日本には全国各地に実に多彩な方言がある。「やめる」、「さす」、「うずく」、「にがる」、「はしる」、「こびく」、「こわる」…。これらはすべて「痛い」を意味する方言だが他地域の人には意味がわからないものも少なくない。
言語学、日本語学を専門とする有田節子は、日本語文法の理論言語学的研究に加えて地理的側面の重要性に目を向け、方言研究に取り組むようになった。中でも有田が着目するのが条件文に関わる方言である。
「もし~なら」にあたる条件表現が日本語には複数ある。「~バ」「~タラ」「~ト」「~ナラ」などがそうである。「条件表現は地域によって用途に多少の違いこそあれ基本的には全国で同系の言葉が使われており、方言特有の形式は少ないといわれています」と有田。ところが極めて特徴的な形式として、九州地方でのみ使われている「ギー」という条件表現があるという。「『ギー』は限定を表す体現「キリ」に由来すると言われています。現在も福岡県、長崎県、熊本県、鹿児島県などの一部地域で使われていますが、最も使用頻度が高いのが佐賀県です」と言う。
有田は九州に赴いてそれぞれの地域の方言母語話者を対象にこの方言条件形式について調査し、言語学的な視点で標準日本語(標準語)とは異なる文法的特徴を分析している。「『ギー』は2種類の時制の対立があります」と有田。例えば標準語条件形式の「ナラ」は、「雨が降るなら」、「雨が降ったなら」というように基本形とタ形の2種類の対立した時制で使われるが、「バ」や「タラ」は、「降れば」、「降ったら」と形が固定化している。佐賀方言には、標準語の「ナラ」に相当する「ナイ」(「降んない」、「降ったない」)、「バ」や「タラ」にあたる「ギー」(「降っぎー」、「降ったぎー」)のいずれもが基本形、タ形の2通りの時制に接続する。「佐賀方言には2種類の完全時制節条件文があり、標準語より時間概念が細かく表し分けられているといえます」と有田は説明した。
有田によれば、標準語の「タラ」は、これから先に起こることを予測して述べる『明日雨が降ったら、遠足は中止になるだろう』のような予測的条件文にも、『そこに行ったら会は終わっていた』のような過去の事実を表す事実的条件文にも現れるが、佐賀方言では、予測的条件文には、『明日雨ん降っぎー』のように、『基本形+ギー』が使われる一方、過去の事実は、『タ形+ギー』が使われる。さらに、条件節が、話し手が発話の時点で事実として認めたことに基づいて推論する認識的条件文の条件節には、もっぱら「ナイ」が現れ、しかも、標準語の「タ形+ナラ」が必ずしも過去を表す訳ではないのに対し、佐賀方言の「タ形+ない」は、常に過去を表し、標準語よりも時間に敏感な側面がある。
「九州地方には固有の方言形式が豊富にありますが、とりわけ推論過程を表す形式は非常に細かく分かれています。それらを手掛かりに地域語のダイナミクスを解明したい」と有田は言う。
一方、竹田晃子は、自身の出身地である東北地方の方言について研究している。東北地方にも独特の方言が数多くあり、2011年の東日本大震災の際には他地域から支援に駆けつけた医療従事者が方言を理解できず患者とのやりとりに苦労するという事態も発生した。竹田はそうした問題を解消する手だてになればと、体調・気分、身体部位の名称と、症状などを表す東北方言のオノマトペ(擬音語・擬態語)を収録した用例集も作成している。
竹田の最初の研究は、東北方言の自発表現の助動詞「~サル」の分析だった。「例えば下りの坂道で、そのつもりがないのに走ってしまうような時、『走ラサル』と表現することがあります。これは、走ル(動作動詞)+サル(助動詞)で、動作動詞から動作主の『意思性』が取り除かれる。北海道から東日本で使われていて、共通語にはない、たいへん便利な表現です」と竹田は解説する。
近年では、竹田は東北北部方言の認識的条件文に用いられる「書カバ」「飲マバ」などの動詞(末尾a段音)+バの由来について、従来にない斬新な考察を発表した。「『書カバ』『飲マバ』の類は未然形+バ(接続助詞)、つまり古典語の残存とされてきました。しかし、一段活用動詞では『起キラバ』、カ行変格活用動詞では『来(ク)ラバ』が用いられるため、未然形+バという説明は『書カバ』など五段活用動詞にしか適用できない。何か別の由来があるのではないかと考えました」。そこで、竹田は明治以降百年間に行われた5種類の方言調査の結果を詳細に分析し、これらの形式は全て、動詞+ク(形容詞カリ活用の語尾)+アラバ(条件表現)に由来すると結論付けた(竹田晃子2017「東北方言の認識的条件文」)。
方言研究は、音声や語彙が中心で、有田や竹田が手がける文法や意味の分野はこれからである。有田の編・著作に竹田が執筆するなど積極的に研究交流を続ける両者から、今後これまでにない知見が生まれるかもしれない。