(1)第68号 表紙写真「秋日の下に胸を張って(昼の合同体操)」
昭和11年10月発行
【写真1】全生徒による昼休みの体操
中川校長が生徒の健康管理と維持に極めて厳しかったことは、今までに何度か紹介してきましたが、今号はその徹底ぶりを紹介する写真です。生徒たちは毎日、登校直後の禊(乾布摩擦)に続き、昼休みには体操を行っていました。体操の内容は詳しく記されていませんが、すでに陸軍戸山学校での体操が配属将校などによって全国的に普及されていたことから、ラジオ体操(昭和天皇即位を記念して1928年12月から開始)のような簡易体操ではなかったのではないかと考えられます。
この第68号の最後には清和会報で卒業生会員の動向が紹介されています。軍人で昇進した人物もあるなかで、田中伊三次(中学校昭和5年卒業)が弁護士として事務所を開設(大学広小路学舎の近くで寺町通り丸太町を上がった場所)したと書かれています。(注)
注:田中伊三次は立命館大学法学部在学中に市議会議員に当選。卒業後に弁護士となり、府議を経て衆議院議員に当選、戦後も政治家への道を諦めず、通算で15期も衆議院議員に選出されている。その間、2回法務大臣に就任。ロッキード事件問題では調査特別委員長を務めた。
(2)第69号 表紙写真「御眞影奉迎(十一月三日明治節)」昭和11年11月発行
【写真2】校庭での御真影奉迎の様子
11月3日は明治節で、立命館中学校商業学校では祝賀式を挙行していました。【写真2】のように明治天皇の御真影を迎え、午前8時から講堂で拝賀式。8時半から校庭で分列式を行った後、午前9時からは運動遊技会を行っていました【写真3】。
【写真3】第68号に紹介された運動遊技会のプログラム
種目内容を見ると、全生徒が楽しんで競うというものでした【写真4】。
【写真4】パン喰い競争の様子
午前11時からは賀茂川の河川敷で飯盒炊事(当時はこのように呼ばれていました)。中川校長も生徒たちと一緒に飯盒で炊いたご飯を食べていた写真も紹介されています【写真5】。
【写真5】中央に立って生徒たちの作業を見守る中川校長
午後1時からは再び学校に戻って遊技会の後半で、最終種目は職員による抽選競争が行われ、一等の景品には自転車があったことが記されています。こうして楽しい明治節行事は午後2時に終了し解散となりました。
この第68号には一般的に知られていない【写真6】のような写真が紹介されています。完成間近の中川会館3階の総長室には、中学校商業学校の生徒全員の寄附によって贈られる中川総長の木像が飾られることになっていました。11月3日の明治節の日に生徒全員に披露されたのでした(この木像は現在、立命館の学宝として保存されています)。
【写真6】中川総長の木像
(3)第70号 禁衛隊記念誌記号
表紙写真「捧げ銃(十一月二十二日御所建禮門前にて)」昭和11年12月発行
【写真7】分列式最後の「捧げ銃」
毎年恒例となっている11月22日の禁衛隊記念式の様子を表紙と16枚にわたる「禁衛隊記念式グラフ」写真で紹介しています。立命館大学の校庭に集合した中学校商業学校の生徒たちは、スピーカーを通して国清殿内での中川総長の式典式辞を聞いた後、学生と共に、御苑での閲兵分列式のために移動しました。山国隊から伝わる軍楽隊の演奏を先頭に、行進の後列には禁衛隊名物となった槍隊が続きました。
分列行進の最後に建禮門前で【写真7】のように全員よる「捧げ銃」行い、中川総長の発声で万歳三唱して終了となりました。その後、生徒たちは学校へ戻り、名物「禁衛隊お粥」でお腹を膨らませて【写真8】一日の行事を終えたのでした。
【写真8】お粥を美味しそうに食べる生徒たち
この頃の各号には、学内行事の報告が丁寧に記載されていますが、11月13日には朝鮮各地の小学校教員による学校参観があったと紹介されています。
2026年10月13日 立命館 史資料センター 調査研究員 西田俊博
