立命館あの日あの時
「立命館あの日あの時」では、史資料の調査により新たに判明したことや、史資料センターの活動などをご紹介します。
最新の記事
2025.01.01
「今日は何の日」1月 明けましておめでとうございます
日本のお正月は、もともとは、祖先に感謝し、先祖の霊を祀るもので、その後、五穀豊穣の神様をお迎えし、その年の豊作を祈るようになったといわれています。6世紀半ばには、すでに存在していたということです。また少なくとも平安時代後期には、「お年賀」の挨拶が始まっていたとされています。現在のように門松やしめ飾り、鏡餅などの正月飾りが庶民の間でも行われるようになったのは江戸時代中期からで、おせち料理が食べられるようになったのもこの頃です。さらに初詣として神社に参拝するようになったのは明治時代以降で、都市部から始まった新しい慣習でした。(イニシオフーズ株式会社『百花』より)
お正月について、名誉総長の末川博先生は次のように述べています。
「一九六五年、昭和も四十年となった。終戦までの二十年と戦後の二十年と、まさに昭和も半々に分けることができるようになったわけである。そして、その前半と後半とのあいだには、日本民族がかつて経験したことのない敗戦による降伏という大きな断層があって、あらゆる面で急激な変転が生じている。まず、新年を迎えてお互いに『おめでとう』といいかわす言葉に変りはないが、その意味は、だいぶん変わってきている。正月にはなぜおめでとうというのか。何とか年を越すことができてよかったとか、生きながらえてお互いに結構だったとかいうような気持を表わすのでもあろうが、戦前のこどもたちにはトシを一つとるというよろこびが大きかった。」(「正月と戦後二十年」1965年1月1日『京都新聞』、末川博『京洛閑話』、『末川博随想全集』第8巻、栗田出版会1972年より)
戦前は一般的に、生まれた日が1歳で正月の度に1歳年をとる「数え年」でした。1950年の「年齢のとなえ方に関する法律」により、従来のならわしが改められ、生まれた日が0歳で、その日を起点に1歳ずつ年をとる「満年齢」となっています。
「ところで各家庭に大切な歳神様をお迎えするお正月なので、昔からお正月にやってはいけないこととして伝えられてきたことがあります。
〇炊事場などの火や水を使ってはいけない(神様の食事される場所であるため)
〇掃き掃除などをしてはいない(神様を掃いてしまうため)
〇風呂に入ってはいけない(福の神様も流してしまうため)
〇包丁など切れるものを使わない(良い縁も切ってしまうため)
〇1万円札など大きなお金は使わない(散財する年になってしまうため)」(イニシオフーズ株式会社『百花』より)
「だからおせち料理は予めつくっておくのか」といまさらながら感心しました。
2024.12.25
「今日は何の日」12月 クリスマスは日本でいつ頃始まったのでしょうか?
名誉総長の末川博先生が1960年2月12日の『京都新聞』に掲載したエッセイ「節分とクリスマス」で、「クリスマスというのは、日本に昔からあったわけではなくて、戦前にはこれほど盛んではなかったのが、今日こんなににぎやかになったのはどうしたことであろうか。」「まことに大きな包容力とずぶとい度胸を持っているのが、日本人の特色とでもいうべきであろうか。」と述べています(末川博『京洛閑話』、『末川博随想全集』第八巻、栗田出版会1972年より)。
ところで日本ではいつ頃「クリスマス」が始まったのでしょうか?「1900年に横浜で創業した「明治屋」がクリスマス飾りや関連商品を販売したから」、「1910年に不二家の創業者である藤井林右衛門がクリスマスケーキを販売したから」等の説があります。正岡子規は1892年に「臘八(ろうはち)のあとにかしましくりすます」(臘八とは12月8日のお釈迦様が悟りを開いて仏となった日)、1896年に「八人の子どもむつましクリスマス」と俳句を読んでいます。1900年にはトナカイではなくロバを連れた「北國の老爺三太九郎」という物語が教文館から発行されています。
1900年といえば、立命館大学の前身、京都法政学校が発足した年ですが、この頃には
クリスマスが認知されつつあったということなのでしょう。ところで立命館大学では2022年12月25日に行った「りつくり2022 ~光のサンタと氷の時計台〜」が、新型コロナウイルス禍の影響で希薄となった学生同士や教職員、地域社会とのつながりの活性化を目的として、衣笠キャンパスを舞台とした初の参加型クリスマスイベントとして、存心館へのプロジェクトマッピングや各種企画が行われて話題になりました。
一切の武力攻撃、暴力、差別、環境破壊の無い世界を願って、メリークリスマス!
