教員紹介
- 信仰
人生には、これまでの自らの歩みを振り返り、より深く自分を理解し、傷ついてきた自分の心を癒し、新しい自分を創造することが必要な時があります。新たな心の教育を模索する中で学生と共に創り上げてきた体験的教育人間学は、内なる促しに導かれつつ、自らの心と身体を通して体験的に自己の理解・癒し・再生に取り組んでいきます。当然、そのプロセスにはこれまで薄々感じていた認めたくない自分と直面したり、涙が枯れるほど泣いたり、今まで経験したことがないほど強い決断をしたりすることもあります。しかし、他人に依存することなく、自らの責任で取り組む主体的な自己変革こそ、青年期の心の教育の重要な課題であり、新しい研究領域です。
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私の専門分野は『万葉集』に関する研究です。ただし、『万葉集』の研究には多彩な研究領域と多くの研究業績があります。その理由は『万葉集』が上代の代表的な文学作品であると同時に、上代の歴史・社会・文化を探る上で必須の資料でもあり、また、研究者・文化人から一般の人々に至るまで、時代を問わず、多くの人々に愛され続けてきた歌集でもあるからです(皆さんも、国語・日本史の教科書や『百人一首』、あるいは万葉歌碑などを通して『万葉集』の歌々に出会ったことがあると思います)。つまり、『万葉集』はあらゆる角度から追求されるべき大きな文学作品であって、私は、その中でも、『万葉集』がどのように読み継がれてきたのかという、享受に関わる諸問題を主に研究しています。
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奈良時代の文学や王権儀礼を研究しています。『古事記』の文体は原則としてやまとことば(漢字以前の純粋な日本語)ですが、中国語の文字(漢字)で記されているため地の文の正確な読みは現在もなおわからないところが多くあります。しかし、『古事記』の中でもうた(歌謡)の部分は一字一音式のいわゆる万葉仮名表記が用いられており、ほぼ正確に1300年以上前のことばのまま味わうことができます。『続日本紀』や『琴歌譜』所載の歌謡は、歌われた儀式の場が明確で、宮廷儀礼の中で歌謡が担った機能(天皇統治の思想や宴に組み込まれた時の政治的演出効果等)を歴史的実体的に分析できます。これらが上代歌謡研究の大きな魅力です。
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日本史のなかで、室町時代はもっとも人気がありません。でも、国内外の観光客が京都を訪れると、金閣や銀閣を拝観し、禅寺の庭園を 散策し、お茶や生け花を体験するのが定番です。これらは全て室町時代の建築や発祥です。文化には詳しいのに、この時代の歴史を私たちはよく知りません。当時の京都は貴族だけでなく、武士や僧侶や商人達が一体となって政治・経済・文化を動かしていました。 そうした新しい社会がどのように構築されたのかに関心があり、とくに宗教の役割に注目しています。宗教研究というと、信仰や経典のイメージが強いですが、私の場合は宗教と政治・社会の関わりに重点を置きながら室町時代史を考えています。
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伝統的な神祇信仰に依拠した権威を基盤とする日本の王権は、国家統治の手段として仏教の導入と興隆を図りました。一方で、政治的な目的とは別に、仏教のさまざまな効果に期待が寄せられました。病の治療や死者の追善、また仏教の付随した新たな知識や技術の導入などです。当然そこには、在来の信仰との調整が必要となり、特に王権を構成する人々が積極的にその効果を求める場合には、そのための新たな論理の構築が求められることになりました。このような経緯で奈良時代以後見られるようになったのが、神仏の混淆、さらには習合という現象です。私の研究は、その過程とそれぞれの段階での意義を究明することを目的としています。
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私の研究の要点は、日本古代における文化の受容と選択にあります。たとえば、ある書物が中国から伝来したとします。それは史実ですし、歴史の一側面です。しかし、それが日本社会にとってどのような意味を持ったか、というのは別の問題です。その書物が果たして読まれたのか、読まれたとしたらなぜ読まれたのか、どのように読まれたのか、読まれなかったとしたらなぜ読まれなかったのか、そういった問題を問うことが重要なのです。文化が伝来し、受容し、取捨選択する際の軋轢・ズレこそが、双方の社会の様相をあぶり出し、東アジア文化の共通性と日本古代社会の独自性を明らかにするきっかけになると考えています。
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地中に埋没した遺跡(遺構・遺物)などの考古資料は、確かに文字資料(文献史料)には及ばないほど、歴史的事象を表すには多弁ではありません。しかし地中に刻まれた遺跡は歴史的な重要性の多寡に関係なく、歴史的な事実の反映であることに疑いはありません。この点が考古資料における最大の利点であると言えます。こうした物質資料から歴史的な重要性を導き出す学問研究分野が考古学です。
日本列島には、3~4万箇所もの中世の山城などの城郭遺跡があります。既に文字資料が存在していた時代でも、これらの膨大な数の構造物の比較検討を通していくことで、文字資料だけでは解き明かせない中近世史の解明を目指しています。
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日本列島への人類の出現から、灌漑水田稲作の成立と展開までを専門にしています。
とくに興味があるのは、縄文時代から弥生時代への変化について。土器や石器の変化、と生業、集落、儀礼の変化からこれを追いかけています。
近年、研究が発展し、縄文時代においても食料の生産(これを「農耕」とよぶかはひとまず置くとして)が行われていることがあきらかになってきました。縄文時代の中ごろにダイズやアズキが作られ、縄文時代の終わり頃にイネ・アワ・キビといった穀物類が大陸から伝わってきました。しかし、これを経ても土偶や石棒といった伝統的儀礼は継続し、集落の形にも大きな変化はみられません。
これを大きく変えるのは灌漑水田稲作の成立と展開で、この間の社会・文化の変化を描いていくことを目標にしています。
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