現在ではバス・トイレ付の学生アパート・学生マンションが主流だと思いますが、京都で下宿生活をしていて、銭湯に通った思い出のある方々も多いでしょう。
立命館大学校友会創立100周年記念の「みんなの思い出」メッセージにも、「風呂は、龍安寺商店街の谷口湯に行ってました。」(1992年経営学部卒業)、「風呂がなかったので、近所にあった銭湯『小松湯』『扇湯』『金閣寺湯』へ通いました。当時の銭湯代は230円ぐらいでしたが、仕送り日の前には隔日に利用するなど切り詰めていたと思います。」(1988年経営学部卒業)、「風呂といえば、白沙村荘の近くに銀閣寺湯という銭湯があり、そこでの羨ましくも妬ましい光景を思い出します。巷は、かぐや姫の神田川という曲がヒットして数年後の頃で、男湯と女湯との間で『外で待ってる』『ハーイ』とかいうカップルのやりとりが何組もあり、森見登美彦氏流に言えば、『呪いの言葉をわめき散らし』たいような気分によくなったものです。その銭湯の近く、白川通今出川の交差点から銀閣寺へ通じる途中の疏水添いの小径は、4月の桜の花の散り際にはピンクの絨毯を敷いたような美しさで、私にも銭湯でのカップルのように、いつか春が来るのではという妄想を抱かせてくれました。」(1980年法学部卒業)といった思い出が語られています。
ところが、最近はその数が減少の一途を辿っています。原因は様々です。林宏樹『京都極楽銭湯読本』(淡交社2011年)(以下「同上書」と表記)によれば、「約十年に一度やってくる釜の更新時期が廃業するひとつのタイミングのようだ。数百万円の費用を掛けて釜を更新しても、あと十年、自分たちの身体がもつかどうかわからないため、暖簾を下ろされるパターンだ」と書いています(135頁)。後述の「経営者の年齢構成」グラフ(2008年調査)を見ても60歳以上が75.3%と銭湯経営者の高齢化がわかります。また「利用者の年齢構成」も年齢層が高いことがわかります。さらに、風呂付の住宅の増加や新型コロナウイルス蔓延なども影響していると考えられます。
京都府公衆浴場生活衛生同業組合加盟の銭湯数は、1955年に586軒、1975年に502軒、1990年に372軒、2000年に301軒、2010年に236軒、2020年に163軒、2025年に143軒となっています。
同上書に1964(昭和39)年当時の京都府の浴場組合加盟銭湯一覧(そのうち2010(平成22)年末現在営業中の銭湯)が示されていましたので、そこに2025年現在の情報を加えてまとめてみました。京都市北区と上京区、中京区にある銭湯に絞っていますが、皆さんが利用していた銭湯はありましたか?なお、1964年当時には「〇〇湯」としていた名前が、今日では「〇〇温泉」と名乗っている所も多くなっています。もっとも現実に温泉もあったようです。同上書では、「とかく暗い話題の多い銭湯業界だが、2006年5月に、京都市右京区西京極の大門湯(現、天翔の湯大門)で、地下千メートルから温泉が沸いたという明るいニュースが届いた。街のお風呂屋さんが自前で温泉を掘削し、見事に掘り当てたのだ。泉質は療養泉にも認定される「ナトリウム―塩化物泉(純食塩泉)」で、泉温35.5℃。浴用した場合の適応症としては、神経痛や関節痛などがあるほか、引用も可能なのだとか。ご主人は、療養泉であることが確認された日、一日中成分表を眺めておられたというから、その嬉しさがどれほどだったか窺える。」と書かれています(115頁)。
さて、銭湯の大人の入浴料ですが、1959年は16円(+洗髪料10円)、1965年は28円(+洗髪料10円)、1966年から洗髪料が5円に値下がりし、1972年に48円(+洗髪料5円)、1973年は60円で洗髪料は廃止、1975年は100円、1981年は200円、1990年は250円、1995年は300円、2000年は350円、2005年は370円、2010年は410円、2024年は510円、2025年は550円と、値上がりが続いてきました。
*注:円グラフは、同上書のグラフの数値をもとに筆者が編集しました。
懐かしの銭湯の営業状況推移表はこちら→♨ ※別ウィンドウで一覧表が表示されます。
2025年9月19日 立命館 史資料センター 調査研究員 佐々木浩二