地球の温度は、今後100年間に最高で5℃近く上昇するという予測がある。「これほど急激な温暖化は現実的ではないという人もいますが、荒唐無稽とまでは言えません。およそ1万1700年前、氷河期が終わる時期、グリーンランドではわずか数年の間に5~7℃も気温が急上昇したのです」
そう語るのは、古気候学研究センターのセンター長を務める中川毅だ。「過去に起こった気候変動を明らかにすることは、未来の気候変動を予測する上で、時に現代気候学以上に有益な知恵を与えてくれる」と中川は言う。だがどうやって太古の気候変動を知るのか? 中川は、それを可能にする強力な「ものさし」を示したことで世界に名を知られる。それが、福井県にある三方五湖の一つ水月湖の湖底から採掘された「年縞」だ。
季節ごとに土砂やプランクトンの死骸などが湖底に積もって層状になり、縞模様をつくる。年縞は、時の流れを形に留めた自然の歴史書のようなものだ。周囲から流れ込む大きな河川がなく、水深が深く、湖底に生物が生息しない。そうしたいくつかの好条件が重なった水月湖では、堆積物がかき乱されずに積もり続け、極めて精緻な年縞が形づくられた。中川はこれまでの調査で、95m、約20万年分に相当する堆積物を湖底から採集している。2012年には、この完璧な年縞が、国際的な研究グループによって地質的・歴史的な遺物の年代を決める世界標準「IntCal(イントカル)」に採用された。すなわち、過去の年代を特定する「ものさし」として世界に認められたのだ。
水月湖の年縞の他にも、グリーンランドの氷床から採取されたアイスコア、中国の鍾乳洞の鍾乳石など、信頼性の高い「年代ものさし」がいくつかある。中でも「『グリーンランド』と肩を並べる『年代ものさし』を確立したい」中川は長らくそう目標に掲げてきた。「過去の気候変動を研究する者にとって、グリーンランドのアイスコアは、絶大な信頼と権威を持っています。しかし一地点のものさしだけに頼るのは、学術的な説得力に欠ける。グリーンランドに匹敵する信頼性の高いものさしがあれば、これまでとは比べものにならないくらい多くのことを明らかにできるはずです」
水月湖の年縞の場合、1万年ひるがえる際に生じる誤差が±29年。数百年単位で誤差を生じることもある従来のモデルと比べ、その精度は群を抜いている。圧倒的に高精度な「年代ものさし」として、水月湖の年縞が存在感を際立たせたのは間違いない。
目標は、年代ものさしをつくることではなく、それを使ってさまざまな地域や年代の気候変動を解明すること」と、中川。
年縞の1年分は、わずか0.6~0.7mm。その1枚1枚に含まれる放射性炭素(¹⁴C)濃度から年代を測定する。その他、火山灰や砂などから噴火や地震、台風の跡を発見したり、また花粉を分析し、植生を明らかにすることで、気候を突き止める。
中川が注目するのは、氷河期の末期に起こった温暖化イベントだ。グリーンランドのアイスコアと水月湖の年縞を分析すると、グリーンランドでは、1万4700年前に急激な温度上昇が起こり、やや下降した後、1万1650年前に再び気温が急上昇したことが分かる。一方、水月湖ではグリーンランドとは異なる気温の上昇曲線を描くことが年縞から分かった。グリーンランドより300年も早く、約1万5000年前から温暖化が始まっていたのである。温暖化は必ずしも世界同時的に起こったものではなかった。中川の発表は、世界に大きなインパクトを与えた。
さらに中川は、この氷河期末期に起こった気候変動と、21世紀の人類が直面している地球温暖化に類似点を指摘した。「今世界で大洪水が頻発していますが、年縞を見ると、氷河期の終わりにも同じ現象が起きていることが分かります。年縞をさらに分析することで、近い将来起こり得る気候変動や自然災害を予測できるかもしれません」
はるか宇宙の現象と地球の気候のつながりを年縞で示せたら、おもしろい。
