衣笠キャンパスと言えば煉瓦色の校舎が建ち並ぶ風景を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。実は校舎の外壁は煉瓦ではなくタイルなのです。よく見ると何棟かの校舎に、布目模様が付いた正方形のタイルが使われていることに気づきます。このタイルは京焼の製陶所が製造した「伝統的な焼きもの」で、竣工パンフレットには「泰山タイル」と記されています。今回は所蔵資料から衣笠キャンパスの校舎の移り変わりと外壁の意匠が煉瓦調タイルで統一されていく様子について探ります。
【以学館の外壁 泰山タイル 通し目地で整然と並べられている】
タイルファンを惹きつける泰山タイル
綿業会館 談話室タイル・タペストリー(1931年竣工)
写真提供 一般社団法人日本綿業倶楽部
京都市京セラ美術館 西広間1階の床タイル(1933年竣工)
写真撮影 2022年1月8日
泰山タイルは、大量生産にはない手作りの風合いと釉薬による美しい色彩が特徴です。老舗喫茶店や公共建築など昭和初期からの建築物に使われており、京都府内でも建物の内外装にその姿を見ることができます。文献資料や先行研究の少なさにより謎が多いことからもタイルファンを魅了しています。創業者の池田泰山(1891―1950年)は京都市陶磁器試験場附属伝習所で基礎を学び、国立大阪工業試験所窯業部に勤めた後、愛知県常滑の久田工場で洋式建築陶器製造の率先者である久田吉之助よりテラコッタの技術を修得し、1917年東九条大石橋通り高瀬に泰山製陶所を設立しました。最初は清水焼の日用工芸品を製作していましたが、時代の流れによって次第に建築用装飾品の生産を本格化しました。1933年発行「窯業大観」には生産品として外壁・床、モザイク、テラコッタの記述があります。1933年に集成タイルの実用新案権を、翌年にモザイク用陶板の実用新案権を取得しています。泰山タイルが用いられている主な建築物では那須御用邸・甲子園ホテル・東京劇場・東京市政調査会館・東大病院・綿業会館などが挙げられます。1939年泰山製陶所は株式組織になり、1942年に2代目社長池田侊佑が入社しました。1962年発行の「京焼百年の歩み」には現在活躍しつつある製造者の中の一つとして企業情報が以下のように掲載されています。(注1)
1962年発行「京焼百年の歩み 付表」P106 区外の部(主要工場)抜粋
法人設立年 |
昭和十四年 |
社名 |
株式会社 泰山製陶所 |
代表者 |
池田侊佑 |
資本(資本)出資金額(払込)単位千円 |
1,000 |
事業所々在地(本店) |
南区東九条河西町33 |
従業員数 |
38名 |
主要製品名 |
建築用、内外装タイル |
主要設備 |
トロンメル、土練機、フレット コンプレッサ、乾燥炉、石炭窯二基 |
衣笠キャンパス校舎の変遷
1.木造から鉄筋コンクリート造へ ― 白壁の校舎 ―
立命館大学は1981年の衣笠一拠点完成までの間、広小路学舎と衣笠学舎の二か所にキャンパスがありました。衣笠キャンパスは中川小十郎が1938(昭和13)年5月、上京区等持院北町に3,313坪(約1万932㎡)の用地を購入し、北大路学舎にあった日満高等工科学校を移転して1939(昭和14)年11月に開校したことに始まります。(注2)
戦前、戦中から引き継いで理工系学部の学舎であり、木造校舎が建ち並んでいました。1949(昭和24)年に理工学部が発足し1954(昭和29)年、衣笠キャンパス最初の鉄筋コンクリート造である3層白壁の3号館が建てられました。ついで1956(昭和31)年、3号館の西側に2号館が建てられました。その後1963年4月までに4号館(電気工学科)5号館(機械化学実験室)と鉄筋コンクリート造、白壁の校舎が建てられました。(注3)
【1939年頃 日満高等工科学校校舎 木造建築 現存せず】
【1954年竣工 3号館 衣笠キャンパス最初の鉄筋コンクリート建築 2000年撤去】
【1950年代 白壁の校舎、瓦屋根の校舎、瓦屋根の実験棟】
2.衣笠一拠点計画 ― 泰山タイル?が登場! ―
