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  • ISSUE 27:
  • 記憶と記録

歴史的な建築を調査し、意図を解釈して復元する

日本文化の記憶を記録し、持続させる建築史

青柳 憲昌理工学部 教授

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日本には木造建築の文化財が数多く残されている。ただし、そのほとんどが何度も修理を重ねられているため、実は当初の本当の姿がよくわからなくなっていることが多い。そこで精緻な学術調査を徹底し、創建当初のデザインや設計者の意図を可能な限り汲み取った上で、その知見を実際の建物にフィードバックする。これが青柳憲昌の取り組む建築史的な手法である。

古き良きものを残す行為は創造に等しい

「ヨーロッパの石造建築と比べれば、木造建築は明らかに耐候性や耐火性に欠けます。それにもかかわらず、なぜ日本には、これほど多くの建築物が残されているのでしょうか」

現代の新しい建築よりも歴史的な建造物に惹かれた学生時代から、海外の宗教遺跡などを数多く見てきた青柳憲昌は、若いときに抱いた疑問から話を始めた。建築を学ぶにつれて、歴史ある建築への関心が深まり、大学の長期休暇のたびにアジアやアフリカを放浪しては数多くの歴史的な建築を観て歩いた。

「いわゆる“現代建築”からは、なぜこのような感動を得られないのか。そのとき出した答えは、“おそらくそこに歴史的や文化的な、建築の裏付けとなるような力がないからだろう”ということでした」

このような思考に導かれて、青柳の関心は自然に建築の歴史研究へと向かっていく。その先に見えてきた自分にとってのテーマ、それは歴史的建築物のもつ人の心を打つような力の継承である。

「建築の歴史を学んだ上で、人の心を打つものを残していきたいと考えるようになったのです。良いものを残す行為には、まったく新しいものを建てることに等しい、あるいはそれ以上の価値があると思います。というのも、残された建築が、残すという行為によって人に感動を与えられるようになれば、それは“感動の創造”と言ってもよいですよね。どういうわけか、現代建築ではそうした感動を生みえない、と若いときの私は大した根拠もなく確信したんです」

そこで冒頭の疑問に戻る。たとえば古代ギリシアの神殿が、今も残されている理由は何か。決して当初の姿そのままでないとはいえ、石で造られるため耐久性が高いからだ。これに対して日本の木造建築では、そのような保存はできない。どこかが壊れると、そこから雨水が入り込み木が朽ちていくためである。つまり木造では、壊れたままの状態を維持して残し続けるのは不可能である。それにもかかわらず寺院などの木造建築が、これほど多く残されているのはなぜなのか。

「古い建物は、創建後の修理・修繕の繰り返しによって今に残されているのです。そのことを考えると、改めて“保存”という行為の大切さと、その文化的な意味に気づかされます。だからこそ、建築史をたんに知識として学ぶだけでなく、それを活かして実際の建築物の保存にも取り組もうと考えるようになったんです」

法隆寺研究を通して学んだ解釈と復元

修士論文のテーマには、法隆寺の昭和の大修理を選んだ。その理由を「現代の日本における文化財保存の枠組みをつくったのが、この大修理であると考えられたからだ」と青柳は語る。研究のため東京から法隆寺や関係機関を何度も訪ねては、修理に関わった人たちが残した資料を調べ尽くした。

もとより法隆寺の修理は、昭和になって初めて行われたわけではない。7世紀に建立されて以来、何度も修理を繰り返されてきている。ただ昭和の大修理は特別なものだ。1934年に開始されてから、20年以上の長い歳月をかけた修理の際にはまず徹底した調査が行われた。可能な限り建立当初の姿に戻そうとする過程で、さまざまな事実が明らかにされた。

「たとえば法隆寺といえば五重塔や金堂が有名ですが、あれが飛鳥時代からずっと、同じ場所で同じ形で建っていたかといえば、実はまったく違うのです。創建後、何度も改造や修理が繰り返される中で、形もかなり変えられました。昭和の大修理では解体修理、すなわち建造物を一度バラバラに解体し、腐朽したり破損した部材を取り替えつつ、学術調査を行って、できる限り元通りに組み直すというやりかたで修理されています」

