立命館あの日あの時

「立命館あの日あの時」では、史資料の調査により新たに判明したことや、史資料センターの活動などをご紹介します。

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2013.07.03

「今日は何の日」7月 校歌・学園歌の始まり

 「あかき血潮 胸にみちて 若人真理の 泉を汲みつ ……」
 立命館の学生・生徒であれば一度は歌ったことのある校歌。この校歌ができたのは1931(昭和6)年7月です。
 『立命館学誌』の同年9月号(145号)に「立命館大学校歌成る」の記事があり、明本京静作詞・近衛秀麿作曲の校歌の歌詞が掲載されました。同年の『立命館学誌』12月号には楽譜も掲載され、翌年1月号には、12月19日にコロンビアでレコード吹込が行われ発売されることになったとの記事があります。
 歌詞についてはその後いくつかの変形がみられたため、1976(昭和51)年に統一がされました。
 なお、元の歌詞は2番までありましたが、時代にそぐわない部分があったため、1990(平成2)年に至って2番を正式に廃止し、また外山雄三氏により編曲がされました。
 この立命館大学校歌も、2大学、4中学校・高等学校、1小学校の総合学園となりキャンパスも京都・滋賀にとどまらず九州・北海道まで広がったため、1998(平成10)年に「現在の校歌を学園歌とする。立命館大学は引き続き立命館大学校歌とする。各附属校は各校の判断に委ねる。立命館アジア太平洋大学は独自の校歌をつくることを基本としその判断を委ねる」と決まりました。
 現在の正式な歌詞は、以下の通りです。
あかき血潮 胸に満ちて 若人真理の 泉を汲みつ
   仰げば比叡 千古のみどり 伏す目に清しや 鴨の流れの
   かがみもとうとし 天の明命 見よわが母校 立命 立命
     (ただし、『立命館学誌』145号は、満ちて→みちて、伏す目→ふす目 です。)



校歌は1931年7月につくられ、レコードの吹き込みが12月に行われた。指揮は作曲者の近衛秀麿。

2013.07.02

「今日は何の日」7月 前期試験今昔

 7月といえば、前期試験
 現在前期試験は夏期休暇前の主として7月に実施されていますが、1985(昭和60)年度までは夏期休暇が明けた9月中・下旬に実施していました。
 1986(昭和61)年度に学年暦が変更になって現在のようになっているのです。
 また、現在文・社系の定期試験時間は60分が原則で一部の科目は90分試験になっています。この90分試験は、1989(平成元)年度後期試験から法学部で始まったものです。もっとも、自由に90分試験ができるわけではなく、事前の申請にもとづいて教授会で科目の性格等を慎重に検討したのちに決定できるとしています。

 さらにもっと古い話ですが、まだ卒業式が7月であった時代、1917(大正6)年の学年試験(後期試験にあたる)は6月に実施されました。
 当時の大学部・専門部の試験問題が『立命館学誌』(大正6年7月号)に掲載されていますので、一部を紹介します。
 第3学年  行政各論(織田)  「営造物使用ノ法律関係ヲ論セヨ」
       親族及相続法(岡村)「継母ノ兄弟ハ継子ノ伯叔父ナリヤ」
       貨幣論(河上)   「貨幣ノ価値ト一般物価トノ関係如何」(2、3年共通)
 第2学年  債権総論(中島)  「過失相殺トハ何ソヤ」
       行政総論(佐々木) 「公物ニ於ケル所有権ヲ論ス」
       刑事訴訟法(宮本) 「証拠ノ意義ヲ問フ」
 第1学年  憲法(市村)    「憲法第73条ノ手続ヲ践ミテ憲法中ニ憲法廃止ニ関スル規定ヲ設クル事ヲ得ルヤ」
       刑法総論(宮本)  「正当防衛ノ要件ヲ明ニスベシ」
       法学通論(織田)  「慣習法ハ如何ニシテ成立スルカ」
       経済原論(田島)  「紙幣ノ正貨ト異ナル特徴ヲ問フ」



前期試験に臨む学生たち(1989年度)

2013.07.01

「今日は何の日」7月 今はあたりまえの冷房の始まりは?

 夏といえば冷房がかかせません。6月中旬頃から教室も暑くなり、冷房が無いと授業も前期試験も成り立たないくらいです。
 でも90年代の半ばまでは、教室には冷房がありませんでした。前期試験の時も、教室の窓を開け放ち、扇風機を回し、団扇とタオルを片手に汗を流しながら試験をしていたのです。
 冷房が全ての教室に設置されたのは、1994(平成6)年度の全学協議会確認以降です。
 1990(平成2)年の全学協議会の時、学友会が初めて諸要求の一つとして、教室の冷房化を要求します。1991(平成3)年度の全学協議会ではキャンパスアメニティの観点、教学施設設備の観点から冷房化が議論となりました。時あたかも「第四次長期計画」の議論まっただ中の頃です。
 1991(平成3)年度全学協議会確認文書では、教学改革の条件をつくる施設設備という項目で、学生ラウンジや課外講座、近隣への騒音防止を目的にして冷房化する確認がなされ、衣笠キャンパス整備計画の基本課題として位置づけられたのです。
 この結果、1991(平成3)年7月から学生ラウンジなどの施設が冷房化されたのですが、教室はまだ冷房化されませんでした。
 その後、学友会はこの要求を毎年の全学協議会の議題と位置づけ、1994(平成6)年度全学協議会では、第一議題として議論をし、大学は、教室の冷房化には新たな支出を伴うが教学条件上必要であると判断して1995(平成7)年夏までに実施することになったのです。
 今、当たり前のように感じる夏の冷房は、学生要求によって実現したという歴史があるのですね。



文学部の卒論演習風景(扇風機を使用している)。 現在のような冷暖房設備はなく扇風機が使われた

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