(1)小野随鷗顕彰碑
所在地: 神奈川県大磯町大磯 鴫立庵
建 立: 不明(明治41年頃か)
【篆額「小野先生碣」】 【小野随鷗顕彰碑】
鴫立庵の「小野随鷗顕彰碑」、篆額「小野先生碣」は貴族院議員正二位勲一等侯爵西園寺公望揮毫。撰文は東宮侍講正四位勲二等文学博士三島毅、書は女子高等師範学校講師岡田起作、井龜泉刻である。
総高217㎝、碑高191㎝、碑幅121㎝、碑厚17㎝。大きさは大磯町教育委員会の『石造物調査報告書(2)』(平成2、1990年)による。石は小田原の早川石という。
碑は、大磯小学校の初代校長を務めた随鷗小野懐之(ずいおう・おのやすゆき)の顕彰碑である。小野懐之は文政8(1825)年生まれ、岡山県出身。明治41(1908)年逝去。地域の教育者であった。編著に『小学問答』(明治16年)。
現在の大磯小学校は、大磯駅から鴫立庵に向かう途中にある。
西園寺公望は明治32年から大正5年頃まで大磯町の隣荘(伊藤博文の滄浪閣の隣であったことから命名)に住んだので、その間に何らかの関係があったと思われる。
資料: 大磯町教育委員会『石造物調査報告書(2)』平成2(1990)年
(2)明治丗七八年戦役紀念碑
所在地: 東京都西多摩郡瑞穂町二本松 元狭山ふるさと思い出館
建 立: 明治39(1906)年11月 公望58歳
【明治丗七八年戦役紀念碑】
碑は、元狭山村の「元狭山ふるさと思い出館」の地に建つ。隣地の瑞穂第三小学校の地から移設したという。
明治39年11月、元狭山村の建立。碑の表面「明治丗七八年戦役紀念碑」が侯爵西園寺公望の書。裏面にその戦役、日露戦争に従軍した凱旋兵士40名の名が刻まれている。
同地には他に5基の記念碑があり、そのうち大正三年乃至九年戦役紀念碑・忠魂碑2基・無名碑も戦争・戦役の記念碑である。
元狭山村は、昭和33(1958)年に東京都西多摩郡瑞穂町と埼玉県入間郡武蔵町(現入間市)に分かれ編入された。元狭山ふるさと思い出館の隣には、元狭山神社がある。
(3)青木正太郎翁之碑
所在地: 神奈川県川崎市川崎区大師町 川崎大師
建 立: 昭和6(1931)年6月 公望83歳
【篆額「青木正太郎翁壽碑」】 【青木正太郎翁之碑】
川崎大師大本坊前の「青木正太郎翁之碑」、篆額は「青木正太郎翁壽碑」で正二位大勲位公爵西園寺公望揮毫、碑文は滑川達撰并書である。
碑の大きさは高さ383㎝、幅154㎝で、台座の上に建つ。
川崎大師は、真言宗智山派の大本山の寺院で、正式名称は 金剛山 金乗院 平間寺(こんごうさん きんじょういん へいけんじ)である。境内には46基の石碑・石造物がある。
青木正太郎は、安政元(1854)年南多摩郡生まれ。昭和5(1930)年に喜寿を迎え、碑は鉄道・電気会社の関係者の発意で翌6年に建立。昭和7(1910)年に逝去した。衆議院議員、東京米穀商品取引所理事長などを務め、明治43(1910)年に京浜電気鉄道(現在の京急)の社長となるなど、電気鉄道事業に力を注いだ。京浜電気鉄道の前身は「大師電気鉄道」で、明治32(1899)年の1月21日の初大師の日に営業が開始された。
なお、明治39(1906)年に西園寺内閣は鉄道国有法を制定している。
資料: 大本山川崎大師平間寺『境内碑蹟めぐり』平成10(1998)年
川崎区誌研究会『川崎大師石造物調査報告書』平成26(2014)年
(4)帝国劇場扁額
所在地: 東京都千代田区丸の内3丁目 帝国劇場
制 作: 明治44(1911)年3月 公望63歳
【帝国劇場扁額】
東宝株式会社の帝国劇場の玄関を入った正面の壁面に扁額(銘板)がある。
「本日帝國座ノ開劇ヲ報ゼンガタメ縉紳淑女ヲ招待セラルゝニ際シ余モマタ参同ヲ促サレタリト……余ㇵ此三者相合シテ帝國座ヲシテ清新崇高ナル趣味ヲ涵養スル源泉タラシメンコトヲ切望シ遥カニ數言ヲ寄セテ今日ノ盛會ヲ祝ス」
沼津ニ於テ 明治四十四年三月四日 西園寺公望
この時西園寺公望は病気のため沼津で静養しており、開劇の式に列することができなかった。
この西園寺の祝辞は、渋沢栄一の明治44年3月15日の日記(『渋沢栄一伝記資料』第47巻)に全文が記されている。そして右(西園寺の扁額の祝辞)ハ、帝国劇場玄関正面ノ壁面ニ在リ、55.4㎝×37.5㎝、となっている。
また帝国劇場については、国立国会図書館の「写真の中の明治・大正」に掲載され、帝国劇場創立にあたっては、伊藤博文、渋沢栄一、川上音二郎、西園寺公望、林董らによって設立されたことが紹介されている。
そして帝劇は関東大震災の悲運、不況による経営の苦難、太平洋戦争中の閉館などを経て、1966年に建物を新装し今日に至っている。現在の帝劇の入り口には、帝劇設立に貢献した西園寺公望の言葉を刻んだ額が掲げられており、往時の帝劇をしのぶことができる。と結んでいる。
今回の調査の探訪記は、こちらでお読みいただけます。<懐かしの立命館>西園寺公望揮毫の扁額・石碑 探訪記
2022年9月13日 立命館 史資料センター 調査研究員 久保田謙次