図1:法隆寺金堂

ただし、創建当初の形を学術的に調べようとしても、100%完全にもとの形が明らかになったりはしない。なぜなら、法隆寺は千年以上の時間の中で何度も修理を繰り返されていて、そのたびに手を加えられているからだ。修理をすれば、必ずどこかが原型とは変わってしまう。一度でも、たとえほんの少しでもどこかが変えられてしまうと、原型を再現するのは極めて難しくなる。なぜなら、そもそも原型を示す設計図などが存在しないからだ。

「だから元の形については、どうしてもそれを再現しようとする人の解釈が入らざるをえません。あと、もう一つ完全な再現を拒む要素があり、それは技術や工具の違いです」

たとえば今の大工なら台鉋(ダイカンナ)で木を削る。これを使えば、木くずの厚さがナノミクロンサイズになるほど部材の寸法に高い精度を出せる。しかし、当然ながら飛鳥時代にそのような高性能な工具はなく、使われていたのは槍鉋(ヤリカンナ)だ。同じように木を削っても、台鉋と槍鉋では仕上がりが変わってくる。

「この修理の大工をつとめた西岡常一さんは、可能な限り元の形を再現するために、すでに使われなくなっていた槍鉋を再現して使いました。施工精度についても、今と千年以上前では出せる精度が大きく違います。逆説的になりますが、技術レベルが低かったからこそ実現できていた造形感覚もあるのです」

法隆寺の昭和の大修理からひもとき、建築史の本質に迫った学術論文は高く評価され、その論文で青柳は学位を取得している。

設計者の意図に思いを馳せる

青柳はいま、古い町並みや寺院の中にある歴史的な建物の調査と保存に数多く関わっている。

建物調査は、まず実測という作業から始められる。昔の建築物の場合、設計図などはほとんど残されていないため、各部の寸法を測って図面を作成する。経年による建物の歪みや改造を考慮しながら作図を行う過程で、その建築に込められた意図が浮かび上がってくる。

「当初の意図を読み取るのは、決して簡単な作業ではありません。実測するのはあくまでも現存している建物であり、修繕や改造などが加えられて原型そのものではないわけです。それら後世に加えられた改造がどのようなものだったかを明らかにしながら、逆算してもとの設計の意図に迫っていきます。その際、建物を見るだけではなく、かつてそれを使っていた人たちへの聞き取り調査も欠かせません」

ただし聞き取った内容を、そのまま信じるわけにはいかない。人の記憶や伝承はあいまいなので、その話が本当かどうかを、建物をきめ細かく観察して過去の痕跡を見極めたり、過去の改造時の資料などとも突き合わせながら緻密に調べていく。

さらにその建物だけではなく、同じ地域にあるほかの建物も調べ上げていく。その地域独特の建築手法が明らかにされるケースがあり、その手法に込められた意図を理解できる場合もある。一連の調査の結果、歴史的な価値が認められれば、文化財に指定され、修理や維持のための補助金が国や自治体から助成されることになる。

いま取り組んでいる仕事の一つに、大学キャンパス(BKC)がある草津市の芦浦観音寺である。2019年から行われている同寺の整備事業の一貫として、江戸時代に建設された建物の復元設計に携わっているのである。

「この観音寺の建物でも、残された絵図や、建物に残されたさまざまな痕跡を緻密に調べながら、元の形に復元するという草津市の事業に関わっています。これまでは表門に付属する倉庫として使われていたのですが、もともと江戸時代には身分の高い人がお輿を乗り降りするための施設で、外観は今よりもだいぶ開放的な建築だったことがわかりました。今後は観音寺を訪れる方のビジターセンターのような建物にすることが考えられています。そうした現代的な要請との調整は簡単ではないのですが、かつてのこの建物の使われ方がある程度再現できるように復元的に整備したいと思っています」

図2:芦浦観音寺表門・蔵(江戸時代、滋賀県草津市)

