立命館あの日あの時

「立命館あの日あの時」では、史資料の調査により新たに判明したことや、史資料センターの活動などをご紹介します。

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2024.08.02

<学園史資料から>立命館日満高等工科学校(立命館大学理工学部の前身)における入学試験問題

 史資料センターは、学園の歴史にまつわる様々な事歴を保存・利活用しています。
 また、様々な学園の事歴の調査研究もしています。
 今回、「立命館日満高等工科学校報告」の中に1939(昭和14)年当時の入学試験問題を発見しましたので、ご紹介します。
 英語の(Ⅰ)、物理の(2)等は、当時の社会状況が想像できるような設問となっていて興味深いです。というより怖いです。皆さん、入試問題にチャレンジしてみますか。

1.英語

Translate the following into Japanese: ―

Self-effacement, the obligation of truthfulness, devotion to the service of his nation, these are the ethical lessons in which the young Japanese officer is instructed with a thoroughness and a courage which, so far as I know, has no parallel in our time. He must rise early, abstain from luxuries, cultivate the habit of being always busy. Amusements, as such, seem to be unknown in the Japanese officer’s school. Recreation takes the shape either of exercises of a kind which are useful for military purposes, or of change of studies.
(70点)

(Ⅱ)   The scientific worker must be alert of mind. Nature is ever making signs to us, she is 
ever whispering to us beginnings of her secrets; the scientific man must be ever on the 
watch, ready at once to lay hold of nature’s hint, however small, to listen to her whisper, 
however low.
(60点)

(Ⅲ)   Just as on a tropical summer day when the sun is suddenly blotted out of the heavens
and the whole sky is so blackened by a sudden storm that we are obliges to light our 
homes and offices, and presently the clouds pass as quickly as they came and the sun 
blazes forth in all its glory just as though nothing had happened, so there come times 
in our lives when everything appears black and threatening and then, suddenly, just as 
in nature, all becomes serene again.
(70点)


2.数学

(1)半径1mなる円に内接する正十六辺形の周の長さを少数第四位迄計算せよ。
但し、 log 2=0.3010    log 3.90=0.5911    log 3.91=0.5922
           Log sin 11°10′=1.2870    log sin 11°20′=1.2934
(40点)

(2)xに関する二次方程式(2 cos θ―1)x²-4x+4cosθ+2=0が同符号の二根を有するためにはθは如何なる範囲にあるべきか。但しθは鋭角とする。
(40点)

(3)半径Rなる円0の直径ABの一端Aにおいてこの円に切線tを引き、またAから弦AC
を引き、AC=Rならしむ。0からACに下した垂線の延長がtと交わる点をDとする。t上においてDAの延長上に一点Eをとり、DE=3Rならしむ。然らば線分EBの長さとRとの比の値は円周率と少数点以下第何位まで一致するか。
但しπ=3.1415926………
(40点)

(4)△ABCに於いて角Aは最大にしてsin²A+sin²B+sin²C=2ならば、角Aの大きさ如何。
(40点)

(5)半径Rなる円0の直径をABとし、ABの両側にABと同じ角をなす二弦AC及びADを引き、CとB、DとBを結ぶ。然らば四辺形ADBCは一つの円に外接し、かつこの円の半径をr、この円と円0の中心距離をdとすれば次の式が成立することを証明せよ。
1/((R+d)²)+1/((R-d)²)=1/r²
(40点)

3.物理

(1)次の語を説明せよ。
  (イ)露    点   (ロ)屈 折 率   (ハ)音の唸り
  (ニ)比重及び密度   (ホ)電気の導体及び不導体         (50点)

(2)ある高度を保ちつつ水平に飛来せる飛行機が水平地上に在る我等の真上にて爆弾を放
ちたるを認めしより12秒時の後地上にて爆発したるを見、更に2.5秒時の後その爆音
を聞きたり。この場合、飛行機の速度並びに高度及び我等の位置より爆弾の落下したる
地点までの距離はそれぞれ何程なるか。但し、爆弾に関しては空気その他の抵抗を無視
するものとす。
(50点)

(3)電気抵抗3オームなる導線に0.8アムペアの電流を20時間通じたる時、その消費せる
電気エネルギーは如何程なるか。
(50点)

(4)-15℃の氷28グラムを熱して100℃の水蒸気に変ずるに要する熱量を計算せよ。但
し氷の比熱0.5、気圧760ミリメートルとす。
(50点)

4.国語

(作文課題) 勤労
(100点)

日満入試問題1

日満入試問題2

日満入試問題3


日満入試問題4
2024年8月2日 立命館 史資料センター 調査研究員 佐々木浩二

2024.07.12

「立命館大学法学部入学式での末川総長挨拶1968年4月8日(約66分)」公式YouTube配信動画のご紹介

立命館 史資料センターの公式YouTubeチャンネルにて、動画「立命館大学法学部入学式での末川博総長挨拶 196848日( 約66分)」を公開しています。

 

動画は以下のURLからご覧いただけます。

https://youtu.be/Z8T2yBC04JM

 

1968年に挙行された立命館大学法学部入学式での末川博総長の挨拶音声に、史資料センターの資料として保存されている末川博の写真や映像をつけて動画にしました。

 

66分もの長い祝辞ですが、当時の世相、末川先生の独特の口調や癖、そして物の見方考え方(そしてそれは立命館の基本的な見方考え方と軌を一にしている)が全て反映された動画です。

是非ご覧ください。

youtube動画紹介「末川博」

2024.07.02

<学園史資料から>立命館学園史に残る明治と昭和の大火災事件について

 史資料センターは、学園の歴史にまつわる様々な事歴を保存・利活用しています。
 また、様々な学園の事歴の調査研究もしています。
 今回は、立命館学園史に取り上げられた「火災」について、詳しく調べてみました。

