教員紹介
- 日本
人生には、これまでの自らの歩みを振り返り、より深く自分を理解し、傷ついてきた自分の心を癒し、新しい自分を創造することが必要な時があります。新たな心の教育を模索する中で学生と共に創り上げてきた体験的教育人間学は、内なる促しに導かれつつ、自らの心と身体を通して体験的に自己の理解・癒し・再生に取り組んでいきます。当然、そのプロセスにはこれまで薄々感じていた認めたくない自分と直面したり、涙が枯れるほど泣いたり、今まで経験したことがないほど強い決断をしたりすることもあります。しかし、他人に依存することなく、自らの責任で取り組む主体的な自己変革こそ、青年期の心の教育の重要な課題であり、新しい研究領域です。
もっと見る閉じる
フランスでは200年以上も、バカロレア試験という、論述式の大学入学資格試験を続けてきました。選択肢問題はほとんどなく、論述試験が中心です。哲学の試験では、「自由とは障害のないことか」という題で論述するといった問題が出ます。作問・採点の中心は、高校教員です。バカロレア試験はどのような評価の考え方に支えられているのか、また、バカロレア試験に向けて、どんな指導や評価をしているのかを研究しています。さらに、日本の学校で、知識を活用して論理的に思考し、表現する力をいかに育み、評価していくべきかを、フランスを鏡としながら探求しています。
もっと見る閉じる
かつて近代日本の文化や文学は、国家や社会の形を変革しようとする意志と力を備え、人々の行動に影響を与えていました。作者も受容者も、文化・文学によって自分たちが生きている世界を作り変えられると信じていたのです。一方で文化や文学は、人々を戦争や暴力に向かわせたという負の側面も持ち合わせています。
では、文化や文学のどこにそうした力が潜んでいるのか、私たちはなぜ文化・文学によって心や身体を突き動かされるのでしょうか。〝近代〟という私たちが生きている時代に蓄積されてきた作品や批評を読み解きながら、その難問に挑戦することが、近代の文化・文学研究の面白さであり最大の魅力であると考えています。
では、文化や文学のどこにそうした力が潜んでいるのか、私たちはなぜ文化・文学によって心や身体を突き動かされるのでしょうか。〝近代〟という私たちが生きている時代に蓄積されてきた作品や批評を読み解きながら、その難問に挑戦することが、近代の文化・文学研究の面白さであり最大の魅力であると考えています。
COLUMN
時には世の中さえも動かしてしまう——。 そんな文学と文化の不思議な力を探る。
日本文学専攻
内藤 由直
もっと見る閉じる
文学研究と映像研究の手法を用いて、アニメーション作品の研究を行っています。例えば、映像にも文章と同じく文法があります。ただなんとなく撮影しただけの動画は、決して「映画」にはなりません。悲しい場面には悲しみを表現する工夫(演出)が必要です。約2時間という限られた上映時間のなかで、観客を作品に引き込むストーリー展開の工夫も必要です。また、「ミュージックビデオのように音楽と映像をシンクロさせるのが得意な監督」のように、監督の文体といったものも存在します。
そんなアニメーションの面白さの秘訣を探る。つまり、作品に使われている文法や文体を分析し、監督が作品を通して観客や社会に伝えたかった想い(思想)をあぶり出す。そんな研究を行っています。
もっと見る閉じる
専門は「日本語言語学」、つまり、日本語を国語ではなく一つの言語として研究することです。私が飽きずに続けているテーマは「条件文」です。日本語には英語の if に相当する表現が少なくとも 4つ(「と」、「ば」、「たら」、「なら」) あり、なぜ、4つもあるのか、その分化のメカニズムを探っています。これは外国人に日本語を教える日本語教師を悩ませる文法項目の一つとしても注目されています。最近は、地域差にも関心を持ち、特に、九州方言特有の条件形式を調べています。現地でインタビューするたびに日本語の多様性を実感し、そこが面白くて、やめられません。
もっと見る閉じる
古代(奈良時代)から現代までの文法(歴史的用法・変化)、特に「これ・それ・あれ」といった指示詞や「さて」などの接続詞を中心に研究をしています。
さて、普段、何気なく使っている指示詞ですが、「こ・そ・あ」はどのように指し分けているのでしょうか。「そこ」はどこでしょうか。また、古代でも同じように使っていたのでしょうか。このような謎に対し、現代語はフィールドワーク、古代語は歴史コーパスなどを用いて調査し、分析しています。
さて、普段、何気なく使っている指示詞ですが、「こ・そ・あ」はどのように指し分けているのでしょうか。「そこ」はどこでしょうか。また、古代でも同じように使っていたのでしょうか。このような謎に対し、現代語はフィールドワーク、古代語は歴史コーパスなどを用いて調査し、分析しています。
COLUMN
「黄昏」は、「誰そ彼(そこにいるのは誰)」だった。 変わり続ける日本語、1000年の長い旅。
日本語情報学専攻
岡﨑 友子
もっと見る閉じる
デジタル情報社会の中で、一時期は図書館不要論も唱えられましたが、今や公共図書館は地域活性化、まちづくりの中核として活況を呈しています。公共図書館は、静かな読書と勉強の場というイメージを脱却し、出会いと交流の場として、あらゆる人びとの生活と生涯学習を支えています。大学図書館でさえも会話や飲食のできるコモンズやカフェを擁し、学校図書館も生徒の心の居場所、交流の場ともなっています。「場としての図書館」研究は、複層的な機能と空間によって大きく変容する図書館の新たな意義と社会的、教育的価値を学術的に考察する図書館情報学の新しい分野です。なので、私は図書館の新たな可能性を開拓すべく、いつも研究に夢中になっています。
もっと見る閉じる
私の研究テーマは近代国家の権力構造と人間との関係を解き明かすことにあります。その近代国家の権力を統轄しているものが主権です。しかし主権とは何なのでしょうか。憲法学者の著作には、主権の定義ないし主権の作用について論及はなされていますが、主権の威力の源泉(法源ではない)とは何なのかということに関してはほとんど何も記されていません。これは研究するに難しい対象です。そもそも形があるものではありません。ゆえに研究方法も定まっていません。しかし、社会で重要なものは、このように形がなくても大きな意味をもっているものです。私の研究は、こういうものを解き明かす醍醐味を味わうことです。
もっと見る閉じる