立命館史資料センターホームページで<立命館あの日あの時>「立命館大学衣笠キャンパス学術・文化資源紹介<立命館の学祖・西園寺公望>」(2020年1月23日)や<懐かしの立命館>「西園寺公望公と佐乃春の料理」(2017年10月03日)、「西園寺公望公とその住まい 後編」(2015年12月10日)で紹介しており、Facebookにて見学第一報報告を行いましたが、愛知県犬山市の「明治村」に移設されている西園寺公望が晩年に過ごした静岡県興津の「坐漁荘」を見学しました。
オリジナルの建物は大正九(1920)年に創建された数寄屋造りの建物で、昭和四(1929)年に洋間やサンルーム、湯殿、台所等が増築されました。それらすべてと庭もできる限りそのまま移設されています。ここに紹介している写真は、ガイドの許可を得てすべて筆者が撮影したものです。
まずは建物の外観ですが、外塀は舟板塀で、少し赤味がかっています。
時間指定で建物ガイドがあり、建物内部について説明して頂けます。早速中に入って説明を聞きましょう。
主屋は木造2階建てで、梁や鉄筋を工夫し、強い海風に耐えられるような工夫が込められています。
居間にある大きな机は、公望の特注ということでした。少し低い気がしますが、ここに座って机に肘をつき、庭を観ながら好きな読書をしていたのでしょうか。
次に洋室です。室内に設置されている調度品は、すべて「坐漁荘」で実際に使われていたもので、フランス留学経験があった公望は西洋の暮らしに慣れ親しんでおり、洋式の家具を愛用していました。愛用の竹製ステッキが飾ってありました。
上下階の南側の建具には、紫外線を透過する「並厚ヴァイタガラス(vita glass)」が使用されています。
お風呂場はヒノキ造りで、浴槽が深めです。この建物には、公望の好みを反映して竹がふんだんに用いられていますが、湯殿は白竹を張り込めた舟底天井となっています。
2階座敷の障子を開け放つと、遠い山並みを背景に入鹿池を見渡す美しい景色が広がります。興津に建てられた当時は、右手に清水港から久能山、左手には伊豆半島が遠望されました。
台所はガスレンジこそありませんが、いわゆる「アイランド・キッチンテーブル」がある結構モダンですっきりした雰囲気です。三つのかまどがありますが、料理を一から作っていたのではなく、たいていは取り寄せた料理を温めていたとのことでした。
格子の向こう側には警備員のための部屋がありました。また当時は連絡や警備の関係で、建物内各所に呼び出しボタンが設置されていました。ボタンが設置されていた所は、洋間、ベランダ、化粧室、湯殿、二階応接、御居間、書庫、便所の8か所で、ボタンを押すと、女中部屋の表示盤に部屋番号が表示され、女中や書生を呼び出せる仕組みです。
「坐漁荘」と名付けられたこの建物は、呂尚の故事「坐茅漁」が由来で、「座ってゆっくり魚を捕る」という意味が込められています。しかしながら、引退後も公望の元には事あるごとに政治家の来訪がありました。決して”ゆっくり”とは言えない晩年であったようです。