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  • ISSUE 16:

海洋開発のカギを握る水中音響通信

海中を移動する海洋ロボットとの音波を使った通信を目指す。

久保 博嗣理工学部 教授

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海中は人類最後のフロンティアともいわれる。未知の生物や資源の有無、地質や地震に関する知見など、海底の情報は人類の存続にも関わる極めて重要なものだ。そのため現在、世界中で海洋探査のための無人ロボットの開発が進んでいる。とりわけ注目されているのが、海底に眠る資源の存在だ。日本は資源のない国といわれるが、領海と排他的経済水域を合わせた面積は世界第6位。海洋ロボットの進化は、新たな海洋資源発見の大きな可能性を秘めている。

しかし現在の海洋探査にはまだいくつもの障壁がある。その一つが「通信」だ。地上では電波通信が主流だが、海中では電波は減衰が大きく、わずか5mの通信を行うことも難しい。近距離なら有線での通信も考えられるが、海中で移動する海洋ロボットに通信ケーブルを使用すると、運用障害が生じることもある。最も可能性の高い手段は、音響通信だ。音波は電波と違い、水中でもほとんど減衰しないというメリットがある。

水中音響通信を研究する久保博嗣は、音波を用いて海中での移動体との通信を目指している。「想定される海洋ロボットの移動速度は3~5ノット程度。時速にして6~10km/時程度です。一見するとそれほど速くないように思えますが、水中で移動する物体と音響通信するのは、非常に困難です」と久保は語る。その理由は、音波の伝搬速度の「遅さ」にあるという。

水中での音波の速度は1,500m/秒ほど。電波の実に20万分の1しかない。「伝搬速度が遅いと、ドップラー効果の影響でうまく通信できません」と久保。ドップラー効果とは、音源が移動しながら音を発する時、発生源との距離が近づくと波長が短くなって周波数が高くなり、遠ざかると波長が伸びて周波数が低くなる現象。走っている救急車のサイレンの音がそれだ。水中では電波の速度に比較して音速がけた違いに遅いため、たとえ移動体の移動速度が遅くても、周波数のずれが大きくなり、より大きなドップラー効果(ドップラーシフト)が生じる。反射波の遅延時間が大きくなることも、ドップラーシフトと同様大きな問題となる。「これらの問題を解決することが、移動環境での水中音響通信に不可欠です」という。

久保は、長年企業で高速移動体通信や衛星通信の実用化に携わってきた。陸上、空中の通信を経て、立命館大学に赴任後、残る「水中」での通信の実用化に挑む。

まず水中音響通信の実験系の構築から着手。次いで水中での実験に本格的に挑戦し、2015年、琵琶湖の浅瀬で短距離通信実験を実施。5m程度の静止環境ながら誤りのない通信を確認した。だがここで、それまで検討してきた通信方式を根本から見直す必要に迫られる。「当初私たちは、移動体の無線通信が難しい原因とされるフェージングを解消することで海中での無線通信を実現しようと考えていました。しかし想定した伝搬路モデルに基づいたシミュレーションと実験結果が一致しないのです」と久保。電波通信では、様々な場所で反射した複数の電波が互いに干渉し合うことにより、電波レベルが変動するフェージングという現象が起こる。しかし水中音響通信の場合、フェージング環境よりむしろ先述したドップラーシフトと遅延時間の増大の影響の方が大きい。それに気づき、伝搬路モデルを水中音響通信固有のものに変更したことが、活路を開くことになった。

「改めて水中音響通信環境の特長に着目し、ドップラーシフトを有する複数の伝搬パスにより構成される伝送路と仮定して伝送路モデルを考え直しました」と久保。従来の無線通信では、チャネル(音波の伝搬環境)を計測し、その計測値に基づいて送信データを推定することで通信を可能にする。だがチャネル計測とデータ判定の間に若干の時間差があるため、チャネルが大きく変わる場合には推定性能が落ちてしまう。そこで久保は、変動するチャネルでの伝送路推定とデータの判定を同時に実施する“joint detection”という伝送路予測技術を考案した。あらかじめ複数のデータの候補とそれぞれに対応するチャネルの候補を準備し、準備した候補の中から最適なものを選択する。その結果、チャネル計測とデータ判定を同時に実施できる。この方法ならより高速のチャネル変動にも対応できるという。

新たに考案した通信方式についても実験による検証を行った。まず実験水槽試験でドップラーシフトに対応できることを確認すると、次に海洋に係留した船から水深約30mへの通信実験、海洋の浅瀬環境での実験にも成功する。2018年11月には伊豆での海洋通信実験で、海洋に係留した船から桟橋までの約370mに及ぶ長距離通信を達成し、良好な性能を確認した。

現在、海洋での移動環境を模擬するシミュレータを改良中である。「海洋移動環境に対応する無線通信方式の理論はほぼ確立しました。シミュレーションでの確認を経て、近い将来、伊豆で海洋実験を行い、移動環境での水中音響通信を成功させたいと考えています」と意気込む。目標を達成する日はそう遠くない。

写真左:実験水槽、写真右:ドップラー発生装置の操作風景 水中音響通信の移動環境は再現性が低いため、実験水槽を用いた模擬移動環境性能評価が有効である。しかし、実験水槽では移動環境の設定条件に制約があるため、シミュレーションにより広範な移動環境条件を再現できることが望ましい。 下図に示すように、開発したシミュレータにより、実験水槽のドップラー環境を再現できることを明らかにした。現在、このシミュレータを海洋移動環境を模擬できるように改良中である。

久保 博嗣KUBO Hiroshi

理工学部 教授
研究テーマ

高速移動体通信、水中音響通信、陸上音響通信、伝搬環境解析、無線信号処理技術の応用

専門分野

無線通信技術