専門編

異文化・社会の学び方

1. はじめに

私たちは、日々人として他の人々とともに、社会の一員として文化を形成しながら生きている。一人ひとりは個々が望む人生を生きているようでいて、何を大切に、何を求めて生きていくのかは、その社会の在り方に大きく左右されている。そのため、場所や、環境や、社会の制約が変われば、人々の嗜好性や考え方の傾向にも違いが現れる。私の普通が、あなたの普通と同じだとは限らないのである。

自分のものとは違う文化・社会を学ぶ楽しさはそこにある。違う文化・社会を、ただ知るだけでもそのバリエーションや違いに魅了されるだろう。また、個々の特殊性や多様性に心奪われるかもしれない。なかでも、以前は「変」で「奇妙」だと思っていた事柄が、すんなり受け入れられたり、府に落ちたりする楽しさは格別である。

ある異文化・社会を、自分が当たり前と感じることができるようになるまで近寄る努力を重ねると、今度はこれまで当たり前に見えていた自分の世界に違和感を抱けるようになる。当たり前すぎて、存在することにも気づかなかった自分が思いこんできた決まりが徐々に見えるようになる。このプロセスが魅力的なのは、自分の当たり前を再度見直し、自分の判断のもとに決まりを、適宜手放したり、改良を加えたり、追加したりできるようになるからである。自分が、背負ってきたことすら気づかなかった制約からの解放を想像してみてほしい。目の前に自分が悩まされる制約を生きていない人がいる。そのことを知っているだけで、「当たり前だから」、「みんなそうだから」という幻想を超えて、自分にとって必要のないものを手放すことへの恐怖心は薄れるだろう。異文化・社会を知ること、自分と違う誰かを尊重できるようになることとは、あなたが自分を尊重し、自分が望む自分になる準備を整えてくれるものなのである。

2. 「推し」をつくろう

とはいえ、具体的にどのように異文化・社会を学びはじめればいいのかわからない、という人もいるかもしれない。異文化・社会を学ぶ道のりは長く険しいものでもある。しかもゴールはない。そのため、やらなければならないことを数え上げればきりがない。だからこそ、「好きこそものの上手なれ」。異文化・社会を学びたいなら、どんなものよりまず自分の好きなこと、興味のあることを学ぶのが一番だろう。

異文化・社会を学ぶ、といって身構える必要はない。もともと外国のことに興味があるなら、その中からとりあえず一つ好きな国や場所を選んでみればいい。音楽が好きなら、自分の好きなアーティストに関連することでもいいし、楽器やミュージックホール、あるいはアーティストが影響を受けたことを追体験するのでもいい。スポーツが好きならそれに関連することでもいいし、ファッション、メイク、好きな作家、あるいは印象に残っている歴史的出来事でもいい。気になる政治家や、名前の響きがおかしな歴史上の人物でも地名だっていい。何か一つ、自分が興味をもつこと、好きなことといった「推し」を基点にして(本当は、二つだって、三つだって、百あってもいい)、その周りのことに関心を向けることが重要なのである。もしも何も興味の持てることが見つからなければ、人任せに決めてもいい。あなたが尊敬する人、友達、友達になってみたい人が関心を向けるものでもいい。要するにきっかけは何でもいいし、動機だって純粋であっても、不純であってもなんでもいいのである。重要なのは、自分が何か一つ(あるいは、二つでも三つでも)のものと特別な関係にあると意識することである。そう、大切なのは、あなたがすでにあなたではない何か別のものと特別な関係にあることを意識し始めることなのである。

3. 「推し」を知ろう

「推し」のことは誰よりも、どんなことでも知りたくなるのが人情である。「推し」を決めたら、てらいなくなく「推し」のことを知る努力をしよう。「努力」というのは少し大袈裟だったかもしれない。好きなことなら、知らずしらずのうちにアンテナが立つだろう。もしもあなたが、異文化・社会を学ぶために、何かを好きなフリをすることにしたのならそれでもいい。まずは「ビジネス・ファン(ファンではないが、何らかの別の目的でファンのフリをすること)」なら、どんどんファンなフリをしよう。ファンと同じような興味関心をもっているフリをし、ファンと同じように「推し」の情報を集めて喜ぶフリをしてみよう。行動が思考を作る。あなたが気づかない間に、立派なファンになっていることでしょう。ここで重要なのは、「推し」についてジャンルを限らず幅広く調べることである。「推し」は、いつ何時あなたの生活に現れるかわからない。日常の些細な瞬間に、テレビ広告の一部に、聞いている音楽の歌詞に、「推し」はいつだって一番意外な場所にも表れるものである。ファンたるもの、一時たりとも気を抜くことはできないのである。

「推し」についての情報を集めていても、最初は知らないことだらけで、一生かかっても「推し」について理解することなんて不可能だという思いに取りつかれることがある。しかしここであきらめないでほしい。しばらく情報を探し続ければ、すぐに、毎度馴染みの情報が登場する。だんだんと、あなたの知らない情報を探す方が難しくなるだろう。「推し」について自分なりに知識が溜まったなら、他のファンとの情報交換に励もう。身近にファンがいなければ、「推し」について書いてある書物がお勧めである。同じような一ファンが書いたものから、「推し」と懇意な専門家が書いたもの、さらには「推し」本人(むろん「推し」が人でない場合が多いとは思います。「推し」の擬人化とご承知おきください。)が書いたものまであるかもしれない。できるだけ多くの人の意見に耳を傾け、意見の相違に気を配り、あなた自身が考える「推し」の姿を探求しよう。

