立命館あの日あの時

「立命館あの日あの時」では、史資料の調査により新たに判明したことや、史資料センターの活動などをご紹介します。

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2013.11.03

「今日は何の日」11月 昔の学園祭のこと

 現在の立命館大学学園祭は、BKCが11月上旬、衣笠が11月中旬の土日に開催されています。APUの学園祭である天空祭は10月下旬の土日に開催されています。
 戦後の学園祭は、1947(昭和22)年10月18日・19日に、また1948(昭和23)年の10月14日・15日に開催されていることが、当時の在学生の日記に記されています。
 1950(昭和25)年には、「立命館大学創立五十周年記念学園祭」が10月14日から28日、更に11月中旬の企画と続いて開催されました。体育大会や「同・立野球リーグ戦」も開催されていますが、この年の学園祭は文字通り創立50周年を記念する全学の取組みでした。
 1951(昭和26)年10月5日の「立命館学園新聞」には、「学園祭近づく 各部多彩な催し」の記事が掲載され、10月11日から27日までの間、演劇部、写真部、茶道会、軽音楽部の企画などが紹介されています。同立野球戦、20日には新京極の美松ダンスホールでの大ダンスパーティー、体育祭では仮装行列市中行進などもありました。
 1955(昭和30)年の『学園祭パンフレット』によると、「立命館大学創立55周年」を記念し、11月6日の御所グラウンドでの体育大会に始まり、学芸大会、学術大会、理工大会の企画が15日まで連日繰り広げられています。学術関係では38のサークルの企画、学芸関係では14の催しが紹介され、12日夕刻には広小路学舎の校庭で「ファイアーストームを囲む歌とおどり」が行われました。
 また1990年代半ば頃までは、学園祭は土日だけでなく前後の平日もあり、学園祭実行委員会から大学に申し入れて、教授会などで審議をした上で、全学休講にしていました。例えば1990(平成2)年度の学園祭では11月2日(金)が一部全学部午後半日休講、11月5日(月)が一部全学部全日休講・二部全学部全日休講になっていたのです。



1981年衣笠一拠点完成年度の学園祭夜祭

2013.11.02

「今日は何の日」11月 常に学生とともにあった末川総長

 末川博先生が亡くなられたとき、末川総長の秘書をしていた職員が「学生と総長室」と題して総長室での末川先生について追想しています。
 「総長室は、(広小路学舎の)中川会館の二階の奥まったところにあり、ここを訪れる人の多くが、他大学などで経験される秘書課のないのに、まず驚かれます。学者、文化人から新聞記者、芸能人、一般市民の方々とそれは多方面に亘っていて、何方ともわけへだてなく会われていました。そのため木戸御免、門戸開放もいいところで、その出入りは、まことに激しいものでした。」
 授業料が払えず新学期まで借金させてほしいという学生や、希望した大学に入れなくて悩んでいるなどと相談に来た学生もいたようです。
 男子学生からはオヤジ、オヤジさん、女子学生からはオジイチャンと親しまれていて、地下の学生食堂でよく学生と並んで食事をしていました。後で総長室に学生を呼んだりしていたようです。
 「卒業期が近づくと、総長室には学生の出入りが一段と多くなります。それというのも卒業記念にぜひ色紙に揮毫をと依頼にくるからで、卒業式の日まで間に合わせてあげたいと先生も懸命に筆を持たれるのですが、なにぶんにも沢山のことなので、間に合わない人たちには、後日、郷里や就職のための新任地へお送りしたものです。」
  末川博先生追悼文集編集委員会『追想末川博』(1979年)より抜粋



学生とともに御所を散策する末川博総長(1952年)

2013.10.16

<懐かしの立命館> 衣笠キャンパスの「図書館」今昔

 

2013年10月現在、衣笠キャンパスでは正門入ってすぐにある第一体育館の解体工事が始まっています。この場所には2015年秋に新図書館が建設されます。

現在の図書館は、立命館創立70周年記念事業(1970年が70周年となる)として1967年9月25日に竣工しました。竣工当時は、1階2階は完成していましたが、3階は今後全ての学部が衣笠に移転する時のために改修できるようにしていました。