 『立命館百年史通史一』では、立命館学園における1908(明治41)年の火災が取り上げられています。この火災により立命館は学園史に残るほどの多大なる損失を被ったわけですが、一体その原因は何であったのか、この事件を掘り下げてみたいと思います。

大火災事件1


(1)1908(明治41)年12月16日の火災

 『立命館百年史通史一』(186-187頁)では次のように記載されています。
 「1908年12月16日未明、大講堂より出火した。『会館及ひ事務所』を残してすべてが烏有に帰し、1905年に西園寺から寄贈されていた『立命館』の扁額もこの時に焼失した。『立命館創立五十年史』によれば、この時の被害額は『大学部教室及大講堂七八坪、中学部教室一〇四坪、同理化学及博物教室三三坪、同器械標本室十坪が全焼してその損害一万七千円、半焼したのは事務所生徒控室、倉庫廂―損害約七十円、書具額一千八百円、器械標本額約八百円、書籍(法政大学講義録)約二千円など計四千六百七十円、総計では二万千六百七十円』に上っている。」
 この火災は、私立京都法政大学として草創して間もなくの大事件であり、あわやその後の教育事業を断念せざるを得ないほどの大規模で致命的なものでした。「明治時代の1円は現在の2万円くらいの重みがあった」(野村ホールディングス・日本経済新聞社運営「お金の歴史雑学コラム」より)とする資料をもとに計算してみると、損失総額は21,670×20,000=433,400,000円となり4億円を超える損失額となります。
 とりあえず授業の対応としては、隣接寺院を借りて翌年1月から授業を再開し、学校再建のための寄付を募るなど、関係者の様々な努力の末、現在の立命館大学に歴史が繋がっているのです。
 私立京都法政大学及私立清和中学校設立者末広威麿が文部大臣小松原英太郎宛に報告した内容は、「本日午前二時教室ノ一隅ヨリ出火シ大学部中学部共校舎ノ大部焼失致候ニ付此段御届候也」(「立命館百年史資料一」242ページ)とあり、深夜二時に教室の一隅から出火したということです。末広威麿から中川小十郎宛の書簡(書留)では、出火場所(大講堂)で最後に授業を行った講師、後始末を行った小使、事務員を特定しているが、最後に事務員が校内を巡回すべきところを行っていなかったと伝えています。さらに中学生が実に乱暴で、新聞にも掲載された下宿屋女将絞殺事件の従犯として中学三年生と五年生が検事局へ送られたことを挙げ、焼失もあるいは中学生が試験妨害を行おうとしたものではないかとの疑いを述べています。(『立命館百年史資料一』244~246頁)
 何やら不穏な雰囲気になってきましたが、当時の新聞記事によりこの火災原因について検証してみましょう。

京都日出新聞より

〇「其の原因は目下川端署にて取調中なるも聞く處に依れば同大学三年級教室内には平素紙屑入代用の火鉢臺ある由なれば或は火鉢の火仕舞悪く火が右の紙屑に燃え移りたる為ならんと云う」(「京都日出新聞」1908(明治41)年12月17日)

大火災事件2

〇「其後所轄川端署にて出火原因取調の結果全く同夜火鉢の始末悪しかりし為なること判明せし」(「京都日出新聞」1908(明治41)年12月23日)


大火災事件3

 以上、所轄の川端署の調査結果記事によれば、教室にあった火鉢の火の後始末が悪く、紙屑に火が燃え移って出火したということでした。とりあえず、学生による放火事案ではなかったことに安堵しました。
 ちなみに学園史に大きな影響を与えた火災は、1942(昭和17)年にも発生しています。その時の状況も資料から見てみましょう。

(2)1942(昭和17)年6月24日の火災

 『立命館百年史通史一』(621頁)では衣笠校地の一隅(現存心館時計台付近)に設置していた日本刀鍛錬所が1942年6月24日未明、火災により大半を焼失すると記されています。こちらも「未明」の不審火であり気になったので当時の京都の新聞にあたってみましたが、あいにくこの火災に関する報道は見つかりませんでした。
 『立命館百年史紀要』第5号には「立命館日本刀鍛錬所の記録」が掲載(293~326頁)されており、この火災についても記述があります。それによれば、「立命館の鍛錬所が、古式鍛錬所の『傘笠亭(さんりゅうてい)』一棟だけを残して火事にあい焼失してしまった。」とあり、当時の責任者が警察からくわしく事情を聞かれたが、結局屋根裏の梁に堆積した炭塵が、自然発火したものと推定されました。
 この火災について中川小十郎は「先日あの小火を出したことは甚だ不祥事でありましてこれは唯私の責任であります。色々調べて見ますと漏電でもありませぬ。全く不完全なる設備の下に力を入れた為であります。工学科の専門家の玄人がうようよして居るにも拘らず全くえらい失策でした。全く私の責任であります。今後はさう云ふことのないやうに十分手を尽くして完全にやるつもりであります。」と自分の責任であることを表明していました。
 しかしその後、中川総長の子息で当時鍛錬所助手として研ぎや鞘作りなどの製作に関わっていた流政之が、軍隊からの米・油の接収や軍刀の増産命令等に嫌気がさし、自分たち(流政之、刀匠・所長の桜井正幸の直弟子である横田正光技士、技工の隅谷正峰)3人が放火したことを自白しており、3人の刀工による放火であったことが判明しました。(『立命館百年史通史一』(707-709頁))

大火災事件4


2024年7月2日 立命館 史資料センター 調査研究員 佐々木浩二

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