1963(昭和38)年、施設設備改善や教育改革など大学の発展に計画性を与えることを目指して衣笠学舎を有効活用する為に衣笠一拠点志向が打ち出されました。(注4)
1965(昭和40)年4月、当時では学園中最大の学舎として以学館が竣工し、広小路から移転した経済・経営両学部の学舎として利用されていました。コンクリート打ち放しと布目タイル張り(ドンゴロス・タイル)の外壁が印象的な校舎で、遠くから見ると煉瓦のように見えますが近づくと一枚一枚色が異なる手づくりのタイルであり、光の加減によって布目模様の印影が綺麗に見えます。(コンクリート打ち放しの外壁は2000年4月、改修工事の際に塗装されています。)設計は京都府内の公共建築の多くを手掛けた富家宏泰氏であり、立命館においても1955年から1988年の間、64棟に及ぶほとんどの校舎・施設の設計を行っていました。(注5)同じ時期に富家建築事務所が設計を手掛けた京都府上京警察署の外壁にも泰山タイルと思われる布目タイルが使われています。(注6)
学園新聞には建設中の新校舎への期待が高まる様子が伺える以下の記述があります。
立命館学園新聞 昭和39年10月11日 第981号
「この新校舎は、経済、経営両学部の全授業と理工学部の一般教育、外国語教育の授業が行われる大・中・小の教室その他から構成され、地下は生活協同組合経営の食堂、喫茶室及び学生自治活動ボックスが設けられ、衣笠山を背景に、その近代的偉観と完備した設備をほこることとなろう。」
以学館から始まり、この頃から衣笠キャンパスでは布目タイルの外壁とコンクリート打ち放しの支柱を基調とした建物が建設されていきます。1965(昭和40)年9月に6号館(現在の恒心館)が、1966(昭和41)年に新1号館(現在の啓明館)と修学館(1972・1977年増改築)が竣工します。富家宏泰氏は新1号館の意匠について「一連の建物との調和を考え立命館衣笠学舎の完成を目ざして一歩前進したつもりです。」と述べられています。(注7)
【1966~1967年「大学案内」より 以学館と理工学部実験室棟の瓦屋根】
【1965年竣工 6号館竣工パンフレット表紙 現在の恒心館(2000年 改修)】
【1966年竣工 新1号館竣工パンフレット表紙 現在の啓明館】
【1966年竣工 修学館 アルバムの台紙一杯に引き伸ばされた泰山タイルの写真 242×296mm】
【1967年竣工旧図書館 建築中の外壁施工風景】
【1965年竣工 京都府上京警察署(旧西陣警察署)布目タイル外壁】
写真撮影 2021年12月16日
3.衣笠一拠点完成 ― 受け継がれる校舎の意匠 ―
1978(昭和53)年4月に竣工した学生会館の竣工パンフレットで、富家氏は泰山タイルについて末川博名誉総長の回想を以下のように述べられており、思い入れのある意匠であったことが伺えます。
「今やこの衣笠キャンパスの基本的な色調となった布目の薄紫のタイルは、伝統的な京都の焼物なのです。はじめて衣笠キャンパスにこのタイルを張り上げた時、私は末川先生から大変おほめの言葉を戴いたことをおぼえています。このたび竣工した学生会館にも、コンクリート打放しの柱型と、この布目のタイルを基調として採用しました。これから先もこのキャンパスに限り、このパターンで進められることを望んでいます。」(注8)
1970~80年代にかけて広小路の学部は徐々に衣笠に移転し、1981(昭和56)年3月法学部の移転をもって衣笠キャンパス一拠点が完成しました。同年4月には時計塔を設けた存心館と第二体育館(2011年解体、2013年に京都衣笠体育館竣工)が竣工し、約7割の校舎の外壁が煉瓦調のタイルとなっていました。(注9)
泰山タイル貼りの意匠は時代の変化に合わせて他のタイルに変わりましたが校舎の色調は受け継がれており現在までに建て替え、増改築、新校舎竣工などの変遷を経て周辺環境と調和した統一感のあるキャンパスとなっています。(注10)
【衣笠キャンパス中央広場】
<竣工パンフレットに見る外壁についての記述抜粋 富家建築事務所設計>
以下は1965年から1978年までの竣工パンフレットにある外壁についての記述です。学生会館竣工以降、外壁についての記述はあまり見られなくなります。
