しかし新制大学発足から間もない1951(昭和26)年度、1952(昭和27)年度の入学試験は3月から4月に行われていました。
当時は第1次募集と第2次募集があり、1951(昭和26)年度の入学試験第2次募集は3月28日法学部、3月29日経済学部、4月5日理工学部、4月15日文学部となっています。
1952(昭和27)年度の第1次募集の試験は、3月7日法学部、3月8日経済学部、3月10日文学部、3月11日理工学部でした。両年度とも当時あった短期大学の学生募集も行われました。
1956(昭和31)年度の入学試験からは出張試験が始まり、1956(昭和31)年2月23日に札幌・名古屋・広島・福岡の4ヵ所で実施されました。
戦前の入学試験では、1923(大正12)年5月発行の『立命館学誌』に、大学令準拠により開校された大学予科の入学試験が、4月8日国語・漢文、9日数学(代数・平面幾何)、11日英語、13日体格検査で実施されたことが記されています。
試験問題も掲載されていて、ちなみに、
国語科では、
左ノ文ヲ解釈スベシ
一、すべてみめよく品高けれどもあやしく賎しきが能あるに立ちならぶ折はその品そのみめもかならず思ひけたるるものなり
数学科では、
初項カ何レモ1ナル無限等比級数ノ総和ハ夫々a,bナルトキコノ二ツノ級数ノ対応項ノ積ノ和ヲ求ム
とあります(一部です)。皆さんも挑戦してみてください。
また、戦後、新制大学となった後の昭和26年度の立命館大学入学試験問題(日本史)も一部掲載します。
1.文中の空白のところに次に示す適当な語句を入れよ。
大化の改新でさだめられた( )は奈良時代のなかばごろまで中央ではよく実行されたが、( )では実施されぬ土地もあった。中央でも時代が進むにつれて行われなくなり、それと共に( )がふたたび盛となって来た。そのおもな原因は( )の発達であった。有力な( )等は争って広大な土地を占め開墾してこれを所有したが、貧しい民衆は困窮のあまり子供や( )さえも売る者があり、( )したり行倒れるものも少なくなかった。
(語) 逃亡浮浪・墾田・口分田・辺境・土地私有・班田制・社寺貴族
入学試験の様子