アジア・マップ Vol.02 | 東ティモール

《総説》
東ティモールにおける「言語」の役割とは:言語状況と公用語から紐解く

須藤玲(東京大学大学院教育学研究科 博士課程)

東ティモールの複雑な言語状況
 東ティモールは複雑な言語分布と言語状況で知られている多言語国家である。アジア・マップ Vol.01内の亀山氏による東ティモールの総説にある通り、国内には30以上の地域言語が存在するとも言われている1。ここで注目すべきは、当国の言語は二つの異なる言語系統(オーストロネシア語族とパプア諸語)に分けられ、それらが混在している点である。具体的には、オーストロネシア語族に属する言語は主に東ティモールの西部に、パプア諸語に属する言語は主に東部に分布している(下図参照)。

東ティモールの地域言語の分布(出典:Klinken & Williams (2015:2)。)

東ティモールの地域言語の分布
(出典:Klinken & Williams (2015:2)。)

 こうした地理的な言語分布に加え、各地域言語を母語とする話者の割合に着目すると、さらにその複雑性が浮き彫りとなる。2010年の国勢調査によると、東ティモール国内のそれぞれの地域言語の話者割合の中で、テトゥン・ディリ語2(いわゆる東ティモールの公用語であるテトゥン語)の割合が最も多く(36.6%)、マンバイ語(12.5%)、マカサエ語(9.7%)が続く(Klinken & Williams 2015)。このデータより、当国の国民の大多数の母語として共有されている言語が不在であると考えられ、こうした多様な言語話者から構成される点が東ティモールの言語状況の特徴であるといえよう。

東ティモールの公用語制定をめぐる世代間の認識のズレ
 このような言語状況の中、東ティモールでは2002年の主権回復以来、ポルトガル語とテトゥン語が公用語として憲法で定められている。この公用語の設定の背景は、他の第三世界の国々と同様、植民地の歴史を受けてのポルトガル語、国内の最大話者という現状を受けてのテトゥン語、という単純な論理で片づけられるものではない。現在もこの二つの公用語をめぐっては、国民の間で未だに議論が行われている。こうした背景には、ポルトガル語とテトゥン語の両言語を公用語とすることに対する世代間の認識のズレがあると言われている。

 東ティモールの公用語制定をめぐる認識について、インドネシア占領期(1975年~1999年)に、インドネシアへの抵抗運動を牽引した2つの世代、“Generation of 1975”と“Geração Foun”の間でズレが生じている(Martins 2022)。まず“Generation of 1975”とは、かつてポルトガル植民期に、ポルトガル式の教育を受けたり、ポルトガルへ留学したりした世代(いわゆる旧宗主国のエリート教育を受けた世代)であり、東ティモール独立後の国のかじ取りを最初に担った人々である。彼らは、ポルトガルとの歴史を東ティモール人のアイデンティティの一部と位置付け、ポルトガル語を独立に向けた「抵抗」と「植民」の象徴として重視した(Martins 2022)。

 他方、インドネシア占領期にインドネシア式の高等教育を受けた世代が“Geração Foun (Young Generation)”である。彼らは、インドネシア国内国際社会占領期末期(1990年代)において、国内の活動家やインドネシア国内の活動家を中心として、若者と共に独立運動を展開した世代である(Martins 2022)。この世代は、“Generation of 1975”のようなエリート教育を受けることができたほんの一握りの人々ではなく、多くの東ティモール人から支持を得ていた。しかし、独立後の国家建設においては、“Generation of 1975”の一部のエリートが担い、“Geração Foun”をはじめとする一般の東ティモール人は排除された(Martins 2022)。ゆえに、“Geração Foun”は、多くの東ティモール人を束ねる言語として、そして言語政策においてポルトガル語を重視する姿勢を示す“Generation of 1975”への反発という意味合いも込め、テトゥン語を「抵抗」の象徴3として掲げた。

 このように、インドネシア占領期を生き抜いた世代の中でも、異なる言語志向を有する世代があり、このズレが現在の公用語をめぐる議論にまで尾を引いているといえよう。

現代東ティモールにおいて変化する公用語の役割
 前述のような、東ティモールの独立運動を展開した世代を見ると、ポルトガル語やテトゥン語には、インドネシア占領期の中で形成された「抵抗」「連帯」や、長いポルトガル植民期の中で形成された「郷愁」などの役割が付与されていることがうかがえる。他方で、独立後から約20年が経過した現代東ティモール社会において、言語に対する人々の価値観や志向は新たな局面を迎えている。ここでは特にポルトガル語に着目してみていきたい。

 例えば、インドネシア占領期を知らない、独立後に生まれた世代が加わったことが挙げられる。こうした状況下の東ティモールの若者の間では、国内の高い失業率や雇用問題を受け、ポルトガル語への反発が大きい。東ティモールでは未だ石油資源に頼った経済となっており、それ以外の産業分野が未発達である。そのため、多くの若者が失業状態にあるか、国外での出稼ぎに頼らざるを得ない状況にある。特に出稼ぎについては、政府が隣国のオーストラリアやインドネシアをはじめとするアジア諸国、ポルトガルをはじめとするヨーロッパ諸国といった諸外国と覚書を交わし、積極的に若者を送り出している。つまり、若者にとってポルトガル語は、国内の公務員(官僚)やポルトガルへの出稼ぎの機会獲得のための、「手段」としての言語になっている。