年縞を完璧なかたちで採取・保存し、緻密に分析する中川らの仕事は、技術的にも前例のないものだった。中川らの技術を活用することで、他の年縞研究も進展しつつある。
北場育子は、中米のグアテマラ北部マヤ地域にあるペテシュバトゥン湖の湖底から採取された年縞を研究している。「この地域では、夏至から冬至へと巡る太陽の動きに合わせて雨を降らせる雲が移動していくことが分かっています。雨の範囲が移動すれば、湖の環境も川から運ばれてくる堆積物も変わり、その変化が年縞に刻まれます。年縞から過去の雨の周期や太陽の動きを明らかにできたら、おもしろい」と北場。マヤ文明では、太陽神が崇拝されてきた。「もしかしたらマヤの人々は、太陽が恵みの雨を支配していることを知っていたのかもしれない。想像が膨らみます」
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さらに年縞は、はるか宇宙の現象が地球の気候変動に与える影響を解明するカギにもなるという。
宇宙から到来する高エネルギーの放射線、いわゆる宇宙線が地球の気候に影響を及ぼす可能性は、これまで何度も議論の的になってきた。北場は「地磁気」という視点を持ち込むことで、それを世界で初めて実証してみせた。地球が持つ磁気・地磁気は、宇宙線の影響から地球を守るシールドのような役割を果たしている。北場は花粉の化石の分析から、数十万年に一度、地磁気のパワーが弱まる時期に限って地球が寒冷化することを突き止めた。地磁気によって地球に降り注ぐ宇宙線の量が変わり、それが雲の量を変え、気候に影響を及ぼしたというわけだ。
今北場は水月湖の年縞や秋田県にある一ノ目潟から採取された年縞を用い、さらに小さな地磁気の変化を捉えようとしている。「約千年という短いスパンでも地磁気が弱まる時期があるんです。この短い期間にも地球の寒冷化は起きるのかを突き止めたい」
湖の底に眠っていた数万年前の過去から、そしてはるか遠く宇宙から、未来を見すえるという壮大な研究に挑む。
Tools & Equipments
採取した年縞の分析・保存のために中川が独自に開発したオリジナル・ツール
[センチスライサー]年縞の試料を切り出すためのセンチスライサー。同じ厚さのものを効率よく切り出すための道具で、中川による自作。組立に必要な部品は最小限で、いずれもホームセンターで購入が可能。センチスライサーの他に、ミリスライサーもある。
[手元遠心分離機]年縞から取り出した花粉を濃縮するためには遠心分離機にかける必要がある。花粉の数をカウントするために顕微鏡に乗せる試料を濃縮するためだ。中川は、旅先でもどこでも思いついたときに実験室に行かなくても分析できるように、と開発。手元で操作できるものを自らつくりだした。下のハンドルを一回転させると、上の試料は100回転する仕組み。
[PolyCounter]花粉分析は、試料ごとに花粉の数をカウントし、当時の植生を再現していく。そのためには、一試料につき樹木花粉を400個以上カウントすることが求められる、地道な作業だ。中川が開発した「PolyCounter」は植物ごとに設定されたキーを押すことでカウントができ、多種にわたる花粉のカウントが可能になった。「PolyCounter」が開発される前には、顕微鏡を覗きながら手元で「正」マークをつけながら400個以上になるまでカウントをしていたのだから。このカウンターが作業の省略化に果たした役割は大きい。植生復元のデータベースとも連動したソフト「Polygon」はWeb上で無償公開され、だれでも活用できるようになっている。
[古気候学研究センターの研究室]研究室には、顕微鏡や中川がつくった道具の他、巨大な「冷蔵庫」も。約450個の年縞の試料が保管されている。庫内の温度は4℃に設定されている。試料が乾燥しないようにラップでくるんだ後、真空パックに収めている。イギリスのニューカッスル大学から本学への着任時には、2トン分の土を運んだ。