3次元仮想空間(メタバース)内に作られた仮想神社。プレイヤーが操るアバターが鳥居の前までくると、クイズが出題される。「鳥居をくぐる時は、どこを通る? 真ん中? それとも端?」。クイズに答えると、解答と解説が表示される。
これは、バーチャル空間で神社の参拝を疑似体験しながらクイズに答え、日本の文化を学習する「神社参拝ゲーム」だ。ゲームを作った稲葉光行は、メタバースを使って日本の伝統文化や生活文化を学べる環境を構築するプロジェクトに取り組んできた。
「プロジェクトに先立って、日本に滞在する外国人研究者や留学生に日本で生活するにあたってどんな情報が足りないか調査したところ、生活文化や習慣についてはもちろんですが、それにも増して神社・仏閣の参拝マナーや茶道・華道の作法など、『日本の伝統文化を学びたい』というニーズが高いことが分かりました。そこで、仮想空間でアバターを介して有形・無形の伝統文化を体験しながら学習できる仕組みをつくろうと考えました」と研究の背景を語る。とりわけ稲葉が着目したのが、遊びながら学習していく「ゲーム」の効果だった。
先行プロジェクトでは、世界中からアクセスでき、かつアバターを使った没入型の学びが可能なメタバースとして当時世界的に普及していた「Second Life(以下、SL)」を利用し、仮想空間で神社を参拝できる「バーチャル神社」や、能楽を体験できる「バーチャル能楽堂」を構築している。稲葉はこれらを学習環境のプラットフォームとして、ゲーム形式で日本の伝統文化を学べる学習モデルを考案した。「この学習モデルの特長は、学習者同士が協力してゲームに取り組みながら学習する『協調的シリアスゲーム』を実装したところにあります。例えば冒頭で紹介した『神社参拝ゲーム』では、日本文化についてより多くの知識を持っている古参者とほとんど知識のない新参者が協力してクイズに取り組みます。それによって活発な対話が生まれ、『共に学ぶ』協調学習が可能になります」
それを実証するため、稲葉は外国人研究者や留学生(日本文化における新参者)と日本人学生(古参者)のペア20組以上を対象に、この学習モデルを使って日本文化学習実験を行った。「最初は古参者が新参者に教える立場でゲームに臨みますが、クイズに取り組むにつれていつしか古参者と新参者が対等な関係になり、コミュニケーションを取りながら学び合うようになります。ほとんどのペアでこのプロセスが見られました」。実験後に学習効果を分析した結果、新参者の外国人研究者・留学生だけでなく、古参者であるはずの日本人学生にとっても日本文化に対する知識を深められる可能性が示唆されたという。
またハワイ大学と協同で行った異文化交流実験でも、同様の効果を明らかにしている。ハワイ大学の大学院生が、SL上にハワイの伝統文化を伝えるバーチャル空間を構築。京都の高校生がそこを訪問し、アバターを介してハワイのさまざまな文化を体験する取り組みを調査。そこでハワイの大学生と京都の高校生が活発に交流し、互いの文化を学び合う様子を観察した。「バーチャル空間でゲームや体験を共有することで、思いもよらない学びや相互理解が生まれる可能性を感じました」と稲葉は手ごたえを語る。
最近の研究では、学習者自身が学びの環境をデザインする「デザインベース学習」のアプローチを取り入れた学習モデルも開発している。その一つが、東アジアの食文化を学ぶための「バーチャル多国籍レストラン」だ。
SL内にバーチャルレストランを構築し、日本・中国・韓国の食文化や食習慣に関する学習コンテンツとクイズを埋め込んだ。学習環境のデザインやコンテンツ制作を担当したのは、プロジェクトに参加した留学生たちだ。彼らはこの学習モデルを利用する学習者でもある。「コンテンツを制作するためには各国の食文化について互いに学び合う必要があります。つまり留学生たちは、学習環境のデザイナーと利用者の二つの立場で協調学習を体験したわけです」
現在は、SLに代わって「Minecraft(マインクラフト)」を用いたデザイン実験学習モデルも研究している。「Minecraft」は「デジタル版ブロック遊び」ともいわれ、3次元仮想空間にサイコロ状のブロックで建物などを作るデジタルものづくりゲームだ。稲葉は、島根県・隠岐の島の高校生がMinecraftを使って隠岐の島の魅力を盛り込んだ「バーチャル隠岐の島」を構築したプロジェクトや、京都府八幡市の高校生グループが同市の史跡・松花堂庭園をMinecraftで作り、地域活性化に役立てようとする取り組みにも関わり、協調学習の効果を確かめている。
メタバースで一緒にゲームを楽しむことで、双方向の豊かな学びが実現する。稲葉の研究知見の多様な教育分野への応用が期待される。