という公文書を送り、短い期間で刑を執行し終えたことが記されています。しかし、文献史料を読んだだけでは、なぜ王温舒が馬や駅を増やしたのかという理由はわかりません。そこで、簡牘から復元した逓伝システムをみると、死刑を請願するための文書「上書」は必ず馬で駅を経由して送る、というルールの存在が明らかになりました。つまり王温舒が馬と駅を増やしたのには、最短期間で刑を執行するという狙いがあったのだとわかります。これは、文献史料と簡牘資料とを照らし合わせることで古代人の意図が理解できた興味深い事例です。

今後の展望をお聞かせください。

畑野:現在、簡牘に遺された多様な痕跡から、古代人の書記行為を復元する研究を進めています。そのひとつとして、簡牘に記された筆跡を数値化する研究に取り組んでいます。里耶秦簡には、一枚の簡牘に複数件の内容をまとめて記載した「複合文書」が大量に存在します。その中には複数人の筆跡が混在していると推察されますが、それを科学的に実証する手だてがありませんでした。そこで私は書家との共同研究で、筆跡の特徴や癖を数値化し、分布図として示す手法を考案しました。複合文書の中に、何人の筆跡が存在するのかを正確に認識できれば、当時の複雑かつ高度な文書処理の仕組みを解き明かす一助になります。そのために、筆跡の数値化を進め、定量的に評価する手法の確立を目指しています。

さらに現在、他分野の研究者と連携して、簡牘の3次元デジタルデータ化にも取り組んでいます。人文系の研究領域においても、世界的に史資料のデジタルデータ化が進みつつありますが、中国簡牘研究の分野は出遅れています。簡牘のカタチを精確な3次元デジタルデータとして記録することで、古代人の多様な痕跡の解釈を研究活用するだけでなく、将来的には、これまで資料にアクセスできなかった多様な分野の研究者がデジタル簡牘に触れられる学際的プラットフォームを構築したいと考えています。