またせっかくだから「推し」の言語も習得したい。「推し」と言語を共有し、「推し」が話す言葉をダイレクトに理解できるようになりたい。文化・社会というと、ついつい性格やセンスといった内面(価値観、宗教、生活習慣など)に関心が向きがちではあるが、「推し」の懐事情(経済)、過去の振る舞いやそこからの成長(歴史)、周囲との関係性(外交)にも目を向けたい。物質的なことに着目することで見えてくるものは多い。

4. 「推し」に会いに行こう

「推し」についての情報を集め、人の意見にも耳を傾け、もう「推し」に対する愛が止まらなくなったら、「推し」に会いにいくのもお勧めである。実際に会いに行ってみたら、思っていたような存在でない場合も、「推し」に拒絶されたと感じることもあるかもしれない。しかしそれもまた「推し」の実像の一部である。「推し」はあなたに愛情を注ぐためにいるのではなく、あなたが「推し」に愛情を注ぐためにいることを忘れてはならない。「推し」はあなたがいなくなっても大きなダメージを受けないかもしれない。受け入れ難くともこの事実を引き受ける謙虚さを発揮しつつ、粘り強く歩み寄ろう。その心意気は、必ず報われるはずである。どうやったら「推し」に受け入れてもらえたのか。自分には何が足りなかったのか。このように自問自答を重ねる中で、あなたの中の「推し」の理解は格段にブラッシュアップされていくだろう。拒絶された痛みではなく、自分の理解の至らなさを反省しよう。

またせっかく「推し」の実像に会えたのだから、良い面だけでなく、好ましくない面についてもしっかり見てきてほしい。真のファンならば、「推し」を自分の都合のいいように解釈してゆがんだ「推し」のイメージに執着するよりは、あるがままの姿を愛せるようになりたいものである。好ましくないところがあれば、なぜそのようなことになったのか、「推し」の経験と視点に照らして理解したい。

ただし、アイドルやセレブと同じように、異文化・社会にもアクセスが比較的容易な場合と、限られた人しかアクセスが許されない場合がある。会いに行けないからといって、「推し」をあきらめる必要はない。それぞれの距離間に合わせたそれぞれの「推し」との関係性を築けばいいのである。

5. 「推し」を語ろう

ここまでくれば、あなたはすでに日々の生活を「推し」と共に送っているはずである。車窓の景色にも、カプチーノの泡にも、友人の顔にさえも、知らずしらずのうちに「推し」に関わる物事を探しているのではないだろうか。その状態に到達したなら次は、同じ「推し」を応援する同士、さらには別の「推し」を持つ人々とそれぞれの「推し」について語り合ってみてほしい。あなたの「推し」の独自性や、普遍性、別の存在との関係性に気づかされることがあるだろう。「推し」とあなたとの関係性について改めて振り返ることができるのも、別の「推し」を持つ人々との語りから得ることができるものである。

また自分とは別の「推し」の話であっても、違いや重なりに喚起された興味を覚えるだろう。同じように「推し」に拒絶された経験や、「推し」への愛によって気づかされた自分自身の偏りに、共感や学びを得ることもできるだろう。一つの「推し」への愛を追い求めることは、あなたを優れたファンに鍛え上げることにもつながっている。一つの「推し」を探求することができるようになったなら、その対象を変えることや、「推し」を複数もつ準備ができたと考えていい。対象は違えど、その方法はすでにあなたの中に確立されているだろう。

むしろ、最初から、対象を変えても通用するような、あなたなりの「推し」との関係性を見出すことを目標としてほしい。あなたの「推し」だけが持つ輝きを尊重しつつ、神格化することなく、できるだけ多くの情報を統合して「推し」を理解しようとすること。自分のイメージに相手を当てはめず、期待通りの見返りが与えられなくても辛抱づよく粘り強く相手を観察すること。つまずいても応援し、「推し」が望む道で輝けることを応援すること。これらは、対象が変われど、異文化・社会を学ぶ方法の核心にあり続けるものである。

6. 「推し」のチョイスはあなた次第

ここで扱ってきた異文化・社会は、何もカナダ社会、韓国社会、ケニア社会といった国単位のものに限られるものではない。あなたが「推し」に選ぶのは、大分文化でもいいし、シドニー文化でも、サンパウロ文化でもいい。ベルベル文化やイヌイット文化、アボリジニー文化でもいいだろう。あるいは、盲文化かもしれないし、体育会系文化かもしれないし、スタバ文化かもしれない。

人が他人と集って生きていく限り、世界はあまたの文化と無数の社会にあふれている。その一つ一つが独自のものであり、他との共通性があり、そしてその瞬間瞬間に変化を遂げるものでもある。世界は異文化・社会に溢れている。是非愛に溢れる異文化・社会の学び方を身に着け、無限の異文化・社会を楽しんでほしい。

【初心者向けお勧め図書(一例)】

以下は、異文化・社会を学ぶ人類学の魅力を垣間見ることができる近年出版された良書である。これらの書籍を皮切りに、興味のおもむくままにどんどん読み進めていこう。

  • ティム・インゴルド、奥野克巳・宮崎幸子訳、2020年『人類学とは何か』亜紀書房
  • 小川さやか、2019年『チョンキンマンションのボスは知っている―アングラ経済の人類学』春秋社
  • 松村圭一郎、2017年『うしろめたさの人類学』ミシマ社
執筆者:鳥山 純子
執筆日:2021年3月15日