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  • ISSUE 22:
  • 観光/ツーリズム

「観光」によって変容する「近代化遺産」の価値

工場、炭鉱、軍事施設など近代化の足跡が地域経済を活性化する観光資源に

山本 理佳文学部 教授

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古い工場跡や炭鉱、軍事施設など近代期に建てられた「近代化遺産」が注目を集めている。山本理佳は、こうした「近代化遺産」をはじめとした文化遺産の意味や価値が、「観光」との関わりの中で変容していく点に関心を持って研究している。

国の政策から生まれた「近代化遺産」

文化遺産と聞くと、いにしえの歴史や文化を今に伝える古い建造物や旧跡を思い浮かべがちだ。だが近年、古い工場跡や閉鎖された炭鉱、戦前の軍事施設など、近代になって建てられた施設が、「近代化遺産」として脚光を浴びている。山本理佳は、人文地理学の視点から、近代期の産業や軍事、戦争に関わる施設や痕跡が、社会や地域においてどのような意味や価値を持つのか、またその認識が時間の経過とともにどのような変容を遂げるのかに関心を持って研究している。

「『近代化遺産』は、この30年余りの間につくられた新しい概念です。1990年に文化庁主導で行われた全国調査の中で価値づけられていきました」と言う。山本は、この「近代化遺産」を、「グローバル化の中で弱くなった『国家的紐帯』を補強するための『国家のイデオロギー装置』として創出されたものである」と論じている。

山本は、北九州市の八幡製鉄所、佐世保市の軍事施設を対象にした事例研究を実施。国の戦略的な「近代化遺産」政策が、地域での産業遺産の保存に大きな影響を与える一方で、地域社会の側も、「国家的紐帯」を補強するためだけでなく、「地域」の産業遺産を存続するために戦略的に利用したことを示した。

「観光」を念頭においてつくられる文化財制度

「『近代化遺産』をはじめ、さまざまな文化遺産の概念や文化財制度が国主導でつくられてきましたが、2000年代以降、文化遺産に『観光』という要素が結びつくことによって、その意味・価値、保存のあり方が変容してきました」。山本はそうした文化遺産と観光の関係を捉えようとしている。

山本によると、従来の文化財制度は、少数優品主義で、一つひとつの文化財に対し、規制も強い代わりに手厚い財政的支援もなされてきた。「1996年の文化財保護法の改正で登録文化財制度ができ、地域・時代的偏在が是正されるようになった反面、その数は激増することになります。2000年代以降には文化庁に限らず、経済産業省の「近代化産業遺産」や農林水産省の「日本農業遺産」など別の省庁でも文化遺産カテゴリーが創出され、経済や産業面での活用が目指されていくことも関連し、文化遺産は手厚い『保護』の対象から地域振興に『活用』される存在となっていきます」と言う。また2015年に文化庁がつくった「日本遺産」は、従来の文化財制度とは全く別のプロジェクト事業であり、地域の文化・伝統に関する「ストーリー」を認定し、財政的支援はソフト事業(普及啓発活動など)に対してのみなされる。「つまり観光客を呼び込むことで自立的な遺産運用を目指そうという事業なのです」。その後2018年には、文化庁は文化財保護法そのものも改正し、文化財の「活用」に大きく舵を切ることを明確に示した(2019年施行)。1990年代以降、日本経済が低迷する中で、文化遺産の保全に多くの資金を投じることが困難になった。その一方で拡大する観光経済を利用しようとする戦略が、こうした観光を織り込んだ文化財制度の創出につながったと山本は見る。

こうした観光的側面からの戦略が功を奏することも少なくない。例として2019年に「日本遺産」に認定された北海道の「炭鉄港(たんてつこう)」を挙げた。これは空知の「炭鉱」、室蘭の「鉄鋼」、小樽の「港湾」を合わせたもので、「特に空知地域は長く人口減少や経済低迷といった課題を抱え、地域住民からは、経済・福祉的面の施策優先を訴える声が強く、炭鉱遺産保存への理解はなかなか得られなかったようです。しかし『日本遺産』認定による炭鉱遺産の観光資源としての知名度・価値の高まりから、結果的に炭鉱遺産保存に対する理解が得られやすくなった、との声が聞かれました」

住友赤平炭鉱立坑櫓
(日本遺産構成文化財、北海道赤平市)
赤平市炭鉱遺産
ガイドツアーの様子

炭鉱遺産の価値づけに果たす観光ガイドの役割

現在山本は、「近代化遺産」が文化財制度に認定されるまでのプロセスに加え、認定された後にも、観光との関わりの中でその意味や価値を変容させていく点に関心を向けている。

特に着目するのが、観光ガイドの存在だ。「2020年に実施されたアンケート結果*1によると、ガイドツアーに対する参加経験や参加意向の設問で、文化資源の中では、産業遺産のガイドツアーへの参加経験・意向が最も多いことが分かっています。文化遺産研究分野では、観光ガイドやガイドツアーは、文化遺産の意味・価値づけに重要な役割を果たしていると考えられています」と言う。

山本は、炭鉱遺産の観光ガイドを対象にヒアリング調査を行い、その存在が炭鉱に対する説明や意味づけを微細に変動させている実態を捉えようとしている。「例えば炭鉱遺産の観光ガイドは、近年の脱炭素を目指す社会的な関心に苦慮しながらも、そうした視点からの炭鉱生産、あるいは環境技術の進展の先に石炭が脱炭素に貢献する可能性なども説明に加えたりしています。こうした今日時点からの説明によって、以前にはなかった新たな意味や価値が炭鉱遺産に付与されている実態があります」

観光ガイドだけではない。その是非は別として、「廃墟マニア」といった人々も、従来の「近代化遺産」とは異なる意味や価値をそこに与えることに一役買っていると山本は指摘する。

観光との関わりによって、「近代化遺産」のあり様はどのように変わっていくのか。山本はこれからも注視し続けていく。

住友奔別炭鉱立坑櫓
(日本遺産構成文化財、北海道三笠市)
三池炭鉱(宮原坑)のガイドツアーの様子
(世界文化遺産構成資産、福岡県大牟田市)

*1 仲・五木田(2022)「国内旅行におけるガイドツアーの参加経験と参加意向、求めること」『観光文化』253:25-28

山本 理佳YAMAMOTO Rika

文学部 教授
研究テーマ

近代(産業)景観をめぐる文化・社会的事象についての研究

専門分野

人文地理学、地域研究、 観光学