立命館あの日あの時

「立命館あの日あの時」では、史資料の調査により新たに判明したことや、史資料センターの活動などをご紹介します。

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立命館あの日あの時内記事を検索します

2020.01.23

立命館大学衣笠キャンパス 学術・文化資源 紹介 <等持院墓地への参道>(清心館東)

清心館東の通路には、門から墓地までまっすぐに石が敷かれています。これは等持院の墓参道路の目印です。衣笠キャンパスは1939年等持院の敷地の一部を買い取り設置されました。キャンパスは等持院と墓地を結ぶ参道の東西に立地していましたが、その後キャンパスが拡張され、等持院墓地もキャンパスに囲まれるようになったのです。198011月、等持院と立命館の間で、「等持院墓参道路に関する覚書」を交わしキャンパス内にある墓参道路の運用について申し合わせを行い現在に至っています。門の右側には「万年山 等持院 墓地参道」の石標が建っています。

紹介22

紹介23

2020.01.23

立命館大学衣笠キャンパス 学術・文化資源 紹介 <理工学部発祥の地の石碑>(修学館前)

理工学部は、1938(昭和13)年北大路に立命館高等工科学校として設置され、翌1939(昭和14)年に立命館日満高等工科学校に改組した後11月に衣笠に移転します。以後1949年の理工学部(新制)設置から1994年の理工学部のBKC移転までの45年間、理工学部はこの地にありました。この石碑はこれを記念して19931123日相訪会(理工学部校友の会)により建立されました。

紹介21

2020.01.23

立命館大学衣笠キャンパス 学術・文化資源 紹介 <京都市電北野線(N電)の敷石>(以学館前)

京都市内にはかつて路面電車が縦横に走っていました。1895年に京都電気鉄道として開業した路面電車は1918年に合併した後京都市電となり1978年に廃止されるまで、京都市民の足として親しまれました。

1961年市電の中で最初に廃止された「京都市電北野線」(京都電気鉄道が敷設した1067mmの狭軌ーナローゲージーであったため通称「N電」と呼ばれた)の敷石は頒布され、1965年に竣工した以学館前の敷石にも使われています。

紹介20

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