2022年8月22日の史資料センターホームページの記事「<懐かしの立命館>寄贈された末川名誉総長の扁額」で、本学の名誉総長である末川博が総長だったときに揮毫し、本学自動車部にフォード社製の自動車を贈ってくださった大鳥居満也氏に、その御礼として贈られた横額が、大鳥居氏のご親族から本学に寄贈されたことについてご紹介いたしました。貴重な横額を寄贈いただいた経緯については、前記事でご紹介しておりますが、本稿では、揮毫された「世界元来大山川終不老」が意味するところについてご紹介します。
結論から申し上げますと、はっきりとは分かりませんでした。
末川の残した文章の中で、「世界元来大山川終不老」が意味するところにもっとも近いと思われる文章は以下のものです(※1)。
私は、この京都の秋が好きである。澄みきった空をあおいで、「世界は元来大なり」と思い、「山川ついに老いず」と口ずさんで心なごむのも、この京都の秋である。若いころに読んだ「空ゆく雲をながめよ、千変万化、地上のいかなる景観にもまさる」という意味の英詩を思い出しながら、空をながめるのが、私の日課のようになっている。
英詩の出典については不明ですが、太古の昔から変わらない、雄大でかつ清澄な景色を称える気持ちを込めているのではないかと思われます。
また、インターネット上に、本学ワンダーフォーゲル会の1981年の機関誌と思われる「漂雲」という冊子がアップされており(※2)、その巻頭に、末川の言葉として、
雲のさすらいに.あてどはないけれど.山にも川にも. 道があるように.
われらのさすらいには. 遠くてとうとい道がある.
山川終不老世界元来大
と記述されています。こちらも雄大な景色を称えているようですが、その雄大な自然の中を力強く歩む人間の尊さも感じさせます。
最初に引用した文章で、「世界は元来大なり」「山川ついに老いず」と読み下している通り、この十文字の文章は、意味としては「世界元来大」と「山川終不老」の間で切れます。そして、どうやら前段と後段はまったく出典が異なるようです。
さて、横額を寄贈いただく際に寄贈者からお聞きしたところでは、これが贈られたのは1956年以降だろうということでした。その後、1962年に末川によって書かれた次の文章が残されています(※3)
物好きな知人や友人から何か一筆書いてくれと頼まれると、ことわることもなく、下手な字を書くことが多い。…こうなると、いつも同じ文句ばかり書いているのも気が引けるし、また自分でも面白くないので、何を書こうかと迷うことがしばしばである。学校を卒業していく学生たちへは若い諸君向けの処世訓めいたものを書いたり、結婚した新家庭へは未来をきずく教訓めいた文句を列べたものを贈ったりしているのだが、頼まれる人の筋によってはそうはいかぬことがある。
他人のものを拝借するとなると、古今を通じ和漢にわたり、無尽蔵といってよいほどの宝の山がある。…私の知識と教養が貧弱であり、それに字を書く場合の事情に制約されたりこちらの気分に左右されたりして、おのずからそこには大きな限界がある。そういう限界のなかで私が利用させてもらっているのは、だいたい中国の詩人のものであるが、そのなかでも古いところでは陸放翁の詩が多く、新しいところでは魯迅の語が多い。
放翁の詩に心をひかれたのは、河上肇の遺著『陸放翁鑑賞』を見てからのことである。
「桃園憶故人」という詩のなかで「残年我に還る従来の我」とうたっている通りに、私が詩歌を解する素質と詩歌を語る資格のないことは、従来の我であって、強弩の始も末もないけれども、私自身は自ら力めてきた積りだからである。しかも、同じ詩中の「世界元来大」という字句は、まことに爽快雄渾で、私は、好んでこれを書いている。
