アジア・マップ Vol.02 | フィリピン

フィリピンと私
ミンダナオ島の異宗教間結婚

吉澤あすな(京都大学東南アジア地域研究研究所 連携研究員)

マニラからビサヤ、そしてミンダナオへ
 私がフィリピンを始めて訪れたのは大学2年の春休みの時だった。NGOのインターンシップに参加するために2か月間をマニラで過ごした。スラムと高層ビル群が交互に立ち並ぶ街には、貧困層も金持ちも外国人も含めた多様な人達で溢れていた。私はその雑多なエネルギーに魅了された。

 日本に帰ってしばくらくして、フィリピン中部ビサヤ地域のギマラス島にある小さな漁村を支援する学生団体で活動するようになった。電気も水道もまだ数戸しか通っていない、水平線に沈む夕日が驚くほど美しい村だった。マニラとギマラス、環境は全く違うが、時に過酷な生活を生き抜く人達の力強さは共通していた。

 フィリピンのことをもっと学びたいと大学院への進学を決めた頃、フィリピン人の教員が「ミンダナオではムスリムとキリスト教徒がたくさん結婚しているよ。調査したら面白いんじゃないかな」と教えてくれた。「私の知らないフィリピン」に出会えそうな気がして、大学院の研究テーマを決めたのだった。

ムスリムとキリスト教徒との共生
 人口の約9割がキリスト教徒(カトリックが80%)のフィリピンにおいて、ムスリムは人口の約5%を占めるマイノリティだ。しかしフィリピンの南部ではかつてムスリムはマジョリティだった。南部には13世紀頃にキリスト教に先立ってイスラームが伝来し、複数のスルタン制国家が成立していた。ところがアメリカ植民地期以降、フィリピンの中北部からキリスト教徒入植者が大量に流入したことで、ムスリムは社会経済的に周縁化されていった。1960年代末からは、ムスリムを中心とする南部の分離独立運動が武装闘争を伴って展開され、ムスリムとキリスト教徒の武装集団の間で暴力の応酬が生じた時期があった。

 ミンダナオを訪れる前、私が読んだ文献はムスリムとキリスト教徒との対立の歴史を強調するものが多かった。私は、両者が共に日常生活を送っている場所では実際には何が起こっているのかを知るため、現地に向かった。

 私が2013年から2014年に長期調査を行ったイリガン市は、ミンダナオ島北部に位置する地方都市だ。多数派はキリスト教徒だが、ムスリム住民も多く居住する。市内にはモスクとキリスト教教会が隣り合って建ち、スキニージーンズとTシャツを着た女の子と、アバヤに身を包んだ女の子が腕を組んで仲良さげに歩いていたりした。イリガンは異なる宗教の共生を体現したユートピアのように見えた。

 だが実は、イリガンは「ムスリム差別がひどい」街でもあった。私がムスリムのホストファミリーの家に居候しているとキリスト教徒の知人に伝えると、「ムスリムと一緒に住んで怖くないの?彼らはテロリストとつながりがあるかもしれない」、「ムスリムって教育を受けてなくてかわいそうだよね」などという言葉を何度もかけられた。

 私がホームステイしたイリガン市のS地区は、川のすぐ近くのコミュニティだった。洪水の被害を受けやすいため家賃が安く、貧困層が多く居住していた。そこで私は、隣り合って住むムスリムとキリスト教徒の多様な関係を目の当たりにした。彼らは、時に互いの悪口を言い合いながらも、物や金の貸し借り、電気のインフォーマルな売買、おかずのやり取りなどを日常的に行っていた。病気、災害、貧困といったリスクにさらされる日々を生き抜くために、宗教が異なろうと関係なく、隣人同士助け合う必要があるからだ。

ビーチで食事を共にするムスリムとキリスト教徒の隣人達

ビーチで食事を共にするムスリムとキリスト教徒の隣人達

「愛はすべてに打ち勝つ」のか? ―異宗教間結婚の聞き取り調査から
 イリガンにおけるムスリムとキリスト教徒との結婚には、必ずしもロミオとジュリエットのような障害があるわけではない。当事者に話を聞くと、隣人や学校のクラスメート、職場の同僚として普通に出会って、恋愛して、結婚していた。マクロ・レベルでの対立的な歴史に対して、家族として親密な関係を築く彼らの実践は、ムスリムとキリスト教徒との「平和的な共生の象徴」だと考えられている。