以学館(1965年竣工)
コンクリート打ち放し一部泰山タイル貼及カラーサンド吹付/工事概要
新1号館(1966年竣工、現在の啓明館)
75×75角窯変泰山タイル/工事概要
又此度の外装についても多くの学校側の皆様のご理解ある方針によって完成されたものと感謝しています。/設計概要
修学館(1966年竣工)
75×75角窯変泰山タイル/工事概要
旧図書館(1967年竣工、2016年解体)
殊に此の図書館は外装のタイルは勿論カラーアルミサッシやステンレスのドアー、ブロンズベンガラス、又玄関壁の大理石、床のゴムタイルと最上の材料を使用し大いに建築家としての腕をふるう事ができました。/設計概要
学而館(1970年竣工)
75×75角窯変泰山タイル貼/工事概要
志学館(1974年竣工)
立命館の建物の象徴として利用してきた外装タイルメーカーが、近代化の流れに押され、京都の手づくりのよさを残したメーカーとしての努力の炎を消すなど建設業界の発展の中でさびしい出来事でもありました。/設計概要
諒友館(1976年竣工)
75角窯変タイル貼/工事概要
学生会館(1978年竣工)
このたび竣工した学生会館にも、コンクリート打放しの柱型と、この布目のタイルを基調として採用しました。/工事概要
2022年1月27日 立命館 史資料センター 宮裡知代
(注1)「泰山タイルについて」参考文献
・藤岡幸二編『京焼百年の歩み』 財団法人 京都陶磁器協会 1962年
・株式会社INAX日本のタイル工業史編集委員会『日本のタイル工業史』1991年
・池田泰佑「陶芸家が鬼瓦を造形」博物館建築研究会編『昭和初期の博物館建築:東京博物館と東京帝室博物館』東海大学出版 2007年 p168-175
・中村裕太「泰山製陶所の転用技術 -甲子園ホテルの集成タイル」京都精華大学紀要編集委員会『京都精華大学紀要43号』京都精華大学 2013年 p163-174
・酒井一光『タイル建築探訪』株式会社青幻舎 2020年
・石田潤一郎、前田尚武編著『展覧会オフィシャルブック モダン建築の京都100』 Echelle-1
2021年
・立命館大学アート・リサーチセンター「近代京都オーバーレイマップ」
昭和2年頃京都市明細図(長谷川家版)、昭和26年頃京都市明細図(総合資料館版)
https://www.arc.ritsumei.ac.jp/archive01/theater/html/ModernKyoto/ 閲覧日:2022年1月17日
(注2)立命館史資料センターのHP記事参照
<懐かしの立命館>衣笠キャンパス周辺は深い歴史がありました-平安から現代までの変遷- 後編
https://www.ritsumei.ac.jp/archives/column/article.html/?id=184
(注3)65年小史編纂委員会「理工学部の沿革」立命館大学理工学部『理工学部六十五年小史』1980年p8-15
(注4)立命館百年史編纂委員会『立命館百年史 資料二』学校法人立命館 2007年 p1452
(注5)・学校法人立命館『立命館大学 衣笠学舎以学館新築竣工記念』1965年 p3
・中川理「京都第二日赤病院本館―富家宏泰:もうひとつのモダニズムの実践」石田潤一郎監修『関西のモダニズム建築』株式会社 淡交社 2014年 p193-198
(注6)富家建築事務所『富家建築事務所社報 一ノ木会誌 第4号』1966-1967年
(注7)学校法人立命館『立命館大学 理工学部一號館 新築竣工記念』1966年 P4
(注8)学校法人立命館『立命館大学学生会館新築竣工記念』1978年 P2
(注9)久保田謙次「衣笠キャンパス略史―校地・校舎の変遷について-」立命館百年史編纂室
『立命館百年史紀要 第21号』立命館百年史編纂委員会 2013年
https://www.ritsumei.ac.jp/archives/common/file/publication/journal-21.pdf
(注10)キャンパスデザインについては立命館キャンパス計画室のHP記事参照