揮毫の経緯を推量するような資料は何も残っていませんが、引用したこの文章から察するに、あまり自ら進んで揮毫するようなことはなかったのではないかと思われます。自動車部に高級車を贈っていただいた大鳥居氏に何か御礼をしたいと末川が申し出て、「いえいえ御礼なんて結構ですよ」と言う大鳥居氏に、「いえいえ何か心ばかりのものだけでも」と末川が押し、「それなら先生のお好きな言葉を一筆書いていただければ、大切にいたしますよ」と大鳥居氏が答えるというようなやりとりを、末川の残したこの文章から想像するのも一興かもしれません。
末川が先の文章で言及している河上肇の『陸放翁鑑賞』は、本学図書館の末川文庫に所蔵されていて、利用者が閲覧できるようになっています(※4)。読んでみますと確かに、
桃園憶故人
一弾指頃浮生過 一弾(いちだん)指頃(しけい)に浮生過ぐ。 堕甑元知當破 甑(そう)を堕さば元と當に破るべきを知る。 去去酔吟高臥 去々酔吟高臥。 独唱何須和 独唱何ぞ須ゐむ。 残年還我従来我 残年我に還る従来の我 萬里江湖煙舸 萬里江湖の煙舸(えんか) 脱盡利名韁鏁 脱っし盡(つく)す利名の韁鏁(きやうさ) 世界元来大 世界元来大 一弾指頃:一瞬間と云ふに同じ。
堕甑:甑は土やきの槽。昔し後漢の孟敏、甑を荷して地に堕し、顧みずして去りし時、人その意を問へば、甑既に破る之を視て何の益かあらむ、と答へし故事に本づき、この一句あり。
去々は、去れ去れ、速に去れ、といふ意味。
韁鏁はきづな、束縛。
と記されています。目先の利益に捕らわれがちな人の世の小ささと、そこから離れたところにある「爽快雄渾(※5)」な世界を対比しているように思えます。本学で中国文学を専門にする研究者に照会したところ、これは詩ではなく、唐宋以後に行われた詞という歌謡文芸の作品なのだそうです。
これで前段は出典がわかったのですが、後段の「山川終不老」は『陸放翁鑑賞』には見当たりません。ただ、衣笠キャンパスの末川記念会館にある末川の座像に「青山白雲深 一湲身廻曲 心事連広宇 山川終不老」と刻まれており、これも末川が好んだ言葉であることが分かります。
これについても研究者に照会したところ、座像の四句は押韻されておらず一首の詩ではないとのこと。すべての出典を明らかにはできないものの、「山川終不老」を始めそれぞれ古今の詩人が詠んだものからお気に入りの句を列べたものでしょう、とのことでした(※6)。
末川がどうしてこの言葉を選んで揮毫したのかについて、確実なことはやはり分かりませんが、本学の学生のために高価な私財を投じていただいた寛大なお気持ちに対して、これを雄大で清澄な自然になぞらえることで、感謝と称賛の気持を表したのではないかと考えられます。
2023年3月16日 立命館 史資料センターオフィス 山田和幸
※1 『末川博随想全集 第八巻 京洛閑話』(栗田出版会, 1972年2月. 立命館大学図書館 所蔵, 立命館史資料センター 所蔵)p.491~「京の四季:京都の空と瓦と土」より引用。初出は、1969年9月27日『京都新聞』
※2 http://ruwv-ob.cute.coocan.jp/index.files/user_img/kumo1981.pdf 2023.2.27アクセス
※3 『末川博随想全集 第七巻 若い諸君へ』(栗田出版会, 1972年5月. 立命館大学図書館 所蔵, 立命館史資料センター 所蔵)p.32~「放翁の詩と私」より引用。初出は、1962年7月『中国詩人選集』二集「陸游」付録
※4 河上肇 著. 『陸放翁鑑賞』(三一書房, 1949年. 上下巻. 立命館大学図書館 所蔵)
※5 雄渾 : 雄大で勢いのよいこと。書画の筆勢や詩文などが力強くよどみのないこと。また、そのさま。
"ゆう‐こん【雄渾】", 日本国語大辞典, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2023-03-01)
※6 「青山白雲深」は元の李繼本『一山文集』卷一「松下鼓琴圖」詩の末に「我欲往聽之、青山白雲深」とあること、「山川終不老」については、最近の臺灣の詩人がこれをつかっていることが、ネットにみられることなどを教示いただいた。