神山学舎は、前年4月に立命館第二中学校が設置され北大路学舎を仮校舎としていましたが、旧校舎を移設・改修してスタートしました。
学舎はもともと1928(昭和3)年にグラウンド用地として取得、1929(昭和4)年に完成し10月20日に完成記念全学大運動会を開催し、以降グラウンドとして使用していた場所でした。
立地は、上賀茂神社(賀茂別雷神社)の北、神山を望む地にあり、市バス御園橋から25分、京福二軒茶屋から20分という場所で、約8,000坪の地は「仙境ともいうべき閑静の地」(元立命館高等学校長・野崎龍吉先生)であったということです。
第二中学校は戦後の学制改革とともに1947(昭和22)年に立命館神山中学校となり、翌48年に立命館神山高等学校も設置されました。
神山中学校、神山高等学校はその後1952(昭和27)年に廃止され、立命館中学校・高等学校に統合されます。
卒業生は、第二中学校が1945(昭和20)年から1948(昭和23)年までで422名、神山中学校が1949(昭和24)年から1951(昭和26)年までで345名、神山高等学校が同じ期間で324名でした。
神山学舎は1952(昭和27)年から京都市に貸与され、市立本山中学校(のち洛北中学校と改称)が使用しましたが、1957(昭和32)年6月に返還され、以降立命館のグラウンドとして使用しました。
課外活動としてはアメリカンフットボール、サッカー、陸上ホッケー、弓道部などが使用しましたが、柊野グラウンドの開設により順次移転し、1982(昭和57)年4月に京都産業大学に売却することになり(弓道部は9月まで使用しましたが)、50余年の歴史を閉じました。
1942年、上賀茂グラウンドの地に神山学舎を開設。最初は立命館第二中学校、のち神山中学校・高等学校となった。