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  • ISSUE 26:
  • カラフル

建築の光環境はいかにして作られてきたのか

直射光から人工照明までの変遷をたどる

本間 睦朗理工学部 教授

    sdgs16|

建築における光環境は、時代や文化、技術の変化とともにその様式や役割を変えてきた。ロマネスク様式の直射光、ゴシック様式のステンドグラス、そして人工照明の誕生まで――その歴史を辿った本間睦朗が、時代ごとに光が果たしてきた役割とその背景に迫る。

光環境の歴史を知ることはなぜ重要か

光環境は、建物や景観に大きな影響を与えるため、その建物や場所についてよく理解した上で、デザインすることが肝要になる、と本間睦朗は語る。

「光環境に関連する技術の進歩は急峻です。その現代において、古の文化財を修復する際、当初の技術背景による光環境を単純復刻するだけでは十分となり得ない可能性もあります。その時代ごとの光環境の様式の変遷を頭に入れて対処すべきだからです」

光環境の様式は、歴史の中で変遷を繰り返し、様々な概念の集積として形作られてきたものである。それゆえに光環境を適切に設計するには、歴史をよく知ることが必要である。しかし光環境の歴史についての研究は多くなく、本間は自らその歴史的変遷を紐解こうと考え、各地の建築物を巡りながら研究を進めた。

ロマネスク様式における、象徴としての直射日光

光環境の歴史をたどる研究を始めるにあたってまず本間が訪れたのが、フランスにあるロマネスク様式の建築、ル・トロネ修道院とシルバカンヌ修道院である。建築のロマネスク様式とは、ヨーロッパで11世紀に広まった様式であるが、石積みのため、窓開口を大きく取ることは構造的に難しい。そのため建物内部が暗くなるが、暗さを少しでも緩和するためだろう、これらの修道院では窓が内側に開いたエブラズマンと呼ばれる形になっている。この手法は、実は様々な角度から直射日光が差し込むことにも役立っている。試しに本間が行った光環境シミュレーションでも、そのことは立証できている。

ロマネスク様式にみられるエブラズマンの窓

「ル・トロネ修道院もシルバカンヌ修道院も、ロマネスク様式独特の薄暗い空間に直射日光が差込んでいる様子がとても印象的だったのです。まるで天からのメッセージのようでした。後日、文献で、キリスト教ではフラ・アンジェリコの受胎告知に象徴されるように、光が重要な意味を持っていることを再確認しました。エブラズマンから直射日光が頻繁に差し込むのは、明るくするための副産物ではなく、もしかしたらその効果も狙って設計されていたのかもしれません」

一方、キリスト教以前の時代にも直射日光は象徴的な意味を持っていた。ローマのパンテオンは、キリスト教以前の時代に計画された建物で、建物のドーム中央に、空が見えることで象徴的に神とつながることを望んだという「オラクル」と呼ばれる開口部がある。この開口部から直射日光が差し込むのであるが、それは、ローマ誕生の日のセレモニーが行われる時間に入口のポータルに楕円をつくり出し、まさにその瞬間に入口の敷居をまたいだ皇帝が光に包まれるとのことなのだ。つまり、直射日光は皇帝のためのスポットライトとして設計されていたことになる。

「当初、直射日光は、皇帝の権威のために使われていたということになります。しかしその後、パンテオンが教会に作り替えられると、オラクルからの直射日光は、神が天から降りてくる様として解釈されるようになったのではないでしょうか」