当時の末川博総長は、図書館の竣工にあたって次のような言葉を寄せています。

「学問の研究と人材の育成を使命とする大学にあっては、図書館は、人間の身体でたとえていえば、頭脳のようなものだといってよいかと思います。すなわち、学問の上に立って学問を通して人間をつくるというに当って、物的施設の中枢としては、図書館を挙げることができるでありましょう」

「この図書館の位置する衣笠の校地は、風光の明るくて清い景勝の地でありまして、研究と教育には最もふさわしい好適の環境をなしているのでありますから、私ども学園関係者は、今後、この図書館の機能を十全に発揮して、さらに教学の充実発展を期しなければならないと考えています」

「ところで、この図書館の建設は、(中略)後日この衣笠の校地に大学の全部が集ったときのことを予想しているために、(中略)未完成ともいうべき部分が残っているわけであります。」

「長期の大計画としては、広小路校地の三学部も衣笠校地に移転して、総合大学としての形態も内容もいっそう充実強化したいという構想のもとに(中略)施設を整備してまいります」 

この図書館が竣工した当時、衣笠学舎には、経済学部、経営学部、理工学部だけがあり、法学部、文学部、産業社会学部は広小路学舎にあって順次衣笠学舎へ移転を計画していました。1981年に法学部の移転が完了して、衣笠一拠点が完成し図書館は名実共に中央図書館として機能することになったのです。

「新図書館」は「学園ビジョン2020」「衣笠キャンパス整備計画」をご参照ください。

https://www.ritsumei.ac.jp/rs/r2020/campus/kin_campus.html/

図書館の歴史は、「図書館略歴」をご参照ください。

https://www.ritsumei.ac.jp/library/guide/about/history.html/

 

1967年の図書館と2013年の図書館どんな違いがあるでしょう?

新しい建物ができた時には、必ず建物を撮影した「竣工パンフレット」が作成されます。その竣工パンフレットと同じ地点から2013年10月11日に撮影した写真で比較してみましょう。


外観の比較。竣工当時は周りを見ると「至徳館」や「存心館」「学而館」はまだ建っていません。2013年の写真では奥に学而館が見えますね。周りの植栽も50年近くの歳月を経て大きくなっています。

1967年当時の衣笠キャンパス配置の予想図(当時の「予想図」なので、実際とは異なる)

中央に図書館があり、網掛の校舎だけが建っています。

以学館は1965年、修学館(第一期)が1966年に竣工しています。存心館、学而館はありませんね。

 

 

 

 

 


<図書館1F>

1967年当時の平面図

 

 

 

 

 

 

 




玄関からの比較です。竣工当時は広いホールです。床はリノリウム張り。現在は入館ゲートがあり左手と中央は展示スペース、右手はカウンターですね。床は布タイル。天井照明の位置だけが当時の面影を残します。



玄関入って左手は、当時自習室でした。ただ机と椅子だけが並んでいます。現在は「ぴあら」として様々なメディアを利用した検索やグループワークやプレゼンテーションができますね。「自習」の概念も様変わりです。



2階へあがる階段の部分です。竣工当時は奥がロッカールームでした。当時は現在のような入館ゲートシステムがなかったため、蔵書のセキュリティのためや貴重品の安全のために個人の荷物をロッカーにしまっていました。現在は蔵書検索PCなどのスペースになっていますね。階段と天井照明だけが当時の雰囲気を残しています。


<図書館2F>

1967年当時の平面図

 

 

 

 

 

 

 

 

 


竣工当時は平机と椅子が並んでいました。現在は、平机には衝立が立ち、手前には個人学習用のキャレルディスクができ、学生一人ひとりが集中して学習できるようになっています。



1967年当時の平面図では、「1 学生休憩室」の場所です。当時は「喫煙室」でした。現在キャンパス内全面禁煙ですから、時代を感じさせる1コマです。この場所は現在「グループ閲覧室」と「検索ルーム」になっています。


<図書館3F>

1967年当時の平面図

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


当時の写真は、図面の「13 ファン室」の前から「15 ホール」に向けて撮影されています。竣工当時はいずれ広小路学舎から移転してくる法・文・産業社会学部の学生のことを考慮して、改修する予定でした。沢山の小部屋がありますね。現在3階は閲覧室で、同じ場所から撮った写真からは当時の面影は全くありません。


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