立命館あの日あの時
「立命館あの日あの時」では、史資料の調査により新たに判明したことや、史資料センターの活動などをご紹介します。
最新の記事
2020.01.23
立命館大学衣笠キャンパス 学術・文化資源 紹介 <創立者 中川小十郎の墓>(等持院墓地)
研心館と有心館の奥に「等持院墓地」があり、中川小十郎の墓があります。小十郎は1944(昭和19)年10月7日に亡くなり、学園葬に続いて広小路、北大路、衣笠それぞれの学舎ごとに告別式が行われました。現在も毎年墓参が続けられています。
注意:「等持院墓地」は聖域です。観光地ではありませんので墓参の方以外はご遠慮ください。
(写真は「墓碑」)
2020.01.23
立命館大学衣笠キャンパス 学術・文化資源 紹介 <中川小十郎ゆかりの泰山竹(だいさんちく)>(中央広場)
1919年頃、小十郎は西園寺公望の別荘「坐漁荘」(ざぎょそう)そばの旅館を常宿としていました。その庭に台湾から持ち帰った珍しい竹「泰山竹」を寄贈移植しています。2002年株分けされた竹を衣笠キャンパスに植えています。
2020.01.23
立命館大学衣笠キャンパス 学術・文化資源 紹介 <立命館大学の門標>(東門)
衣笠キャンパス東門の「立命館大學」の門標は、書道家の綾村坦園揮毫によるもので、広小路から移設されたものです。綾村氏は京都大学の卒業で末川総長より15歳ほど若いのですが、第三高等学校で同じ弁論部であったことから知己を得て揮毫したと伝わります。(最初の門標は1953年広小路キャンパス正門に設置)