立命館あの日あの時
「立命館あの日あの時」では、史資料の調査により新たに判明したことや、史資料センターの活動などをご紹介します。
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2013.08.04
「今日は何の日」8月 立命館中学校・高等学校の拡充移転と男女共学化
1988(昭和63)年は、立命館中学校・高等学校にとって大きな変化の年でした。
それまで男子校として66年の期間を北大路学舎で過ごしてきましたが、同年4月からは男女共学化が始まり、中学校に男子162名、女子66名、高等学校に男子300名、女子67名が入学しています。さらに8月には、北大路学舎から深草学舎に移転することとなったのです。
深草学舎は、開設時には校地75,646㎡、校舎延べ床18,330㎡で、北大路の校地の約7.7倍、校舎約1.9倍の規模となり、快適な学習・教育環境となりました。
立命館中学校・高等学校では、7月16日に「さよなら北大路」閉校式典、感謝の集いを開催して北大路学舎に別れを告げ、7月22日には深草学舎竣工・開設記念式典を挙行、続いて8月29日に開校式と二学期始業式を新校舎の記念ホールで行っています。9月10日には近隣の学校や人々を招き、PTAと合同で記念行事、施設びらきを開催し新キャンパスの披露をしました。
立命館中学校・高等学校はその前身である私立清和普通学校が1905(明治38)年に広小路学舎で開校し、のちに私立立命館中学に改称され、1922(大正11)年に北大路学舎に移転し、1988(昭和63)年には深草へ移転してよりよい教育環境を目指してきました。現在は、さらなる教育環境を目指して長岡京キャンパスへの移転が2014年9月に予定されています。そしてその翌年の9月10日には、創立110周年を迎えます。

1988年7月深草移転に先立ち北大路学舎で閉校式典を実施。写真は生徒による人文字「さよならR北大路」
それまで男子校として66年の期間を北大路学舎で過ごしてきましたが、同年4月からは男女共学化が始まり、中学校に男子162名、女子66名、高等学校に男子300名、女子67名が入学しています。さらに8月には、北大路学舎から深草学舎に移転することとなったのです。
深草学舎は、開設時には校地75,646㎡、校舎延べ床18,330㎡で、北大路の校地の約7.7倍、校舎約1.9倍の規模となり、快適な学習・教育環境となりました。
立命館中学校・高等学校では、7月16日に「さよなら北大路」閉校式典、感謝の集いを開催して北大路学舎に別れを告げ、7月22日には深草学舎竣工・開設記念式典を挙行、続いて8月29日に開校式と二学期始業式を新校舎の記念ホールで行っています。9月10日には近隣の学校や人々を招き、PTAと合同で記念行事、施設びらきを開催し新キャンパスの披露をしました。
立命館中学校・高等学校はその前身である私立清和普通学校が1905(明治38)年に広小路学舎で開校し、のちに私立立命館中学に改称され、1922(大正11)年に北大路学舎に移転し、1988(昭和63)年には深草へ移転してよりよい教育環境を目指してきました。現在は、さらなる教育環境を目指して長岡京キャンパスへの移転が2014年9月に予定されています。そしてその翌年の9月10日には、創立110周年を迎えます。
1988年7月深草移転に先立ち北大路学舎で閉校式典を実施。写真は生徒による人文字「さよならR北大路」
2013.08.02
「今日は何の日」8月 昔の夏休みは何日までだった?
2012(平成24)年度の夏期休暇は、8月3日から9月25日(54日)まででした。
この夏期休暇期間も昔から変遷があります。
戦前の旧制の立命館大学の頃は7月11日から9月10日(62日)でした。
1937(昭和12)年6月発行の『立命館学誌』には「暑中休暇に於ける読物に就いて」という記事があり、当時の教授による夏休みの読書の薦めが掲載されています。
末川博先生は『寒山詩』『国際問題研究』など、吉川大二郎先生は河合榮治郎著『学生生活』、瀧川幸辰先生は『福翁自伝』『寺田寅彦全集』などを薦めています。もっとも末川先生は「何を読むべきかということよりも如何に読むべきかということのほうが大切」と言っています。
新制大学になって間もない1950(昭和25)~1955(昭和30)年度は、7月1日~8月31日(62日)。
1956(昭和31)~1985(昭和60)年度は、戦前と同じ7月11日~9月10日(62日)。
1986(昭和61)~1993(平成5)年度は、7月25日~9月20日(58日)となりました。
これ以降は、その年度の学事日程により多少変更されています。

