(1)第64号 表紙写真「端午の節句祝賀式(槍術貫流極意型実演)」
1936(昭和11)年5月発行
第64号表紙を開けると最初に告示「非常呼集について」が書かれています。天災やその他の非常呼集のサイレンが鳴ってからの避難訓練で「急がずして、急ぐ」と沈着と敏速との姿勢が大切と説かれています。「一切の行動は、すべて無言にして、下腹に力を入れ迅速に集合地点に向かい、次の命令を待つ。」今も変わらない避難訓練の基本的心構えです。
4月29日は天長節と呼ばれた天皇誕生日で、戦前にあっては国家の重要な祝祭日でした。全国の学校で祝賀式が催されました。立命館中学校・商業学校の生徒たちも学校に集合し【資料1】のような式次で天皇の誕生日を祝し、終了後には記念饅頭【写真1】が配布されて下校しました。
【資料1】天長節式次
【写真1】復元された紅白記念饅頭
【写真2】表紙写真 校庭での祝賀槍術実演と生徒たち
表紙の【写真2】は、前年、昭和天皇に第二皇男子の義宮親王(現在の上皇の弟である常陸宮親王)が誕生されていたことを祝い、5月1日から校庭に鯉幟を一つ多く上げられました。そして5月5日の端午の節句(戦前は祝日でなかった)には【資料2】のように校庭を禁衛隊行進した後、全校生の前で槍術範士の模範演武が行われたのでした。
【資料2】
(2)第65号 表紙写真「軍艦旗翻る(五月二十七日)」
1936(昭和11)年6月発行
【写真3】防空監視櫓に翻る軍艦旗(旭日旗)
5月27日は海軍記念日。日露戦争における日本海海戦で日本が勝利したことを記念して祝されていた日でした。立命館中学校・商業学校では式典は催されませんでしたが、木造二階建ての学舎で最も高い屋根上の櫓に軍艦旗(旭日旗)を【写真3】のように掲げてその日を祝していました。この櫓は、防空演習で防空監視哨の5年生がマイクで「敵機見ゆ」という発声で開始となる北大路学舎のシンボル的存在でした。
この禁衛隊第65号には、立命館中学校の前身清和中学校の第1回卒業生で、滿川亀太郎拓殖大学教授の訃報記事が9ページに亘って掲載されていました。中学5年まで在学していた吉田中学校が不祥事により廃校となった後、中川小十郎によって清和中学校への編入の道を与えられ、僅か5か月足らずの在学期間にもかかわらず、中川総長を敬愛し、人一倍の熱い愛校心をもって、後輩たちへ母校と日本の未来を語っていた人物でした。
2026年8月20日 立命館 史資料センター 調査研究員 西田俊博
