(1)第59号 表紙写真「記念の分列式」 学園創立三十五周年記念号
1935(昭和10)年12月
【写真1】建礼御門に向かって分列行進する禁衛隊の学生生徒
① 創立三十五周年記念式典と分列式
1935(昭和10)年、立命館大学は創立三十五周年を迎えました。その記念式典が、11月23日の新嘗祭(天皇がその年の新穀を神に捧げ感謝し、自らも新穀を食べる宮中行事)の祝日午前9時から大学国清殿で挙行されました。多数の来賓が参列し、御真影奉拝、教育勅語奉読後、中川総長の演説(学園の歴史と精神を約35分にわたり述べた)、織田萬名誉総長、佐々木惣一大学長らの祝辞が続き、西園寺公望公をはじめ170通の祝電が披露されて11時閉式されました。
その後すぐに禁衛隊行事へと移りました。来賓一同は、大学傍の清和御門から入って、建礼御門前に位置し、学生生徒約四千名の分列式が約1時間にわたって行われました。
【写真2】分列式を見守る前から中川総長、織田萬名誉総長、佐々木惣一学長ら
昼からは学内で祝賀会が開かれましたが、その席上、中川総長は自らのポケットマネーを1万円投じて百年後に莫大な基金として未来の学園に活用するという計画を発表しました。
当時は利子が低下傾向にあり、百年後の経済形態の見通しがつかないとして、三井や住友は引き受けを躊躇しましたが、関西信託は立命館と多年にわたる取引があったことから引き受けたのでした。
② 中川総長古稀祝賀会
そして、午後5時から京都ホテルでは学園の教職員と校友ら五百名が列席して、中川総長の古稀祝賀晩餐会が開かれました。この喜びを永く記念するためとして、大学の校友会員、職員、中学・商業の卒業生と父母や職員らによって五万円を拠金して中川会館を建設することになりました。新聞紙上には学内東南の空地に近日着工予定と発表されていました。
③ 立命館創立三十五周年記念大演習(11月24日・深草練兵場にて)
前日の大祝賀会に引き続いて、午前8時から立命館禁衛隊約四千名の学生生徒たちが、大学校門から繰り出して禁衛隊楽隊を先頭に深草練兵場へ集合。激烈な白兵戦を演じました。西軍は騎兵隊、高射砲隊、野砲隊、歩兵隊、タンク隊、杖衛隊、自転車隊、瓦斯隊、槍隊、飛行機二機に義勇側車隊の応援も加わり京都を死守して演習が終了。その後、各教練が行われて午後4時に皇居を遥拝し、万歳を三唱して解散しました。
当日は好晴の日曜日とあって、多くの来観者が大演習を見守ったのでした。
【写真3】騎兵隊
【写真4】防空高射砲隊
【写真5】野砲隊
(2)第60号 表紙写真「三学期の勉強始まる」非常時の春と我等の覚悟号
1936(昭和11)年1月
【写真6】禁衛隊道場前の掲示板
掲示板には「禊修行第二学期皆勤ノ者ハ各組ニ於テ前列ノ席ヲ與フ 昭和11年1月6日」と書かれていました。総長として二度目の校長兼務となった中川校長は、就任二年目を過ぎて、自ら描く教育の理想に向かって、中学生・商業学校生へ次々と新しい改革を打ち出し、禊や遥拝も定着、禁衛隊としての軍事演習も高い評価をえるようになっていました。後は、生徒の学業をいかにして向上させるかが課題でした。長期欠席や成績不良の生徒には退学処分も含めて厳しく臨みながら、優秀な生徒には更に意欲を向上させるために飛び級などを実施して、学校としての評価を高めようとしていました。この掲示板の公示もその一つでした。
2026年6月23日 立命館 史資料センター 調査研究員 西田俊博