パンテオンにおける直射日光の情景

ゴシック様式でなぜステンドグラスが普及したか

パンテオンが建てられた数世紀のちのビザンチン様式の時代には、窓には透明ガラスではなく薄い石膏が用いられた。そのため、空間に直射光が入射することはなく、自然の光は拡散光となって柔らかく空間を彩った。これはビザンチン様式の空間に多用されていたモザイクタイルによる壁画を均一に照射することに役立っているように見えるので、意図的に拡散光による空間を創り上げていたのかもしれない。さらにその次のロマネスク様式の時代になると、前述のように再び直射光の情景を大切にするようになった。そしてその後、ゴシック様式の時代には、構造の技術に革命が起こり、人類にとっては念願の、大きな窓開口による明るい空間を創ることが可能となったはずなのであるが、実際には明るくするだけではない新しい要素を光に求めて空間創りを進めるようになったと見受けられる。その時代の先駆けの象徴となっているのが、パリ郊外のサン・ドニ大聖堂である。

有彩色光で彩られたサン・ドニ大聖堂(上は360度画像)

窓開口を大きく取れれば空間を明るくできるが、にもかかわらずサン・ドニ大聖堂では、窓にステンドグラスを用いて華やかにするという、単純に明るくするだけではない別の手法を選択したようにすら見えると本間は言う。

この時代にステンドグラスが登場したのは、ディスプレイ装置としての役割が求められたとの解釈が一般的である。当時のカトリック教会では、ラテン語以外の言語での聖書の記述が認められていなかったため、ラテン語を理解できない多くの信者のために聖書の記述内容を絵としてステンドグラスに描いたのだという。しかし一方で、ステンドグラスは透明ガラスに比べて採光率が低い。とすればつまり、長きにわたって光環境計画の目的であった空間を明るくすることとは別の、華やかさが新たに概念として加わり始めた時代となったということになる。

このようにゴシック様式の時代になってステンドグラスが普及し始めるのであるが、さらに時代が進んでいくと、今度はステンドグラスを外して無彩色ガラスに交換する動きも見られるようになる。その理由を本間は次のように推測する。

「転機は1520年、マルチン・ルターによる宗教改革でしょう。ルターは、自ら聖書をドイツ語に翻訳しました。それを機に、聖書は多言語で書かれるようになっていきます。すると聖堂内で聖書を読むという行為が発生したため、照度が必要になり、ステンドグラスが透過率の高い無彩色なガラスに交換されはじめたようなのです。つまり、時代が進んで新たに「視作業のための照明」という概念が生まれてきたということになると考えます。しかし一方で、透明ガラスに交換されたのは身廊(=入り口から祭壇までの長い空間)上部の窓だけだったことが、いくつかのゴシック様式の聖堂から確認できます。それは、下部、すなわち目線の位置のステンドグラスは存続させることで、照度を得つつも神秘的な雰囲気も維持するという、まさに光環境デザインの高等テクニックが発揮された結果と言えるのではないでしょうか」

光環境を一変させた人工照明の登場

空間の光環境は、その後、人工照明の発達によってさらに大きな変化を遂げていく。先駆けとなるのは17世紀のフランスに建てられたベルサイユ宮殿の「鏡の間」である。ここには、多数の蝋燭と、ガラス加工技術を駆使したシャンデリアによってきらびやかな光環境が創られたのであるが、それが人類史上初めての人工照明による照明デザインだとされている。

「ベルサイユ宮殿が人類史上初めてだったことは、光を得ることによる値段、すなわち、光の経済から推測できそうです。すなわち今日において私たちが、概ね昔の白熱灯電球1個分である光(約1000ルーメン)を、LEDを用いて1時間灯すのに必要な費用は、概ね0.25円ほどだと計算できます。一方、同じ量の光を17世紀のフランス市民が蝋燭で得ようとすると、その経済的負担は、現代の私たちの約1万倍にもなります。当時のフランスは養蜂業の発展により、以前とは比較にならないほど蝋燭が普及したそうなのですが、それでもまだまだ光は貴重かつ贅沢なものだったということになるのでしょう。しかし、庶民の何万倍もの生活費を使っていた統治者のルイ14世とその一族にとっては、むしろ現代の私たち以下の生活の負担で光を得ることが可能だった計算になります。それゆえに彼らは照明デザインを行う余裕があったのです」

