1950(昭和25)年5月19日に立命館学園は、創立50周年をむかえ初の公選制によって選ばれた末川博総長(当時)が「20世紀のスタートは近代日本のスタートであり、同時に又、立命館学園のスタートであった」と学園の発展を讃えました。
この年から始まった50周年記念事業は、大学院・短期大学校舎建設、鴨川運動場整備、春菜寮開設、北大路運動場拡張など1953(昭和28)年まで続く事業でした。記念事業最初の事業であった大学院校舎は同じ年の10月に竣工しました。
50周年事業が進み始めた翌年の1951(昭和26)年8月10日、理事、教職員各自にはがきの案内が送られました。
拝啓 酷暑の砌 御尊堂愈々御清昌に渉らせられお垚び申し上げます。掲て來る16日は例年のように精霊の送り火として古都の夜をこがす大文字等が点火されることになっています。就いては本館大学院屋上において午後7よりこ小が觀賞の夕べを催したいと存じますので何の取設けも御座いませんが、御繰合わせの上御家族同伴御来駕を賜りたくご案内申し上げます。
京都市上京區廣小路寺町東入中御靈町410 學校法人立命館
昭和26(1951)年8月10日中京局発信
1989年8月16日 衣笠キャンパスから望む大文字の送り火の様子
お盆に入ると連日最高気温36℃以上の猛暑が続いていましたが、16日には前日までの猛暑も少し和らぎ、この日の「大文字観賞の夕べ」には理事、教職員の約250名(約7割)が参加して盛大におこなわれました。参加した理事、教職員にはささやかに団扇とお菓子が配られました。
団扇
菓子(京銘菓松風 庶民の駄菓子かりんとう 南蛮菓子のビスケット)
この夕べに参加した理事、教職員は立命館学園が戦後の新時代に相応しい大学として、国民大衆のための大学として出発点に立ったことを確信し、次の50年後の学園発展を夢見たのかも知れません。大文字観賞の夕べは教職員のひと時の休息とやすらぎを与えました。お土産の団扇とお菓子はその時の具象です。
大文字観賞関係書類と当時配られたお菓子を再現したもの