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コミュニティからのボトムアップで文化遺産を持続的に保全する。

宮﨑 彩MIYAZAKI Aya

衣笠総合研究機構 専門研究員
研究テーマ

1. 文化遺産保全の国際制度の設計と実施と、国内政治・秩序との相互作用に関する研究
2. 地元住民参加による持続的な文化財保全制度の設計に関する研究
3. 災害後の街並み保全計画に関する研究
4. 「文化遺産」概念の形成と制度設計
5. アクターから見た「守られるもの」としての文化遺産の意義

専門分野

国際関係論、観光学、文化遺産保全学

研究テーマをお聞かせください。

宮﨑:持続的な文化遺産の保全について、主に制度設計や運用の側面から研究しています。文化財保護に携わる出発点は、幼い頃に住んでいたメキシコで、世界遺産のテオティワカンを訪れたことに遡ります。巨大な遺跡を見て大きな感動を覚えると同時に、それがメキシコ市民のアイデンティティの拠り所になっていることにも心を動かされました。こうして大切にされる文化財がある一方で、放置されたままになっている遺跡もあることを知り、「できるだけ多くの文化財を守るにはどうすればいいか」と考えるようになりました。これまでユネスコ世界遺産センターなどで実践にも取り組みながら、知見を蓄積してきました。

これまでの研究成果についてお聞かせください。

宮﨑:メキシコ市歴史地区(CHCM)をフィールドに、ボトムアップによる世界遺産の持続的な保全メカニズムについて研究しました。

どの国でも都市化が進む中で、まちの開発と文化遺産保護のバランスをどう取るかが普遍的な問題になっています。これまでの研究で、国レベルの取り組みや国際的な枠組みが、地方自治体やコミュニティの活動にどのような影響を与えるのか、各側面から見てきました。

歴史的建造物の保全や世界遺産登録は、多くは国や地方自治体主導によるトップダウンで行われ、市民の意見は反映されないまま進められることがほとんどです。しかし事例研究で保全活動に関する地域コミュニティの関与レベルを調べたところ、コミュニティの人々から保存運動が始まり、それが地方自治体、さらには国を動かし、世界遺産登録や保全のための条約制定に結びついていくというように、コミュニティからのボトムアップの方が、持続的な保全に結びつきやすいことがわかりました。

そこで着目したのが、CHCMです。CHCMは、トップダウン方式で世界遺産に登録された典型的なケースです。その後の保全メカニズムにおいて、どのような関係者がどのような役割を果たしたのかを詳細に分析しました。2016年から2018年にかけて現地を訪れ、フィールドワークや関係者へのインタビューを実施。さらに2019年から2021年にも関係者への追加調査を行い、情報を補完しました。

どのようなメカニズムで持続的な保全が実現したのでしょうか。

宮﨑:メキシコは連邦政府の権限が強い国で、メキシコ市政府が権限を持って文化遺産管理を含む都市計画に取り組むようになったのは、1990年代の民主化以降でした。1985年に発生した大地震後の連邦政府の対応失敗をきっかけに、市民運動が活発化。その中でコミュニティから生まれた市民運動が、CHCMの保全に大きな役割を果たしました。

最初はメキシコ市政府と一部の権力者階級主導で、経済的・政治的に有力な中心エリアに絞って資金が投じられ、建造物が修復されました。一方で、大部分を占める疎外されたコミュニティの一つには、文化財保護事業に関するメキシコ市政府からの情報を紹介する場が創設されます。注目は、この情報を伝える場が拠点となり、様々な機関とやり取りをすることによりやがてコミュニティ側からリーダーが生まれ、住民主導の保全プロジェクトが生まれたことです。このコミュニティからのボトムアップ型保全プロジェクトが、自治体の投資では優先されなかった、疎外されたエリアで展開されたことで、結果的に歴史地区全体の景観が変わりました。驚いたのは、最初は自分たちの安全や生活を守るために、自分の住居や近隣の建物を修復していたコミュニティの人々の中に、いつしか「文化財を保全しよう」というメンタリティが醸成されていったことです。このように地方自治体を起点に各関係者たちにさまざまな相互作用が生まれ、持続的な文化財の保全につながることが明らかになりました。

メキシコの整備された地域
今後コミュニティによる保全プロジェクトを追加で実施する建物の内部

最近の研究・取り組みについてもお聞かせください。

宮﨑:2023年夏、新たな試みとして、バルカン半島中部にあるコソボ共和国で、歴史地区の防災管理計画を立案するプロジェクトに取り組みました。現地を訪れ、この地区の価値はどこにあるのか、また誰にとって守る必要があるのか、文化遺産の専門家として地方自治体やコミュニティリーダーなどと議論しながら考えました。

対象の歴史地区では、1998年から1999年にかけて起こった内戦によって、地域人口の70%以上を占めていたクロアチア系住民の多くが国外に退避し、多くの建物が捨て置かれる結果になってしまいました。所有者は変わっていないため、介入することもできないまま荒廃が進んでいます。

フィールド調査で目の当たりにしたのが、古地図や戸籍など、歴史的価値を判断する上で必要な資料が戦禍によって消失してしまっていることでした。戦争によってアイデンティティが失われる中で、人々が大切にしている文化財をいかに守っていくのか。世界で戦争・紛争が起きている今、それを考えることの重要性を改めて感じています。

現地に足を運ぶと、論文や資料を読んだだけでは見えないものがたくさんあることを思い知らされます。机上の空論を唱えるのではなく、現場に貢献してこそ研究の意味がある。そのためにこれからも学術研究と現場での実践を両輪にしていくつもりです。

Kosovoの村の全貌