私たちの回りには、音声案内があふれている。スーパーやコンビニの自動精算機では「お金を投入してください」「おつりとレシートをお受け取りください」、工事中の道路では「通路が狭くなっているのでお気をつけください」、浴槽の水が適温になったら「お風呂が沸きました」と機械が自動で知らせてくれる。その他にも自動改札機のエラーメッセージ、電車や施設のアナウンス、カーナビの音声案内、スマートフォンの音声アシスト機能、数え上げればきりがない。
「これらの機械の音声のほとんどが『女性の声』なのは、なぜでしょうか」。そう疑問を投げかけるのは、坂田謙司だ。坂田は、これまでほとんど意識されてこなかった「声」と「ジェンダー」の深く根強い関係に注目している。「『声』は明らかにジェンダー的な役割を担い、まるで最初から当たり前だったかのように社会に組み込まれています。そこにはまだ解明されていない何らかのジェンダーバイアスが根付いているはずです」と見る。それはなぜ、そしていつ、どのような形で社会に組み込まれ、自明化していったのか。坂田は社会に偏在する声とジェンダーの結びつきを解き明かし、社会の後景に隠れたジェンダー問題を浮き彫りにしようとしている。
坂田はこれまで一貫して「声の社会史」をテーマに研究してきた。有線放送や有線放送電話、街頭宣伝放送など、社会に存在する「音声メディア」に焦点を当て、歴史社会学の視点からその意味を探究している。
研究の前提として坂田は、まずこれまでの研究蓄積とその過程で収集した新聞記事や史料、文献を紐解き、いつから「声のメディア」の主役が女性になったのかを明らかにした。
例えば代表的な声のメディアである電話が社会に普及し始めた初期について、次のように解説する。「当時、通話には電話交換手が不可欠で、アメリカでは『ボーイズ』と呼ばれる労働者階級の10代の少年がその役割を担っていました」。しかし彼らは顧客であるブルジョワ層や企業家を満足させることはできなかった。そこで彼らに取って代わったのが、教養やマナーを身につけ、秘書や召使いのような「補助的な」役割を担うよう教育された中産階級の若い女性たちだったという。日本でも1890(明治23)年に電話サービスが開始された当初こそ男性電話交換手が主だったが、やがてその任は女性に置き換えられていく。「そこには『女性は男性の補助的な役割を担う』べきとする日本独自の価値観も働いていた」とした坂田。こうしたプロセスを経て、電話交換手の役割が消えた現在でも、電話という声のメディアに女性とジェンダーが強く結びついていると考察する。
また坂田は、電話というメディアにまつわるもう一つの社会史にも言及した。電話が普及し始めた当初、電話は通話以外に有線放送電話という「情報を伝える」機能も持っていたという。坂田によると、1920年にアメリカで商業ラジオが登場して以降、放送電話の機能はラジオに取って代わられていく。そこで新たな販路として普及したのが、家庭だった。「その際、電話会社は、『自由におしゃべりを楽しむ』という電話の新しい価値を打ち出しました。1920年代のアメリカの電話会社の広告を分析すると、『遠くに住む親せきや友人に電話をかけましょう』といったそれまでの企業向け広告とは違ったメッセージが見られます。それらの広告に登場したのが『家庭の主婦』であり、『おしゃべり好き』というイメージを持たれていた女性たちでした」と言う。電話をめぐって女性とジェンダーが結びついていった背景にはこうした歴史の影響もあるのではないかと坂田は指摘する。
そして現代、急速に普及している音声メディアにAIアシスタントがある。Appleの「Siri」やAmazonの「Alexa」などの初期設定の音声は、いずれも女性だ。「もちろん男性の声に変更することは可能ですが、多くの利用者はそんな面倒なことをせず、初期状態のままにしています」と坂田。このような「補助的な役割」を担う女性の声は、技術の進展とともに無意識的かつ確実に増え続けている。それに違和感を覚えることなく日々の生活を送ることが、ジェンダーの固定化につながることに坂田は危機感をにじませる。
「2019年、UNESCO(国際連合教育科学文化機関)が発表した報告書でも、『AI音声アシスタントは、性差別を助長している』と指摘されています」と坂田。なぜ、いつ、そうなったのか、歴史的な流れを社会史として明らかにすることで、坂田は肉体を持たない「声」という存在と日常に偏在するジェンダーバイアスの関係に迫ろうとしている。
ジェンダー研究は数えきれないほどあるが、「声」と「ジェンダー」との結びつきに着目し、歴史的視点での研究は他に見当たらない。そこにこそ、この研究の独創性と社会的意義があると坂田は言葉に力を込めた。