2024.12.24
<懐かしの立命館>青春の思い出がつまったあの店は今…?(その4)
小松原から西大路通へ
東門を出て馬代通を渡り、小松原から西大路通に至るあたりのお店情報です。
*1983年チャンスMAP
「大珉」は閉店しました
中国料理の店で、詳細情報がありませんが、閉店しています。
「喫茶コロラド」は閉店しました
詳細情報がありませんが、閉店しています。
NEW「VESNA(ヴェスナ)」営業中
小松原公園の向かい側辺りにできた雑貨ショップ「ヴェスナ」は東欧やロシア、ドイツなどヨーロッパ雑貨のセレクトショップです。年に数回、現地買い付けをしているそうです。
NEW「BRASS/COFFEE」営業中
小松原公園の向かい側のマンション1階に2020年10月にオープンしたシックで落ち着いた店構えのカフェです。タルトや焼き菓子が人気です。奥へ進むと意外にも広くてびっくりします。通路のような空間には簡易的な椅子が設置されていてメインの空間はこちら。広々としていて開放的で、美術館のようなアーティスティックな空間となっています。
NEW「タージマハルエベレスト」営業中
2020年11月にオープンしたインド・ネパールレストラン&バーです。本場インドでもインド料理屋を経営し、日本と合わせて30年以上の実力を持つシェフが提供するカレーは、独自の調合によるネパールスタイルのスパイスで仕上げた味わい深い品々で人気となっています。
この店の前は「さんばり」→「あんぽんたん」→出火したラーメン店でした。
NEW「黒猫軒」休業中
「タージマハルエベレスト」と「ハイライト」に挟まれた場所(マハロというお好み焼き屋さんがあった所)にできた中国酒家「黒猫軒」で、広東料理をベースに化学調味料を一切使わず、ブライトンホテルの中華シェフだった日本人シェフが作る京都らしい、優しい味わいの中国料理が人気でしたが、あいにく2024年3月から一時休業となりました。ガス灯のような店名看板がおしゃれです。
「ハイライト」は営業しています
東門を出て馬代通を横切り、西大路通方向に歩いた所にある定食屋さんです。二階部分がより落ち着ける和風の造りになっています。皿からはみ出しそうな程のジャンボチキンカツ定食をはじめ、大き目のお皿一杯におかずが盛られている安くてボリューミーな定食が多く、学生達に人気です。現在も営業しています。
「キャロット」は閉店しました
詳細情報がありませんが、閉店しています。
NEW「わからん」営業中
ハイライトの東隣にあるのが「わからん」という名前の定食屋さん及び居酒屋です。学生向けの料金設定で、安くて美味しいご飯が食べられると好評です。人気No.1は、おろしジャンボチキンカツ定食で、定食にはお味噌汁や小鉢、お漬物がついてきます。サービスにコーラが付いてくるという噂も…。スイカの絵柄のヤカンがあったことを知っていますか?
「ヨーク」は閉店しました
このあたりに1967年にオープンしたイタリアンレストランのヨークがありました。教職員の利用もありましたが、随分前に閉店しました。現在はコンビニや駐車場になっています。
「喫茶リップル」は閉店しました
詳細情報がありませんが、閉店しています。
NEW「喫茶ル・ヴァン・クレール」営業中
2001年に開店した自家焙煎珈琲が自慢のお店で、駐車場もあります。他の店にない特徴は、コーヒーカップやティーカップを選んで利用できることで、全部で300客以上あるカップは、ジノリやマイセン等どれも高級ブランドです。紅茶の場合は、カップとお揃いのティーポットで出していただけます。フォークやスプーンも銀食器です。一客数万円のカップや銀食器を使って珈琲を優雅に楽しみましょう。マスターが丁寧に食器等の説明をしてくださいます。
「ビストロリップル」は閉店しました
詳細情報がありませんが、閉店しています。
「喫茶留仏蘭」は閉店しました
詳細情報がありませんが、閉店しています。
「フルーツパーラークリケット」は営業しています
西大路通を南に下がるとマンションの1階に1974年にオープンしたフルーツパーラークリケットがあります。店構えは昔と変わったと思いますが、現在も営業されています。ホイップクリームが乗ったフルーツゼリーが大好評です。
「喫茶チャオ」は閉店しました
詳細情報がありませんが、閉店しています。
「クレサンテーム」は閉店しました
「わからん」から北に少し上がるとクレサンテームがあります。昔はレストランも営業していて、学生寮やホテルとしても40年以上営業されていましたが、2019年3月末をもって閉店となりました。現在の建物は写真の通りです。
「フォーティーウィンクス」は閉店しました
詳細情報がありませんが、閉店しています。
NEW「和食さと」営業中
西大路通をはさんで平野神社の向い(西側)に和食レストランさとがあります。チェーンレストランですが、今年7月に改装オープンしました。
NEW「韓国料理ポッサム」営業中
「さと」から道をはさんで南にあるのが韓国料理屋のポッサムです。本格的な韓国料理と焼肉なので本場の味が味わえて好評です。韓国に行った気分になれるかも知れません。
NEW衣笠校前バス停の「かごの屋」営業中
さらに南に下がると京都市バスの「衣笠校前」バス停があります。西大路通を直進する市バスに乗ってきた学生達はここから大学まで歩きました。
現在バス停の所に「かごの屋」があります。チェーン店ですが、家族連れで賑わっています。
NEW平野神社南の「Briant(ブリアン)」営業中
平野神社の鳥居から南に下がったところにあるパン屋さんで、北山本店(2005年8月)、平野店、大丸店の他、上海にも2店舗展開しています。パンの種類が多く、中でもあんバター、もちもちフロマージュ、塩パンが好評です。
2024年12月24日 立命館 史資料センター 調査研究員 佐々木浩二