中川小十郎は、1900(明治33)年に立命館の前身である私立京都法政学校を創立しました。名称はその後私立京都法政専門学校、私立京都法政大学と変わりますが、中川は、1913(大正2)年12月に財団法人立命館を設立し、学校の名称を私立立命館大学(のちに立命館大学)とします。中川は財団設立により館長に、そして1931(昭和6)年7月の職制改正で館長から総長になり、1944(昭和19)年10月7日に逝去するまで総長を務めます。
「立命館」という名称は、そもそも1869(明治2)年に西園寺公望が京都御所の地にあった私邸に創った私塾立命館に由来し、中川は西園寺にその継承を願い出て了承を得ました。立命館が西園寺を学祖とする所以です。
西園寺公望と中川小十郎を結びつけたのは、そもそも明治維新の折、1868(慶応4)年に西園寺が山陰道鎮撫総督として丹波馬路村に至ったときに遡ります。小十郎の実父(中川禄左衛門)や養父(中川武平太)、叔父(中川謙二郎)が西園寺の陣営に参じました。そのことが契機となり後に西園寺が文部大臣になったとき中川小十郎が文部省で秘書官・書記官などを務めることになります。
ちなみに1897(明治30)年に創設された京都帝国大学は、西園寺が文部大臣のときに創設が決定され、中川小十郎が初代書記官(事務局長)となっています。
創立者中川小十郎の10歳頃。中川小十郎は幼少時、丹波馬路村(現在亀岡市馬路)で過ごした。