 東ティモール政府も「遺産」としてのポルトガル語の他に、別の役割を期待しているようである。その証左として、ポルトガル語諸国共同体(Comunidade dos Países de Língua Portuguesa (CPLP))からの援助が挙げられる。CPLPは加盟国の内政に干渉することなく経済的なつながりを強めることを目的としてサミット等を定期的に開催している(奥田 2017)。ポルトガル語が公用語であることが加盟条件であるCPLPに加盟することは、他の加盟国から教育支援や経済支援を受けることができるだけでなく、国際社会へのアクセスの足掛かりとなり、政治経済的な力を強めることができるという(奥田 2017)。

 筆者が2023年2月に、東ティモールのラウテン県においてフィールドワークを行っている際に、ポルトガル人数名が同じホテルに滞在していた。彼らはポルトガルから派遣された教師のボランティアで、近くのポルトガル語のみで教育を行う初等教育学校(公立)で教鞭を執っているとのことであった。当国の東端に位置しており、首都からも遠い場所にあるラウテン県にも教師を派遣するポルトガルの「手厚さ」を感じた。

 このように、東ティモールにおけるポルトガル語は、単なる植民地の「遺産」ではなく、むしろ政治経済上でメリットの大きい「道具」として位置づけられているといえよう。

CPLPの国々との関係性がうかがえる教科書の表紙(筆者撮影)。

CPLPの国々との関係性がうかがえる教科書の表紙(筆者撮影)。

東ティモールの教育分野における言語の問題
 最後に、現在まで続く公用語の設定をめぐる議論は、教育分野、特に学校教育現場にも影を落としていることについても少し触れておく。前述のように東ティモールは様々な地域言語を母語とする人々によって構成されている中、学校では公用語(ポルトガル語・テトゥン語)が教授言語4として採用されているため、学習者(子ども)の生活言語と教授言語が乖離する現象が起こっている。こうした現象は教授言語問題と呼ばれ、子どもの学習到達度の遅れや留年、ドロップアウト(中退)を引き起こしており、当国の教育の質に大きな影響を与えている。こうした教育と言語をめぐる議論は独立当初から懸念されてきたものであったものの、現在に至るまでその解決に向けた模索は続いている。

 東ティモールの公用語をめぐる議論の事例からもわかるように、当国における言語の役割は立場によって様々である。国家における言語の役割は重要であり、慎重な議論が必要であろう。他方で、こうした混乱のしわ寄せを受けている人々の中には、教授言語問題によって学校教育で困難に直面する子どもも含まれる。14歳未満の人口が全国民の30%超(INETL 2023)と若さ溢れる国であるからこそ、こうした議論の決着と教授言語問題の解決は、東ティモールに生きる子どもの将来、ひいては当国の将来を握る喫緊の課題である。

小学校6年生の歴史の教科書。(ポルトガル語(左)とテトゥン語(右)が併記されている。筆者撮影。)

小学校6年生の歴史の教科書。
(ポルトガル語(左)とテトゥン語(右)が併記されている。筆者撮影。)

ファタルク語 によって書かれた算数の教科書。(一部の地域では地域言語で書かれた教科書を作成する取り組みも行われている。筆者撮影。)

ファタルク語5によって書かれた算数の教科書。
(一部の地域では地域言語で書かれた教科書を作成する取り組みも行われている。筆者撮影。)

1正確な言語数には諸説あり、世界各国の言語を集計しているEthnologue(国際SILが運営するウェブサイト)では、東ティモールには20の言語があると報告されている(Ethnologue 2024)。
2現地では、テトゥン・プラッサとも呼ばれる。
3テトゥン語に対する詳細な分析は、Tsuchiya (2024)を参照されたい。
4教師が生徒に教授する際に使用する言語を指す。
5主にラウテン県の人々が使う地域言語。

<参考文献>
奥田若菜(2017)「権威語としてのポルトガル語―東ティモールにおける公用語化と言語政策の一考察―」『グローバル・コミュニケーション研究』第5号、79-104頁。
Ethnologue website. (2024). “East Timor”, Ethnologue: Languages of the World. Twenty-seventh edition. Dallas, Texas: SIL International. Retrieved from https://www.ethnologue.com/country/TL/(最終閲覧日 2024年7月23日).
INETL=Timor-Leste National Institute of Statistics. (2023). 2022 Timor-Leste Population and Housing Census – Data Sheet. INETL.
Klinken, C. & Williams, R. (2015). Mapping the mother tongue in Timor-Leste: Who spoke what where in 2010? Dili Institute of Technology.
Martins, M. Trote. (2022). Negotiating memories through language: an analysis of the choice of an official language during state-building in Timor-Leste. Journal for Cultural Research, 26(2), pp.125-139.
Tsuchiya, K. (2024). Emplacing East Timor: Regime Change and Knowledge Production, 1860-2010. University of Hawai'i Press.

書誌情報
須藤玲《総説》「東ティモールにおける「言語」の役割とは:言語状況と公用語から紐解く」『アジア・マップ:アジア・日本研究Webマガジン』Vol.2, TL.1.01(2024年9月26日掲載)
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol02/easttimor/country/