つまり、かつてゴシック様式の時代には窓からの採光量に余裕が生じたがゆえに有彩色で空間を彩るという概念が生じたのと同様に、余裕をもって蝋燭を使えるようになったため、空間を明るくするだけではない他の何かを始めようと考えたのではないかという解釈になる。

その後モダニズムの時代になると、人工照明は電気照明の時代に入る。電気事業も普及し、人工照明の自由度は飛躍的に向上し、光環境の設計も自由度を増していく。その象徴が、モダニズム期を代表する建築家、ル・コルビュジェによるロンシャンの礼拝堂に見て取れると本間は熱弁する。

「この礼拝堂は、カトリックの礼拝堂として、とにかく前衛的だと言われています。私も実際にロンシャンの礼拝堂へ出かけて空間内に佇み、その素晴らしさに感動するのと同時に、その前衛的な光環境にたまげました。というのも、たぶん年間を通してほとんどの日々において、南側の窓開口から空間内に直射光が入らないように見えたためです。窓はエブラズマンと同様に、開口部が深く部屋内側が広がっているのですが、カトリックの礼拝堂で、神の象徴として大切にされてきたと思える直射光の入射を完全否定するかの如くの、拡散光だけの世界を展開しているように見えたのです。空間が複雑なことに加えて、詳細図面も入手できていないので完全なものではないのですが、シミュレーションをしてみても、もしかしたら冬至の頃に直射光が入射するかもしれないものの、基本は拡散光による空間です。さらに、ロンシャンの礼拝堂は採光量を極限以上に絞って、ロマネスク様式の教会の持つ暗く厳かな雰囲気を再現しているようにも見えます。実際に空間内平均輝度を測定してみると、ロマネスク様式の礼拝堂と同等以下であることを確認している。これはコルビュジェの設計意図そのものだと思うのですが、このように、前例のないほど窓からの採光量を絞り、ロマネスク様式の礼拝堂よりも暗く厳かな空間が設計できた背景には、間違いなく人工照明の影響があると思うのです。窓開口からの採光量を極限以上に絞り込んだ結果、曇天時や夕方に光の不足が感じられたとしても、人工照明に頼ればその不足は補えます。そのため設計者の思い通りの思い切った暗さの演出が可能となったと、私は解釈して鳥肌が立ちました。それにしても冬至、すなわちクリスマスのときだけ太陽高度の低い位置からの直射日光が入射するのだとしたら、ロマンチックですよね。ぜひクリスマスに直射光が入射するのか確認してみたいです」

暗く厳かなロンシャンの礼拝堂

このような突飛とも思える光環境のデザインは、コルビュジェだからできたとも考えられるが、同時に、利便性の高い人工照明が自由に使える時代になったからこそ可能になったのだろうと本間は推察している。

建物や空間に合致した光環境を作り上げる

建築において、光は元来、彩光や象徴のためのものだった。つまり光は目的であり、その目的を達成させるために様々な工夫が施されてきたことが歴史を振り返るとよくわかる。しかし人工照明の出現以降は、光が扱いやすいものになったこともあり、光は、空間をデザインするためのツールとなり、光環境デザインの概念も多様化してきたと本間は考える。

このように今や、設計者の思うままに光環境を構築することが可能になった。しかし、それだからこそ現代の設計者は、その建物や空間に合致した光環境をよく考え、作り上げることが求められていると言えるのかもしれない。

本間 睦朗HONMA Mutsuo

理工学部 教授
研究テーマ

1. 建築における光の扱い方の、建築様式との関連に関する研究
2. 昼光の計測方法、活用方法に関する研究
3. 空間の3次元監視システムに関する研究
4. オフィスビルの省エネルギー化に関する研究
5. 光環境の印象評価に関する研究

専門分野

照明デザイン、光環境、建築電気設備、陰翳礼讃、昼光利用、省エネルギー