祇園祭鉾引きのアルバイト(7月)北観音山を曳く立命館大学学生
この夏期休暇期間も昔から変遷があります。
戦前の旧制の立命館大学の頃は7月11日から9月10日(62日)でした。
1937(昭和12)年6月発行の『立命館学誌』には「暑中休暇に於ける読物に就いて」という記事があり、当時の教授による夏休みの読書の薦めが掲載されています。
末川博先生は『寒山詩』『国際問題研究』など、吉川大二郎先生は河合榮治郎著『学生生活』、瀧川幸辰先生は『福翁自伝』『寺田寅彦全集』などを薦めています。もっとも末川先生は「何を読むべきかということよりも如何に読むべきかということのほうが大切」と言っています。
新制大学になって間もない1950(昭和25)~1955(昭和30)年度は、7月1日~8月31日(62日)。
1956(昭和31)~1985(昭和60)年度は、戦前と同じ7月11日~9月10日(62日)。
1986(昭和61)~1993(平成5)年度は、7月25日~9月20日(58日)となりました。
これ以降は、その年度の学事日程により多少変更されています。
祇園祭鉾引きのアルバイト(7月)北観音山を曳く立命館大学学生
2013.08.01
「今日は何の日」8月 中川小十郎の夏休み観
立命館の創立者中川小十郎は、夏休みや休暇について、廃止すべきとの意見をもっていました。
1927(昭和2)年11月の『立命館学誌』第108号には「日曜の全休を廃止したい」、1929(昭和4)年6月の『立命館学誌』第125号や1929(昭和4)年10月の『立命館禁衛隊』第1号では夏休みの廃止を唱えています。
「余暇」に対する当時の社会的・文化的背景もありますが、中川は学生は休みなく勉学に励むべしとの考えで、日曜日は半休でいいし、夏休みは全廃してその分勉強することが大切だと捉えていました。とはいえ、夏休みを廃止することは現実的ではないので、「平生には出来かぬることをこの期間を利用して為し遂ぐるようにせねばならぬ」として特に外国語の勉強をしなさいと言っています。そうして、この考えを実践していきます。
1928(昭和3)年には立命館中学校で放課後や長期休暇を利用した英・数・国の「特別講習」授業を開始、1929(昭和4)年には立命館大学でも夏休み期間中に英語とドイツ語の「夏期講習」を開始します。あわせて図書館の蔵書も充実させて自学自習の環境も整備します。1934(昭和9)年からは立命館大学で法律学・経済学の専門講義も夏期講習で実施するようになります。
現在の「夏期集中講義」の最初は中川小十郎だったのですね。

創立者中川小十郎総長
1927(昭和2)年11月の『立命館学誌』第108号には「日曜の全休を廃止したい」、1929(昭和4)年6月の『立命館学誌』第125号や1929(昭和4)年10月の『立命館禁衛隊』第1号では夏休みの廃止を唱えています。
「余暇」に対する当時の社会的・文化的背景もありますが、中川は学生は休みなく勉学に励むべしとの考えで、日曜日は半休でいいし、夏休みは全廃してその分勉強することが大切だと捉えていました。とはいえ、夏休みを廃止することは現実的ではないので、「平生には出来かぬることをこの期間を利用して為し遂ぐるようにせねばならぬ」として特に外国語の勉強をしなさいと言っています。そうして、この考えを実践していきます。
1928(昭和3)年には立命館中学校で放課後や長期休暇を利用した英・数・国の「特別講習」授業を開始、1929(昭和4)年には立命館大学でも夏休み期間中に英語とドイツ語の「夏期講習」を開始します。あわせて図書館の蔵書も充実させて自学自習の環境も整備します。1934(昭和9)年からは立命館大学で法律学・経済学の専門講義も夏期講習で実施するようになります。
現在の「夏期集中講義」の最初は中川小十郎だったのですね。
創立者中川小十郎総長