2018年、「21世紀最大の人道危機」といわれるシリアの紛争は、8年目に突入した。2011年の「アラブの春」のなかで顕在化したアサド政権と反体制派の対立。それは紛争へと発展し、やがて反体制派の中からは過激派組織「イスラーム国(IS)」が出現した。ISの力が衰えた後も周辺国や大国が軍事介入し、紛争解決のための糸口は見つからない。戦火の下、総人口の半数以上が国内外への避難を余儀なくされ、すでに数十万もの人が命を落としている。
「中東の紛争や政治的混乱には、私たちには計り知れない特別な原因があるものと見られがちです。一面ではその通りですが、違いばかりに目を向けていても理解は進みません。固有性・特殊性と同時に共通性・普遍性も見出すことで、中東の政治を『よりよく』理解できると考えています」。そう語る末近浩太は、これまでイスラーム主義というものを切り口に、この課題に取り組んできた。
末近によると、イスラーム主義とは「イスラームの教えに根ざした社会変革や国家建設を目標とする政治的イデオロギー」のことである。末近は、イスラーム主義を100年以上に及ぶ長期のパースペクティブで分析することの重要性を説く。オスマン帝国の崩壊によって生じた「政治」と「宗教」の関係をめぐる問題は、長年の独裁政治によって封印されてきた。この状況を大きく変えたのが「アラブの春」であった。イスラームを政治に反映させようとする動きが顕在化し、その声は大きくなっているのである。末近は再び問い直されるようになった「政治」と「宗教」の関係に目を向け、イスラーム主義が中東の政治に何をもたらし、今後両者の関係をどのように変えていくのかについて研究を続けている。
日本においても、「中東」と「イスラーム」のそれぞれに関する研究は数多くなされてきたが、両者にまたがる試みはまだまだ発展途上である。そのためイスラーム主義の実像に肉薄し、それを手がかりに中東の政治を捉え直す末近の研究は、多くの注目を集めてきた。
「しかし言うまでもなく、中東の政治現象すべてにイスラームが関わっているわけではありません」と末近。中東の政治といっても、独裁、民主化、紛争、戦争、石油資源をめぐる経済問題など多様なトピックスがある。
末近は先頃、これまで進めてきた研究に新たな視座を加えるべく、中東の「紛争」と「国家破綻」に焦点を当てた研究をスタートさせた。シリアやイラクなど紛争を経験した諸国を取り上げ、なぜ紛争や国家の破綻が起こるのか、破綻によってどのような問題が起こるのかを明らかにしようとしている。
「国家破綻は決してドメスティックな問題ではありません。国家が破綻して紛争が起こると、その国の人々に被害が及ぶだけでなく、国際社会にも大きな影響を与えます」。シリアの紛争において台頭した「イスラーム国」は、イラクとシリアにまたがる広大な地域に「国家」を築いた後、世界中のムスリムに「国民」となるように呼びかけた。その結果、中東だけでなく欧米諸国でもテロリズムが頻発することになったのは周知の事実だ。
しかし、中東の政治の研究の中でも、紛争や国家破綻についての研究は世界的に進んでいない。地域研究においては、現地に赴き、その地に住む人々の声や現地の書物といった一次資料を集めることが欠かせないが、紛争地域ではそれが事実上不可能だ。そこで、末近の研究プロジェクトでは、現地の研究機関に委託するかたちで大規模な世論調査を実施し、そこに住む人々の声を収集することを試みている。2017年には、シリアとイラクでそれぞれ1,000人規模のデータを収集。そこからは、マクロな視点からではなかなか見えない市井の人々の考え方や姿勢が浮かび上がってくる。「詳しい分析にはもう少し時間がかかりそうですが、データからはこれまで中東政治について通俗的に語られてきたことや『常識』と見なされてきたこととは異なる様相が見えてきます」。
中東の紛争に関する誤解の中でも多いのが、紛争の原因を「宗派対立」に見るものだという末近。例えば、シリアにおける内戦は、世俗主義を掲げるアサド政権とイスラームを政治に復活させようとする反体制派のいわば「宗教か否か」の対立であり、異なる宗派同士が対立しているわけではない。今回の世論調査でも、末近たちの見解が裏づけられる結果が得られたという。
「政教分離や世俗主義が当然とされる日本や西洋世界では、中東の紛争の原因が『宗教』にあると思われがちです。しかし、実際には政治のすべてが宗教で動いているわけではなく、私たちの暮らしている国や地域となんら変わらないところもあります」と末近。一見異質に見える中東にあっても、紛争あるいは平和の原因やメカニズムは案外普遍的なものなのかもしれない。「今回の研究プロジェクトによって、中東の政治を『よりよく』理解するための方法論や手法をもっと追求していきたい」と末近は強い意欲を見せた。