建築の“すごい”を見つけて伝える復元主義

こうした一連の取り組みの思想的バックボーンを青柳は「復元主義」と表現する。日本の文化財保存は明治時代に開始されたが、現在までずっと「復元主義」の考え方で行われてきたという。可能な限り原型に近づけるため学術調査を徹底するものの、調査結果には必ず解釈が入り込む。どのような解釈をするにせよ、それはある種の創造行為ともいえる。そうした要素も踏まえた言葉が「復元主義」である。

「文化の定義は難しいですが、少なくともそれが瞬時に生まれるわけはないので、過去、つまり歴史によってつくられると言ってもよいでしょう。われわれはそれを継承していかねばならないのですが、これまでの継承のプロセスをよくみると、じつは決して連続的なものではなく、必ず非連続なものとなっているのです。これは能楽や歌舞伎などの日本の古典的な芸能をはじめ、すべての日本文化にある程度共通する特徴だと思います」

芸の修練は、まず先代の型を真似る、再現しようとするところから始まる。それにより型をマスターすれば、そこからが自分の芸の創造であり、手本とした原型をいかに自分流に崩していくのかが問われる。こうした非連続な継承が芸の真髄でもある。

「三島由紀夫は『文化防衛論』の中で、日本文化の特質が再帰性・全体性・主体性の三点に収斂(しゅうれん)されると指摘しました。再帰性とは原型が繰り返し現在に再現されることで、そうした建築の典型は、20年ごとの式年遷宮で原型なるものが新築で建て直される伊勢神宮でしょう。次の全体性とは皇室を中心に展開されてきた日本文化の時間的・空間的な均質性のことです。これら二つとの関連で、三島が強調しているのが三つめの主体性です」

文化とは、その文化を保存しようとする主体と、保存される対象が「同一化」されながら、創造的に継承されるものだ――これが三島の主張である。そうした主体性重視の視点に立つとき、現状の文化財保存の世界に一抹の不安を感じずにはいられないと青柳は憂慮する。

「なぜなら今では、後の時代に加えられた改造の歴史性を尊重するあまり、無条件にすべて残すべきだという考え方が広まっているからです。この風潮に私は危機意識を感じずにはいられません。必ずしも当初に戻せと言っているのではありませんが、保存する対象の保存すべきところを主体的に解釈するという姿勢が希薄になっていると思うのです。それは保存される対象の“客体化”といえますね。三島がいう“同一化”とは逆の方向性です」

復元主義の実践として、2021年に青柳は西陣にあった織屋の町家を再生する設計を行った。元の形をきめ細かく復元しながら、今の時代に人が住むための快適さも求める。同時に町家に込められた先人の知恵を学び、それも可能な限り活かしている。

「建築史家としての私の役割は、建築に埋め込まれた過去の記憶を記録にもとづき解明し、現代日本の文化の中にそれを再現することにあると思っています。これまでたくさんの建築を見てきた中で、専門家だけではなく普通の人が自然とそう思えるような日本建築の“すごさ”を何度も体験してきました。私はそれを多くの人に伝えたいのです。

たとえば、襖(ふすま)や障子など日本の“建具(たてぐ)”には、古代からこれまでの工夫や知恵が詰まっていて、ほんとうにすごいと思うのですが、それをつくる高い職人技術が急速に失われつつあります。いま私は、そのすごさを広く世に伝えて残すため、新しい襖のデザインを行いながら、東京にある老舗の江戸唐紙問屋(東京松屋)と協同してその制作に関わる多くの職人さんたちを取材しているところです。

これからもこうした保存や復元を通じて、建築の“すごい”をなるだけ多くの人に伝えていきたいと思っています」

図3:西陣寺之内通の町家(設計:青柳憲昌・是永美樹)
図4:江戸唐紙師・高杉裕也さんへの取材風景(写真左)表具師・春原敏雄さんへの取材風景(写真右)

関連サイト

青柳 憲昌AOYAGI Norimasa

理工学部 教授
研究テーマ

1. 日本の建築史・都市史に関する研究
2. 文化財保存史に関する研究
3. 歴史的建築の復元・改修デザインに関する研究
4. 歴史都市防災

専門分野

建築史・意匠、文化財保存、歴史的建築の改修設計