 とはいえ、彼らの結婚や結婚後の生活は、全てが自由で順風満帆なわけではなかった。私の出会ったイリガンの異宗教間結婚のカップルは、ほぼ全部がムスリム男性とキリスト教徒女性の組み合わせだった。これは、異なる宗教・エスニック集団に属する人との結婚、即ち通婚(intermarriage)に関する規範がジェンダー化されているためだ。

 イスラームでは、男性は啓典の民(キリスト教徒およびユダヤ教徒)の女性と結婚することができるが、女性はムスリムとしか結婚できない。従って、キリスト教徒の男性がムスリムの女性と結婚するためにはイスラームに改宗しなくてはならない。さらにイリガンに多く居住するムスリムのエスニック集団の一つ、マラナオ民族において、女性は同じマラナオの男性と結婚するべきという強い規範がある。結婚相手の選定において、親や親族の意向を無視することはできない。これは彼らの結婚において、当事者同士の関係以上に、家やクラン(氏族)の関係や威信が重要視されることを示している。

マラナオの男女の結婚式

マラナオの男女の結婚式

 マラナオ女性への厳しい通婚規範に対して、マラナオ男性に対する規範は比較的緩く、キリスト教徒女性との結婚は頻繁に行われていた。しかし彼らの結婚後にも、男女の非対称性が見て取れた。私がインタビューした約20組の夫婦のうち、約半数の妻はキリスト教の信仰を保っていた。妻の信仰を尊重する夫は「寛容である」と評価されていた。裏を返せば、妻が夫の信仰を受け入れるのは当然だという認識がある。

 パートナーに影響を受けて相手の宗教に改宗するのは、いつも妻の側だ。キリスト教からイスラームに改宗した妻達は、改宗は強制ではなく、「自由な意志」に基づいており、イスラームの宗教実践への適応は「自分のペースで」行うことができたと語る。とはいえ、常に妻(と子ども)が適応しなくてはならない状況は、家父長的な価値を反映しているといえよう。

 そのように異宗教間結婚は、100%ハーモニアスな関係というわけではない。ここまで述べた男女の非対称性以外にも、結婚生活において宗教や慣習の違いによる揉め事が頻発し、時に家族関係の断絶にまで至るケースもある。しかし同時に、異宗教間結婚は、日々の微細な交渉やアイデンティティの揺らぎを通して従来の規範や価値を少しずつ変えていく実践でもある。

 「ハーフ」と呼ばれる、異宗教間結婚の子ども達のなかには、地域の平和運動や宗教間対話の活動を行う人達も数多い。「どちらの事情も分かっているから、架け橋になれる」というのだ。異宗教間結婚の夫婦とその家族たちは少数派だが、イリガンにおけるムスリムとキリスト教徒との共生を陰で支えている人達なのだと思う。

ムスリム男性と結婚したキリスト教徒女性とその子ども、および女性の両親

ムスリム男性と結婚したキリスト教徒女性とその子ども、および女性の両親

 ミンダナオの異宗教間結婚は、私達から遠く離れた土地の特殊な実践のように思われる。しかし「他者」と共に生きるという意味では、私自身が結婚や育児を通して日本社会で経験していることと重なる点も多い。日本でも、「母親」に求められるジェンダー規範を強く感じたり、何でも理解し合えると思っていたパートナーが何かの契機に理解しがたい「他者」として立ち現れたりすることは珍しくない。そういった時、異宗教間結婚の家族の姿をよく思い出す。イリガンでの経験は、私の人生の参照点になっている。

書誌情報
吉澤あすな「《エッセイ》フィリピンと私 ミンダナオ島の異宗教間結婚」『《アジア・日本研究 Webマガジン》アジア・マップ』2, PH.2.03(2024年4月1日掲載)
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol02/philippines/essay01/